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February 28, 2009

スカイ・クロラ 余話

 先日購入したスカイ・クロラDVDを観て、またオーディオコメンタリーを聴いて、はたまた小説とかいろいろ思い出したりして、ちょっと余話を。

 原作である小説シリーズを読破した一部の人からは劇場版への酷評(構成とかキャラとかに)もあるし、また原作そのものへの批評(主人公設定が二番煎じとか)もあるけれど、それらの人々の趣向や他作品を抜きにして、自分なりの感想を再度まとめれば、原作と劇場版それぞれに良さがあって、それぞれに楽しめるナァとつくづく感じたワケです。

20090227_01 まずはDVDを観て、あらためて戦闘機“散香”に魅せられた。古臭さと近代っぽさを併せ持つ、現在に甦った震電のような、美しい特異な機体。この形をもっと堪能したくて?プラモを購入してしまった(笑)。FineMolds製1/48スケール3400円。

 ちなみに模型店のお兄さん曰く、「この(Finemolds製の)キットはイイですよぉ~。バン○イのヤツは食玩の延長みたいでダメっすよぉ~。コレ(FineMolds)はイイ♪」とかレジ打ちながら話してくれました。確かに模型雑誌とか見ててもそう思った。散香特集ページとか時々今でも取り上げられてる。そのうち仕事を忘れて現実逃避したくなったら作ってみます(笑)。

 そしてDVDの音声特典オーディオコメンタリーを聴いて、更にいろいろ美術や技術、設定や演出の奥深さ、裏話などが聴けて、作品を観る楽しみが増したワケ。普通に観ただけじゃ気付かない、意識しないような部分にまで手が入れられていたりすることに目が行くようになるワケで、自然過ぎて目立たないけどスゴイことやってるなとか、関心もするワケで、密度の濃さを感じるワケです。

 オーディオコメンタリーでは、プロデューサー石井氏が時折、本作品には無かったアイディアや展開が語られたりすると「スカイ・クロラ“2”で!」と期待を込めた?発言をするけれど、実現するのかねぇ?興行的にはオイシイとは思えない作品なんだけど…。個人的は観たいけどね。

 ちなみにこの前余談で触れた、DVDにオマケで付いてた文庫本スカイ・イクリプス用特製カバーに描かれていたパイロットのコードネーム“NOFOLK”は「ヒイラギイサム」だったのね。そうかなとは思ったけど、またDVDを観て、確認できました。

 原作である小説シリーズは完結してしまったけど、多くは語られなかったキルドレの秘密や、ヒイラギイサムを使った、小説スカイ・クロラ以降スカイ・イクリプス短編までの続世界、押井版続編があっても面白いよなぁ、と正直思うのです。小説と劇場版のスカイ・クロラは結末が異なるけれど、スカイ・クロラ以降の話に当たるスカイ・イクリプスの一部短編は、劇場版の結末を仮定して引っ張ってもなんとかなりそうな内容だし。無いのかな、“2”は…。

 でも…。

 繰り返される日常の物語。永遠にも似た無気力化した日常に生きる。でも、必ず終焉は訪れる人生・時間を無為に過ごし続けて意義が生まれるのか?

 劇場版のエンドロール後にあるシーン。ここまでに通じる僅かな変化、確かな変化に至る過程。それこそがこの物語では見逃せない重要な場面。この物語に続編を期待するのは無意味なくらい、静かに確かなメッセージか込められています。

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February 24, 2009

スカイ・クロラ DVD

20090224_01 いよいよ発売“The Sky Crawlers”DVD。店頭にも並んでいたけど予約しているので、ただレジに行き店員さん経由で購入しました。

 もう何度も“スカイ・クロラ”のことについては、劇場版のことも小説のことも、このブログに私なりのナントカって形で文章にしてきているので、今さらグダグダ言うこともないか。そんな過去ログはカテゴリ記事アニメで一覧して遡るか、ブログ内検索にキーワード入力するなりして見てみることもできますんで。

20090224_02 で、帰宅して、身支度整えて?いざ鑑賞する。

 劇場で2回観たときに比べれば、細部のディティールや暗部が潰れていないクリアな映像で楽しめる自宅の鑑賞環境。質感の良し悪しも、劇場では気にならなかったところまで新たに感じることができました。

 いやぁ、雲が綺麗だ。空が綺麗だ。空気感すら感じるわ。キャラクターはもうちょっと描き込んだ方が良かったところもあるかもしれないけれど…。

 原作とは違う“押井版スカイ・クロラ”。原作は原作でとても楽しめたけれど、劇場版には劇場版の良さがあるよ、やっぱり。動と静。空と地上。生と死。人間とキルドレ。戦争と平和。日常と非日常。対比されることは数多く…。

20090224_03 今回入手したDVDは紙ジャケット仕様。付録として、文庫本小説シリーズのカバーイラスト右半分を使用したチャプター毎のテキストコメンタリーブック(画像左上)、DVDとほぼ同時発売だった文庫本小説シリーズ“Sky Eclipse”用特製ブックカバー(画像左下の右。左は別売りの当該文庫本)、DVDケース(画像右)が収められています。

 販売店独自の予約特典として10%引きの価格になったほか、劇場用フィルムコマを使ったしおりが別に付いてきた。そう言えば、同じような特典として“ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序”DVDのときにもフィルムコマが付いていた。あの時はポジトロンライフルの砲身っつう場面で、肝心のヱヴァはもちろん、砲口も映っていない中途半端なコマだったっけ…。

 この特典を期待して予約購入したわけじゃないけど、せっかくだったらイイコマが欲しいよなぁ。カッコイイ散香とか、イイ顔したキャラモノとか。

20090224_04 で、開けてみると…。ん?これは…。

 あ、ポイント的なシーンじゃん。基地の近くに別基地の散香が墜落して、地域住民とかがヤジウマに来てて、その中のばぁさんが「ああ何てことだろう可哀想に」と嘆いている傍で、横目でそのばぁさんを見るカンナミと、ばぁさんの言葉に反応して険しい表情に変わったスイトのシーンだ。

 この直後スイトはメガネを外し激高。「可哀想なんかじゃない。可哀想なんかじゃないッ!同情なんかで…アイツを侮辱するなッ!」

 一般人と、戦争に利用されるキルドレとの、世界観や死生観の相違を浮き立たす名場面の導入部(絵コンテカット301)であった。

 あとは音声特典のオーディオコメンタリーで観るだけだなっす。

20090224_05 前回に引き続く余談として、ヤフオク品のレンズ55‐250mmが届いたので試写。特典の文庫本カバーをね。

 蛍光灯のみの室内光では、ISO400のPモードでいくら頑張ってもブレてしまう画像上の状態(250mmにて1/40秒)も、ISを動作させるとピタリ画像下状態。手ブレ補正ってスバラシイ…。

 18-55mmは本日発送されたようなので、到着は明日か明後日か。それぞれ対応が早い人でヨカッタっす。

 ん?NOFOLK?文庫本カバーに映る男の頭にあるコードネームのこと。手前のスイトだけはコードネームがWITCH(魔女)であり、他はテリア系の犬の品種のはずだから、ノーフォークテリアのことだ、とは判ったが、このコードネームって誰だっけ?

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October 26, 2008

“スカイ・クロラ”の謎④

※.小説“スカイ・クロラ・シリーズ”及び劇場用アニメ“スカイ・クロラ”のネタバレを含みます。

 前回までいろいろと感想、解釈なんかをダラダラ続けてきて、とりあえず小説シリーズで“クレィドゥ・ザ・スカイ”までの流れはこんなんだろう、ってまとめたけれど、そうすっと刊行第1作目である“スカイ・クロラ”までが謎めいた部分を醸し出し始めるゾ、というところまでは述べたんだっけ。

 何度もしつこく言いますがネタバレ全開なので、シリーズを読もうとか考えている人は、小説を読み終えるまでこのブログ記事「“スカイ・クロラ”の謎」系を見ないほうが良いでしょう。

●函南優一≒草薙水素? … 劇場用では函南優一は栗田仁郎の生まれ変わりという設定での物語だったけど、劇場用のシナリオが完成して以降、小説シリーズは続編が刊行された都合もあって、劇場用と小説の原作シリーズは全く異なる解釈の物語。で、小説を読み進めていって辿り着いた「函南≒草薙」説。何がどのように近似値なのか?

 前回の最後に“グレィドゥ・ザ・スカイ”エピローグで新聞記者の杣中が函南に話した内容「半年前のアジトで散香で飛んだ草薙水素」「指揮官復帰後の水素は別人のよう」「むしろ函南が水素に似ている」という話。長篇刊行順では“スカイ・クロラ”が最初で、“グレィドゥ~」が最後。そしてこの2作は時系列的には“クレィドゥ~”→“~クロラ”へとつながることを考えれば、最後に大きな謎掛けが来たことになる。“~クロラ”の水素は影武者か?函南こそ水素だったのか?などなど思わされ、とても楽しめる。そうなると、最初の刊行で既読だった“~クロラ”や、全ての作品における水素と函南の接点を確認したくなったりする。

 函南が時系列的に初めて登場するのは“ダウン・ツ・ヘヴン”。水素が頸部を負傷~入院していた先で、頭部にグルグル包帯巻きで存在し、パイロットだったらしいことくらいしか覚えていない。周囲から「カンナミ」と呼ばれているから自分は函南なんだと認識している状態。病院ではまず、水素の手をマジマジと見て「綺麗な手だ」と言い、水素と見つめ合う。そこで水素は函南の瞳の中に雲ひとつ無い空の中に飛ぶ戦闘機(点)の軌跡を見、それをお互いがお互いの瞳の中に見ていると表現している。またそれを「背筋のぞっとするような気持ちの悪さ、それとも気持ちの良さ」「僕がかつて落としたものだろうか」とも思っている。

 後に、極秘停戦区域の基地で水素は講師を務めることになり、そこで精悍な顔つきになった函南と再会する。講和後、函南はいろいろと水素と話していくうちに、身も心も距離を縮めていくのだが、それを水素は「僕は彼に触れるわけにはいかない」、「触れるだけで壊れるものが…」「消えるものが…」と不安を抱く過程がある。

 函南はほとんど以前の記憶を喪失した状態であるから、失うものは何も無く恐れず水素との距離を縮められるが、逆に水素はある程度の記憶の持ち主であるから、以心伝心してしまうような函南の存在に接近したい本能と距離を置くべき直感が葛藤しているような素振りが見られる。この以心伝心チックなものの正体とは?というのが肝なんだろうな、と思わされてしまう部分。

 その後の水素の夢に函南は登場するが、夢の中での水素は幼少期の体格をしており、他人はもちろん犬猫動物も消えてしまった「水素だけの世界」が展開されている。デパートらしき屋上にて函南に遭遇するのだが、そこで何故函南が存在するのか水素は尋ねる。函南は「あなた以外のものは、たしかに消えた」と言い、「どうして気づかない?」「気づかない振りをしているだけだ。あなたは理由をちゃんと知っている」と水素を問いただす。そして水素は抱きしめられ、函南に「僕は、あなた以外じゃない」と言われる一瞬前に水素は気づき、全身に悪寒が走っているのである。水素が幼少期のこの頃に、水素が忘れている何かが在るのかと思わされる。

 なお、この「水素≒函南」らしき構図は“スカイ・クロラ”にもある。函南が見た夢の中に登場した水素が「二人で、進化しよう」と言い、黄色いテントの中に入っていくものだ。テントの中で函南は「僕が何度も見たもの」を見、激しい動悸の中で目覚めている。また、函南が心の中に繰り返される賛美歌から妹の葬式を思い出し、妹の顔を覚えていないのに何故か草薙瑞季の顔(水素の幼い頃の顔か?)を思い浮かばせている。つまり、函南は水素の幼少期を知る存在、水素は幼少期に函南の存在と接点がある、ということが想像される。

 さらに、この構図は“スカイ・イクリプス”へと続いている。「ドール・グローリィ」では、函南のところへ見舞いに訪れる瑞季や函南と共に暮らす?甲斐の存在があり、“~クロラ”の函南は実は水素?的なエピソードがある。瑞季は函南に「小さい頃から知っている。ずっと、知っている香り」を感じているが、“~クロラ”の十歳前後の頃のことを「小さい頃~」と言っているのか、それ以前なのかも釈然とはしない。ただ、函南は甲斐が居るからそこで暮らしているようであり、瑞季がお土産として持参した手編みのカーディガンを甲斐が「斬新な発想」と言っていることから、函南にカーディガンをプレゼントすることで何かの変化を期待している感がある。瑞季と甲斐が函南に対しそこまでする理由とは何なのか?「ドール~」の函南は“ナ・バ・テア”冒頭から登場する草薙水素であって、どこかで自身を函南だと思い込んでしまった経緯があるようにも思えてしまう。

 同じく“~イクリプス”の、「スカイ・アッシュ」の『彼女』(“グレィドゥ・ザ・スカイ”の『僕』=水素)は“クレィドゥ~”で相良亜緒衣を撃つところ、“~イクリプス”「ドール~」で瑞季が回想している水素が栗田を撃つところ、そして“~クロラ”で自分が撃たれた姿(何故か函南視点)を思い出したりしている。

 そう言えば、函南が確実に男だという描写は無い。小説の水素はボーイッシュであるから、男装、いや「うる星やつら」の竜之介くらい見間違えることがあってもおかしくない。元より本人が自分を男と思い込んでしまっていたならば。そうなると…かなり、水素と函南が入り乱れてしまうのだ。だが、それぞれは確実に別体として存在している。

 そこで、キルドレである水素や函南の記憶力についてだが、基本的に夢と現実の区別がつかないという「信憑性の無さ」から判断材料から除外し、普通の人間が関係する部分だけを考慮すると、「ドール~」の瑞季の話と「~アッシュ」のフーコの話くらいしか頼りにならない。そして、新聞記者の杣中や整備士笹倉の話くらいなのである。だが、これも一部は素直に受け取ると複雑になりかねないから…。

 まず、最初の確信的謎掛けにもなった杣中が函南に話した内容は、函南に対する詮索だろうという意味で、水素に似ているのかもしれないが函南は函南だと。指揮官水素は別人のようだけれども、相良や栗田を殺したことで自らの人生観を変えてしまった水素本人なのだと。杣中はあまりにも自身の熱意が強過ぎて、客観性を失ってしまった、函南に水素の姿を重ね過ぎたと考えるべきだろう。

 こうなると、「ドール~」の函南って?となる。これは、胸を撃たれ重体となった水素が長年の治療で回復する途中のエピソードであろう。瑞季が病室に入る前に看護師から「最近、風邪をひきましたか?」とだけ訊ねられるが、これは感染症対策からである。“~クロラ”で最終的に精神的墜落で果てた函南が入院していたのならば必要ないことだ。もしかすると水素は心臓移植を受けて免疫力が落ちているのかもしれない。かなりの記憶の混濁の中で、水素は自分を函南と思い込んでいるのは、このエピソードだけだと思われる。瑞季が函南を失いたくない理由、甲斐が共に住んでいる理由、それぞれが函南を何かしら回復させようと思っている理由。それは全て水素を想う気持ちからなのだ、とすれば合点。

 で、「~アッシュ」の『彼女』が函南視点で自分が撃たれた姿を思い出すのは何故か?となる。これはキルドレたる記憶の曖昧さ、聞いた話の再合成から実体験のように記憶されてしまっている部分なのかもしれない。この『彼女』は他に相良と栗田を撃つ場面を思い出しているが、もしこの『彼女』が“~クロラ”の函南だとすると、“グレィドゥ~”のストーリーにあること、瑞季と共に栗田を撃ちに行ったことなど合点いかない部分が多くなり、結果として「“~クロラ”の函南は元々の水素」説が出、次いで「“~クロラ”の水素は影武者」説になり、仮定を膨らまし過ぎてシリーズ全体の構成がぐちゃぐちゃで無意味になってしまうのである。

 まあ、仮定を膨らまして楽しむこともできる作品、読み手にいろいろな受け止められ方をされるストーリー、ということで、とにかくトリッキーな内容だったということでしょう。普段から小説など読まない自分としての感想は、「読んでいる途中はとても面白いのに微妙にスッキリ終われない」というもので、著者の策略に見事に引っ掛かっているというところだろうか。きっと、小説の中のキルドレたちが、その自分たちの曖昧な記憶の中で生きるという状態、微妙にスッキリしない状態、それになった、ということなんだな。著者の言う「映像化は困難」という理由も、誰が誰なのか判らなくする意図から来るものだろう。

 まだまだ謎解きを語れそうな部分もあるけれど、あとは細かいからヤメちゃいます。とりあえず小説“スカイ・クロラ・シリーズ”に関する話題は終~了~。(疲れた)

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October 18, 2008

“スカイ・クロラ”の謎③

※.小説“スカイ・クロラ・シリーズ”及び劇場用アニメ“スカイ・クロラ”のネタバレを含みます。

 前回までは二大要素『戦争』と『キルドレ』、そして「劇場版を観て思ったことは小説で覆された」部分のことについてだったが、今回は「小説主体でのシリーズを読んで」の私なりの解釈や感想を少々。何度も言いますがネタバレ全開なので、シリーズを読もうとか考えている人は、小説を読み終えるまでこのブログ記事「“スカイ・クロラ”の謎」系を見ないほうが良いでしょう。

●普通の人間こそが謎を知っている? … キルドレたちが曖昧な記憶で生きているのに対し、普通の人間はそれなりにしっかりした記憶で生きている。

 フーコは、草薙水素が前線を離れていたときの話“ダウン・ツ・ヘヴン”以外には登場しており、様々な“時代”を客観的に垣間見てきた数少ない普通の人間だ。このような人間は他に笹倉が居て、次いで杣中くらいだろう。更に相良亜緒衣も居たりする。物語ではフーコとの接点や遣り取りが肝になっている部分が結構ある。第一は“グレィドゥ・ザ・スカイ”の『僕』との関わりだ。

 フーコは、“クレィドゥ~”の『僕』と一緒に、プチ逃避行をしている。それを楽しかった思い出として“~イクリプス”「スカイ・アッシュ」でフーコは『彼女』を相手に語っている。これは『僕』が女だったことを意味する。栗田ではないのだ。Wikiでは『栗田と思われる』となっているが、これは未読者の興を削いでしまうから?あえてそうしているのだろう。しかし勿論、それは“クレィドゥ~”までだけでも読み解けば判ること。例えば…

  • 病院を抜け出した『僕』がフーコに電話をしたときのフーコの言葉、「病院かぁ…。そうだったっけ?死んだと思ってたよ。」は、フーコが死亡情報を得ていたような反応であると共に、慕ってた栗田相手の言動としては何となく素っ気無い。
  • フーコの「あんたの前では(酒を)飲まなかったでしょう?」という話は、栗田には当てはまらない。“フラッタ・リンツ・ライフ”で栗田と二人きりのときに(館で)フーコは酔っ払っている。
  • 相良に電話をしている『僕』に、執拗に意味も無く絡む酔っ払いの男。それは『僕』が若い女だったからなのかもしれないと思える。
  • 相良邸で新聞記者杣中の話として草薙水素が堕ちて死んだこと、栗田が草薙に撃たれて死んだことが出てくる。フーコが得ていた死亡情報と同じと思われるが、内部組織による栗田の殺処分についてまで公表されるのか?は疑問で、フーコは知らなかった可能性もある。
  • 地下組織?のアジトに形式不明の戦闘機:散香があり、それを『僕』は「同じ機体に」乗っていたと言う。アジトの機体は胴体に機銃のあるタイプ(マークA~Dのアルファベット系統)であるが、栗田が「ずっと乗っていた(“フラッタ~”より)」のは主翼に機銃のあるタイプ(マーク7系統)である。
  • 「ブーメラン、飛んでいるか?」…耳の奥で、かすかに懐かしい声がする。(『僕』は草薙水素の可能性がある)

 でも、本当に“クレィドゥ~”の『僕』は女なのか?フーコや相良と一緒に寝てたり接吻したりしているじゃないか?と思われるが、それはそれ。女の友情?フーコと栗田の場合(“フラッタ~”)には身体を重ねあう表現があるが、『僕』との間には無い。フーコや相良と寄り添っていても関係がドライ、気持ちの問題なのだ。

 話を戻して、『僕』は「スカイ・アッシュ」で『彼女』になっている。フーコは喫茶店を営んでいる。ここに店を持てた、あの館からフーコが出て行けたのは、フーコは「クサナギ大尉から金をもらった」という館の女の話(土岐野が「アース・ボーン」で言っていた話)がある。草薙水素=『僕』がフーコに金をあげる理由は、“クレィドゥ~”で『僕』がフーコから少し金を借りており、返済を「きっと、送るよ。できるだけ沢山」と言っていることにある。

 結果『僕』こそ『草薙水素』なのだ。水素は“フラッタ・リンツ・ライフ”の最後「栗田不時着負傷」の後、エピローグ以前で堕ちている(杣中情報は本当)らしい。“フラッタ~”のエピローグは水素に相当すると思っている。喋れず、身動きできないほどに瀕死の負傷をしているのは栗田ではない、と思う。そこから“クレィドゥ~”につながっており、「それにしても、どうして、そんなに回復できた?」という甲斐の言葉になっているのだ。

 水素は“クレィドゥ~”以前、新聞記者の杣中に対し、栗田が娼婦と逃亡~殺処分についてを話している。だがこの「杣中に話をした記憶」は、その後に堕ちて瀕死となり記憶の混濁した水素(『僕』)が、病院を抜け出そうとする動機(ほかにも空に上がりたい一心もあるだろうが)を起こす記憶ともなり、娼婦=フーコと記憶が結び付いたために電話し、逃避行になり、途中で相良のことを思い出し…という展開が“クレィドゥ~”となっていると思われる。

 しかし、水素が堕ちる前に、水素が栗田を銃殺していることになると、“スカイ・クロラ”へつながらなくなる。“~クロラ”では栗田が死んだのは「一週間くらい前」と笹倉が話している。だが、堕ちた後の水素が『僕』の状態で栗田を殺しに行ける筈がない。“クレィドゥ~”では栗田はまだどこかで生きている。その後に死んでいる。水素が杣中に話した内容は作話で、、ロストック社は既に「栗田死亡」と情報操作している背景がある(“フラッタ~”で事件直後にロ社研究施設に転属となったのはこのためか?)のである。キルドレ研究をしていた相良亜緒衣との接点である栗田の存在を公から断ち切る必要があるからだろう。“フラッタ~”で栗田は相良に撃たれ、それが事件化、裁判化している。事件の背景が何なのかとマスコミは嗅ぎ回る。それが「ロ社から圧力を受けていたキルドレ研究のデータ(草薙水素)抹消に在る」ことを悟られてはならないからだろう。

 幸い、相良は事件を起こした要因に水素の存在があることや、「キルドレが普通の人間に戻れる」という可能性を、その社会的影響の大きさを認識していたために、警察でも裁判でも口にしなかったようである。それ故に、堕ちて入院していた『僕』こと水素に面会もできている。後に放免された相良の下に、病院を抜け出した『僕』が赴き、追手がかかる。研究者と最大のデータが揃っているわけだから、ロ社は黙っていない。追い詰められた結果、相良は自決を選び『僕』に撃たれて果てる。そして『僕』はロ社の下に戻ったのだ。おそらく、キルドレの秘密を握っていた相良が死んだことにより「キルドレが普通の人間に戻れる」という類の話題が矢面に立つ可能性は低くなり、栗田は再び前線に、そして草薙水素の下に戻った。これで“~クロラ”が始まる直前の舞台は整う。

 その後、栗田は何らかの理由で基地または病院を抜け出している。そして水素に銃殺されている。それは“~イクリプス”「ドール・グローリィ」で草薙瑞季の回想シーンが第三者の目である。栗田は基地または病院を抜け出し、女と逃亡先に居る。そこに水素が瑞季同伴で辿り着く。水素は栗田を連れ戻そうとするが、戻っても意味が無いと思った栗田が「もう、終わりにしましょう」と決心して水素に殺してもらうのだ。栗田は「水素の作話」に似たような状況で撃たれて死ぬという「偶然」が重なり、ストーリーが難解になっていると思われるのである。

 その約一週間後、函南は栗田の後任として赴任することになるのだが…。

 だがしかし“グレィドゥ~”には、更に“スカイ・クロラ”をも謎めいた物語としてしまう伏線がある。それはエピローグで杣中が函南に話した内容だ。半年前にアジトで散香に乗っていた『僕』が草薙水素だったこと、指揮官に復帰した草薙水素が別人のように見えたこと、むしろ函南が水素によく似ていること、だ。そして、“~イクリプス”にある数々のエピソードも相まって、ここでまたいろいろ仮説が出てきちゃうワケだ。

 また長々としてくるんで、今回はこの辺で。

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October 16, 2008

“スカイ・クロラ”の謎②

※.小説“スカイ・クロラ・シリーズ”及び劇場用アニメ“スカイ・クロラ”のネタバレを含みます。

 前回までは二大要素『戦争』と『キルドレ』について。今回は主に「劇場版を観て思ったことは小説で覆された」部分のことについて、私なりの解釈や感想を少々。もうここからはネタバレ全開なので、シリーズを読もうとか考えている人は、小説を読み終えるまでこのブログ記事「“スカイ・クロラ”の謎」系を見ないほうが良いでしょう。

●栗田仁郎の生まれ変わりこと函南優一、ではなかった? … 栗田の後任として函南が赴任することから始まるのが“スカイ・クロラ”である。栗田の愛機に函南が搭乗して違和感が無かったのは、栗田のコダワリの無さが要因したコックピットの素っ気無さと、函南と栗田が「信頼関係にあった」から気にならなかったのだろう。函南がミートパイを食べたことがあるような気がしたのは、栗田の記憶ではない「別の人」の記憶があったからだろう。三ツ矢碧が函南に言った「貴方はクリタさんの生まれ替わり」というのは思い込み。草薙水素が函南に言った「今度は貴方が私を殺して」は、劇場版だけの台詞であった。

 劇場用は、小説“ダウン・ツ・ヘヴン”刊行前にコンテ決定稿ができている。つまり、せいぜい“ナ・バ・テア”の部分までしか劇場用は加味されていない。それでいて押井監督の解釈でもあり、当然“ダウン~”以降の展開、特に栗田視点の“フラッタ・リンツ・ライフ”は反映されていないのだ。劇場用は「栗田・函南同一説」で構成されているが、小説シリーズでは同一ではなくなっている、ということなのである。

 小説に登場する栗田は、お世辞にもエースパイロットになるほどの腕前を持っていない。彼が生まれ変わることで函南ほどの腕前に昇華する理由が無いのだ。そして、小説で栗田は殺されていることは確かなようなので、それまでなのだ。

 では、函南は誰なのか?という話になる。実はここがこのシリーズの味噌だろう。これはまた後日。

●喫茶店の前に佇む老人は誰ってワケじゃない? … あの老人は何だ?という話題がある。誰かを暗示しているのかとか、誰かの生まれ変わりじゃないのかとか。劇場用ではひたすら無言で登場し、誰も何も説明しないので、見たまんま。想像や憶測しまくりのエッセンス。押井監督の何かの意図が込められているのかもしれないが…。

 小説では、“スカイ・クロラ”で土岐野尚史が老人について何かを待っているんだと函南に説明する。それを「神様かも」と言っている。“スカイ・イクリプス”の「スピッツ・ファイア」では、老人が店に来たパイロットなどに話をする。喫茶店の前を神様が通る、と。神様は天から舞い降り、2つの黄色く光る目があり、人よりずっと大きく、パチパチと火を吹くようなもの、白い布の服、などなど。きっと、喫茶店前に不時着する戦闘機とパイロットのことを言っているのではないか?と思われる。前照灯が目、火を吹くのはエキゾースト、白いパイロットスーツかパラシュートなんかを。

 で、「スピッツ~」で老人と話をすることになるバイク乗りの新任パイロットらしい「彼」が、赴任直後の土岐野だとしたら、喫茶店前に戦闘機で不時着、寄り道するクセのある土岐野の赴任前にも、同じようなパイロットがいたような話になる。老人がフーコらしき女から酒をもらい親しく話すのだが、それを「神様に会ったことがある。そのせいだ。」という。つまり、フーコの親しかった寄り道グセのあるパイロットと老人は親しかったから、フーコから酒をもらえたのだと。で、新たに来た土岐野も繰り返しの人生を送っている一人なんだよ、という話でもあろう。だからか、土岐野は自分の知らない自分の過去を知っているかもしれないフーコが苦手なのだ。

 「スピッツ~」で登場する新任パイロットを栗田と見ることもできるが、草薙らしき女性上司が既に何回か喫茶店に来ていることを考えれば、そんなに頻繁に草薙も店に来ないだろうし、一緒に転属してきた筈の栗田がかなり遅れて喫茶店に来たことにもなってしまう。栗田は借り物バイクで出かけることもあるが、専らクルマの人でもある。そう考えれば土岐野ではなかろうか、となる。草薙や栗田の転属と土岐野の赴任時期の前後関係は確かはっきりしてないし…。

 で、老人は何なのよ?(笑)まあ、土岐野の前身を知る者、か。

●草薙瑞季の生い立ちには謎が残った … “スカイ・クロラ”では自称「草薙水素の妹」、噂では「娘」とされている草薙瑞季。これは劇場用でも原作小説でも同じだ。劇場用では何となくロストック社の管理下に在るような感じだったが、どうなのか。

 出生後、父親であるティーチャーの元に引き取られ、義母と暮らしている様子を“スカイ・イクリプス”「ナイン・ライブス」に見られる。この中では瑞季であることの言明は無いが、“ナ・バ・テア”を読んでいれば必然的な話であろう。

 次に、“フラッタ・リンツ・ライフ”で草薙水素の母親の葬式前夜に登場する。瑞季は栗田に対し草薙水素の母親のことを「関係ない」と言い、「お父様が同じなの」と言っている。異母姉妹だという表現だが、この時の死んだ母親が結婚していた相手は水素の父親ではないことを、葬式会場に向かう車内で水素が栗田に対して話していることから、単純に2人の話を信じれば、死んだ母親の前夫が共通の父親かということになる。だが、葬式会場に前夫は居ない。瑞季は死んだと言っているからだ。瑞季がその場に存在する理由がなくなってしまう。そもそも瑞季は水素に呼ばれて来ており、仕込まれたデタラメを言っているに過ぎないこともあるのだけれど。

 実はこの「ナイン~」から“フラッタ~”に至るまでの経緯が全くわからない。水素がどうやって瑞季との接点を回復したのか。ティーチャーの元に居た筈の瑞季が草薙姓を名乗っているのはどういうことか。考えられることは3つある。瑞季がティーチャーの元よりロストック社側某組織に奪還された説が1つ。そもそも瑞季はティーチャーや水素のどちらにも引き取られていない説が1つ。残る1つは瑞季は草薙水素の娘ではなく妹説だ。

 ティーチャーに捨てられた説もあるが、それであれば元々引き取るようなこともなく、「ナイン~」のようなエピソードだけを語ってお終いというのも変である。きっとこの後、ティーチャーの元より奪還されている話(説)があるのである。水素が堕胎したときの医師の名は2人とも「相良」である。この2人“フラッタ~”と“クレィドゥ・ザ・スカイ”で登場する研究者、相良亜緒衣の父と兄であろう。この2人は「キルドレが元に戻る研究成果を隠蔽しようとする某組織」によって捕らえられ、自白剤で吐かされ、以後所在不明となっている。その際の自白で父親の身元が割れ、瑞季が奪還されているのではないだろうか。瑞季がキルドレと普通の人間との間の子という極めて少ないサンプルだからである。

 某組織とは、ロストック社情報部の特務部隊であろう。“クレィドゥ~”の最後、草薙水素とキルドレの秘密を握った相良亜緒衣と『僕』が逃げ込んだアジトに攻撃を仕掛けてきたのは甲斐率いる情報部の部隊だった。ロストック社はキルドレを利用している。キルドレが元の人間に戻れるようなことになれば、人権問題が強くなったり、パイロット能力が失われたり、戦闘員が不足することが考えられ、これまでの戦力構成が保てなくなるのだ。これを阻止するためには秘密を握るカケラ1つでさえ対外的に出してはいけない。研究されてはならない。部外の研究者などは抹殺してしまえば良いが、瑞季はそうはいかない。自社サンプルとして、もしかすると2大エースの子供として後の戦力になるかもしれない。そのための奪還が考えられるのだ。

 ロストック社側に奪還された瑞季のことは、水素に伝えられた。水素が不利な立場になることを指摘することにより、水素の軍への帰属意識、服従意識をつなぎとめようとする動きだ。そして瑞季は、ロストック社が管理する学校にて暮らしており、水素との接点が出来上がっていると考えられるのだ。だがこれは、ティーチャーに引き取られる以前に奪還されているケース(説)もあり、そうなるとティーチャーの元に居た赤ん坊は、水素以外の女との間に出来た子供ということになる。ティーチャーの余程な体たらく振りをエピソードにしているとは思えないので、この線は薄いか。

 次に妹説であるが、“スカイ・クロラ”において草薙水素はキルドレ歴14年と言っている。瑞季は10歳くらいというから、水素がキルドレ4年目に相当するときに生まれていることになる。実質の年齢差は最大22歳前後はある。これに異母姉妹ということを考えれば可能性は低くはない。瑞季の両親が死に身寄りが無くなったとき、水素が身柄を引き取ったということである。ティーチャーの元に居た赤ん坊は水素の子供ではあるが瑞季ではない。そういう線だ。“スカイ・イクリプス”「ドール・グローリィ」の瑞季の回想シーンで水素が栗田を撃つ前に「子供が見ている」と瑞季のことを言うが、これは実子という意味ではなく幼いという意味だろう。「ドール~」では結果として瑞季はキルドレではなかったようなので、そう考えれば瑞季は妹なのだという線でも落ち着いてしまうのだ。まあ、キルドレが完璧に優性で遺伝するものなのかという疑問もあるが。

 まあ、瑞季が居る、噂がある、水素が身篭るエピソードが出る、その赤ん坊が瑞季だという先入観となってしまう、そんな仕掛け。奪還だなんてドえらいエピソードがあったら楽しいけれど、きっと無いんだろうね。

 結局、決定的なものは得られなかったのだ。なんとなく妹。それに一票。

 他にもいろいろあるけれど、長くなるのでまた次回~。

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October 12, 2008

“スカイ・クロラ”の謎

※.小説“スカイ・クロラ・シリーズ”及び劇場用アニメ“スカイ・クロラ”のネタバレを含みます。

 著者・森博嗣の小説であり、監督・押井守の劇場用アニメでもある“The Sky Crawlers”には、その世界観やストーリーに多くの謎が存在する。「これって、どうなってるの?」と思うことが随所に出てくる。今では劇場用アニメの公開後ということもあり、多くの書籍雑誌などで解説がなされていることも多い。

 シリーズ小説を一通り読み終わったところで、それらの謎が大体の形として見えてきた。真相というところまでは解明されないことは仕方ないが、私なりに解釈をまとめてみた。まずは大きな部分からいってみようか。

●『戦争の背景』…この点は多くの書籍でも語られている。とにかく世界平和が実現している。国家間の争いなんかは特別には無い世界。しかし、人類は自らの平和を実感するために戦争を必要としている、という世界だ。そこで、戦争請負企業同士が戦争をしているという。

 数々の戦闘で繰り返される破壊、多くの企業軍人の死、凄惨を極めんとする報道が世界に配信されている。一般人の平和ボケ防止効果を狙ったものであろう。平和の価値を見失うことで新たな紛争へと安易に突入することも考えられる。身近に「関わりたくない戦争」が存在することで、世界は、世論は、安易に武力行使には至り難くなる。そのために実行されている戦争と考えて妥当であろう。小説“ダウン・ツ・ヘヴン”では、国家的デモンストレーションとして、都市上空(というかビルよりも低い位置)で戦闘機同士の模擬空中戦(一般人にとってはリアルな空中戦)が行なわれている。

 この戦争は、どちらか一方に軍配が上がり終結してはならない戦争とされ、これに伴い、軍事兵器にも関わる技術(特に物語中ではジェットエンジンの技術)の発展はあまり見られない世界となっている。革新的技術の確立は一方が優勢へと至ることになり、戦争が終わってしまうのである。

 他にも、経済効果などが考えられる。生産と破壊の繰り返しである戦争は、産業にも影響する。例えば、特に工業生産の停滞が見られる地域において拠点を構えれば、その地域の工業は息を吹き返すであろう。戦争の舞台が転々としているようでもあるので、このような事情も考えられなくはない。勝敗を付けてはいけない戦争であれば、その規模、予算もコントロール可能であろう。経済効果とも密接に関わっていておかしくないのが『ショーとしての戦争』だと思う。

 ただし、この戦争は一般人向けに情報統制されているが、ある程度は国家も含め、また加担した形で、偽装根拠?を付けた形で「普通の戦争」として伝えられている筈だ。そうでなければ、一般人の中から生じる「無意味だ」等の世論が大勢を占めてしまうことだって考えられ、当該国家などは政権維持が困難になることも考えられるからだ。一般人に対しては動機も状況もリアルな戦争であることが必然であり、揺るいではならない部分なのだ。本当の平和を維持するために。

 過去の教訓は活かされない。人類という大きな枠組みでは過去は歴史の1ページに過ぎないのだ。実体験をしてこそその酷さ、何かの尊さなんかが判る。そのためには、平和を維持するためには、常に「戦争」という舞台を、最中ではなくとも身近に置いておく必要が人類にはあっての『ショーとしての戦争』なのだろう。

●『キルドレという存在』…主要な登場人物、特にパイロットは『キルドレ』と呼ばれる人種?であることがほとんどである。戦争請負企業であるロストック社は、パイロットを全面的にキルドレ登用へと移行しつつあり、一般人パイロットは数を激減させている。ロストック社に在籍した頃のティーチャー(キルドレではないパイロット)も同様に「うちの会社は、もう俺みたいな人間を必要としていない。」と草薙水素に漏らしている(“ナ・バ・テア”)。

 では、キルドレとは何なのか。前述のティーチャーの言葉の後に、草薙水素との会話が続く部分にもヒントはある。~「(草薙)飛行機は作れても、パイロットは簡単には作れない。」「そうかな?」ティーチャーは少し笑った。~これはキルドレを用いれば、パイロットは簡単に作れるようになってしまった実情を示していると思われる。

 物語中によく登場する『キルドレの特徴』としては、「歳を取らない(不老)」「永遠に生き続ける」という存在であること、「思春期の姿のまま(おおよそ17~18歳)」であることが判る。“スカイ・クロラ”では三ツ矢碧が函南優一に対して話している内容「遺伝子制御剤の開発の途中で…」キルドレは生まれたとある。そもそもキルドレという名称はその新薬に付けられる筈だったらしい。

 キルドレを誕生させるのは「薬」の存在があり、これは“フラッタ・リンツ・ライフ”で明言されている。その薬が例の「遺伝子制御剤」の開発途上で生じた薬剤であることはほぼ間違いないだろう。この薬を服用または投与されると、身体は17~18歳で成長が止まり、また老化もしなくなるという状態がキルドレなのだ。

 肉体が老化を止め、永遠の生を手に入れたキルドレには、脳にも変化が生じたという。コダワリがなくなり、忘れっぽくなる。これは、絶えず脳が代謝を繰り返すことで記憶することが阻害される(記憶のネットワークが確固とならない?)ことから生じる症状のようだ。“スカイ・イクリプス”中の“スカイ・アッシュ”では、キルドレと普通の人間との記憶状態の違いを「一年草と多年草の違い」と比喩している。また、“クレィドゥ・ザ・スカイ”中に「肉体的な変化がなくなると、同じルーチンに対して、無意識に処理…、身体の動きが合理化…、処理経路が短絡化して、記憶に残らない。」という話もあり、忘れっぽさは脳活動の鈍化傾向にも一因があるようだ。代わりに反射神経なのだろうか、染み付いた経験情報は失われることがほとんどなく、過去を忘れた者であっても飛行機に乗れば、その操縦を身体が覚えている、という状況を作り出している。

 このようなキルドレたちを、戦争請負企業であるロストック社は利用し、戦線に送り込んでいる。ここで冒頭の話「パイロットは簡単に作れるようになってしまった実情」になるのだが、それはどういうことなのか。

 キルドレである草薙水素のことを企業が「兵器」として見ていることは“ダウン・ツ・ヘヴン”における甲斐と草薙水素との会話に直喩的に存在する。兵器として利用するにあたり、重宝すべき点は前述「…同じルーチンに対して、無意識に処理…、身体の動きが合理化…、処理経路が短絡化して…」という経験情報が戦闘に活かせることである。こういった状況判断や機体操作が短絡化していくことが、一瞬の判断が勝敗を分ける空中戦では大きな威力となる。キルドレは経験情報は蓄積される。

 その情報を何らかの形で抽出し、別の媒体へ「反映」させる。別の媒体とは「別のキルドレ」であって、この別キルドレ自体は飛行機に乗ったことがなくても、「反映」を受ければエース級パイロットと化してしまう、という推測だ。だが、小説中では明らかにそうだろう、という場面や、それしか考えられないという状況は、極めて少ない。考えられるのは草薙水素と函南優一の関係くらいであるが、両者の接点、特に後半部分が明らかではない。劇場中では、そのような節がある場面(クセという部分)は函南優一と栗田仁郎との関係にある。

 ジェットエンジンなどの機械技術は進展していないが、バイオテクノロジー系は著しく発展している世界であるから、いろいろと考えられてしまう部分だ。キルドレになってしまう薬は「現在は禁止」と“フラッタ・リンツ・ライフ”で触れられており、また「新しいキルドレが生まれてくることはない。」とも言われている。生命力が強いキルドレ故、一般人なら蘇生不能なレベルまで身体状態が落ち込んだとしても、キルドレ特有の救命措置なんかがあって蘇生するのかもしれない。あるいは短期的にクローンを作り出しているのかもしれない。かもしれない、じゃ、それまでなのだが。

 まあ、基本的に「コレだ!」という答えが提示されているストーリーじゃあないからね。

 では、次回以降は登場人物とストーリーの謎について、いってみようか。

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October 11, 2008

空を這いずって…⑦

※.本文は劇場用アニメ“スカイ・クロラ”及び小説“スカイ・クロラ・シリーズ”のネタバレを含みます。

20081007_01 小説“スカイ・クロラ・シリーズ”を数日前に完読。最後の短篇集“スカイ・イクリプス”で、多くの謎が解け、また残った。

 劇場用アニメから小説の本シリーズ作品に入り込んだ私としては、読んでいて想像されるキャラクターや風景、場面などが押井テイストに影響されることは必至であったが、ほとんど影響なく楽しめた。むしろ、美麗な空中戦が脳裏に甦り、ダイナミックで、華麗で、小説を何倍も楽しませてくれる要素になったことは確かだった。ただ、劇場用に固執し過ぎると小説内の解釈に支障が生じることもある。劇場用は劇場用として改編されたものであることは忘れてはならないだろうけど。

 簡単にシリーズを振り返ってみると、私的には次のような構成だったろうと思われた。

“ナ・バ・テア”(None But Air)…草薙水素がエースパイロットへと成りつつある話。ティーチャーの居る名門チームに女性初所属として赴任した直後あたりから物語りは始まる。草薙とティーチャーとの関わりの中に、ライバル、師弟、男女など様々な人間関係が描かれる。その中で、キルドレである草薙の身に偶然の変化が起きていた。

“ダウン・ツ・ヘヴン”(Down to Heaven)…エースパイロットとなった草薙水素は「会社」の貴重な存在となり、それを失いたくない「会社」は草薙を前線パイロットとしては使いたくなかった。輝かしい戦績を挙げた草薙を企業の広告塔として、軍の教官として、失敗の許されない国家的デモンストレーションの絶対的な切り札として、「会社」は利用する話。草薙は空高く舞い上がれない日常の中で、再び舞い上がるために「会社」と折り合いを付けようとするが翻弄され続ける物語。

“フラッタ・リンツ・ライフ”(Flutter into Life)…指揮官となった草薙水素と、草薙と同じくらい長くパイロットを続けてきた栗田仁郎の、自らとお互いを見つめた話。栗田の視点で物語りは進む。自身に変化の生じた草薙と、何も変わらない栗田。栗田は自分の気持ち、人の心について思いを巡らす。二人の間には「彼女」の存在があった。そして「彼女」は、彼らの秘密を握っていた。「彼女」の行為が二人を近づけ、また遠のけた。

“クレィドゥ・ザ・スカイ”(Cradle the Sky)…病院を抜け出した自身を失ったままの『僕』と、それを受け入れた孤独な女、それを利用した優しい女の話。『僕』は大切な人を守るために、空を駆け、空へ舞い上がる。そして『僕』は、再び「僕」に戻れた。

“スカイ・クロラ”(The Sky Crawlers)…函南優一は草薙水素が司令官を務める基地に、栗田仁郎の補充要員として赴任してきた。前任者の謎の死と草薙をつなげる噂。草薙はしきりに生死の話を問いかけてくる。自らと人の生き死にを考える物語。

 と、ここまでが長篇シリーズの私の感想というか構成の解釈。で、短編集“スカイ・イクリプス”の各ストーリーは次のような感じ。

“ジャイロスコープ”(Gyroscope)…整備工笹倉が自作改良パーツを密かに?草薙の機体で試していたりしたエピソード。(“ダウン・ツ・ヘヴン”の後に位置する話だと思われる)

“ナイン・ライブス”(Nine Lives)…ティーチャーがロストック社を去った後、ラウテルン社パイロットとなった後のエピソード。(“ダウン・ツ・ヘヴン”以降の話)

“ワニング・ムーン”(Waning Moon)…函南の過去の墜落エピソード。(時期は未特定)

“スピッツ・ファイア”(Spit Fire)…基地に最寄の喫茶店でのある日のエピソード。喫茶店のマスター、草薙、老人、フーコ、クスミ、そして転属してきたばかりのパイロット(土岐野?)の話。(“フラッタ・リンツ・ライフ”直前くらいに位置する話と思われる)

“ハート・ドレイン”(Heart Drain)…草薙が、初めて「会社」に利用されたときのエピソード。(“ナ・バ・テア”よりも前の話)

“アース・ボーン”(Earth Born)…フーコの新たな門出のエピソード。(“スカイ・クロラ”の後の話)

“ドール・グローリィ”(Doll of Glory)…草薙瑞季のその後のエピソード。(“スカイ・クロラ”の後の話)

“スカイ・アッシュ”(Ash on the Sky)…草薙水素のその後のエピソード。(“アース・ボーン”の後の話)

 という感じ。草薙水素は復活を遂げている。函南はどうなったのか?というと、他のエピソード中に登場する。

 さて、ここで最大の謎掛けであった“クレィドゥ・ザ・スカイ”の『僕』の存在であるが、“スカイ・イクリプス”中のエピソード2話で、ほぼ明らかになったと言って良い。それ以外にもいろいろ手掛かりはあったが、“クレィドゥ・ザ・スカイ”中で『僕』が「ある人」にした約束を某エピソードで果たされているのである。そして、『僕』は「ある人」に会いに行くエピソードがあるのである。

 これまで結構なネタバレ話を展開してきたけれど、次回以降はかなり全開でしょう。小説既読者には楽しめる?ネタになるでしょう。未読者の人は見ないほうが良い(つまらん)でしょう。

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October 05, 2008

空を這いずって…⑥

※.本文は劇場用アニメ“スカイ・クロラ”及び小説“スカイ・クロラ・シリーズ”のネタバレに相当する感想文などを含みます。

 とうとう小説“スカイ・クロラ”の長篇シリーズを読み終えた。一般的に時系列順と言われる順番で読んだ。最後は劇場用アニメでもあった“スカイ・クロラ”(The Sky Crawlers)であり、原作との違いなどを楽しめた。当然ながら、これまで読んできた小説シリーズ“ナ・バ・テア”“ダウン・ツ・ヘヴン”“フラッタ・リンツ・ライフ”“クレィドゥ・ザ・スカイ”の最終章でもある。「繰り返し」の物語と言えども完結編であるので、読み終えたときは一定の達成感を得られた。大体にして、小説5冊なんていう「量」は、これまでの我が人生でのトータル完読数を超えている(笑)のだから、それも当然か。

 シリーズ長篇5作品を読み終えたことで、物語全体に秘められた謎やら何やらを自分なりに解釈したようなものを含め述べるのはまた次。短篇集“スカイ・イクリプス”を読んでからにしても良いだろう。今回は“スカイ・クロラ”を読んだところまでの感想ということで、だらだらと。

 まず本作“スカイ・クロラ”を読むことで感じるのは当然、劇場用アニメとの違いであろう。押井監督によるストーリーの変化や、脚本伊藤ちひろ氏によるセリフの改廃圧縮などとの比較となる部分が目立ってしまう。これはこれで面白い。原作には原作の描写があり、劇場用には劇場用の意図がある。

 大きな違いは話の結末に相当する部分であって、劇場版が公開される前には「ラストが違う」ことが明らかになっていた。あとは劇場用としての時間的制約に合わせたり演出的な面の都合からの小改編くらいが目に付く程度。原作では「繰り返し」の話でもあるのだが、劇場版ストーリーでは続編が作られてもおかしくない結末になっている。「草薙水素」は「何かを変えられるまで」生き続けるのかも知れない、と。(そんな続編が押井目線で作られてほしいとも思う)

 さて、原作だ。原作では「ティーチャー」はそんなに活躍しない。確かに凄腕パイロットとして戦闘するシーンは原作中「大作戦」に出てくるが、劇場版ほど冒頭から、湯田川撃墜、函南撃墜など次々には出てこない。むしろ、「大作戦」くらいしか出てこない。あとは草薙水素が語る話題くらいであって、原作はあくまでも『僕=函南』を中心に回っている。これを草薙中心に据えたのが劇場版ストーリーであり、そのための脚色だと言えるだろう。ちなみに原作では湯田川は一般パイロットに撃墜されているし、函南に至っては撃墜されること無く精神的墜落で果てている。

 劇場版では「ティーチャー」を敵側の全面に演出し、「栗田仁郎」の存在を絡ませることで、「生きるということ」を表現していた。原作では直喩的な生き死にの話題も多く、この点では原作の意図する部分が判りやすい。どちらも「死を見つめる」ことが根本にあると表現されている感じだが、原作では「何度も自殺を失敗した」とか「いつ自分は死ぬと思う?」「いつ死ぬと決めている?」など草薙の言葉があり、死への執着が強く見て取れる。死なないキルドレ故に。草薙故に。

 その草薙は、原作ラストで函南によって銃殺される。これは函南流の優しさがあっての結末だが、劇場版の「今度はあなたが私を殺して」というセリフは無い。草薙が「栗田の生まれ変わりの函南」に対して執着していた感じは受けない。函南は栗田の何かを背負って存在しているが、もしかするとこれは函南も栗田も背負っていた共通のものなのかもしれない。それを周囲が誤解していて「生まれ変わり」と位置付けているに過ぎないのかもしれないな、とも思った。もちろん、本当に(人工的にだが)生まれ変わっていることだって否めないけど。

 「キルドレ」も、戦闘機「散香」も同じ。開発系統がある。バージョンがある。欠陥も見つかれば改良も施される。たまには不良品だって出るだろう。開発系統が同じキルドレ、同じ改良を施されたキルドレが、同じような記憶や技能、あるいは性格などの人間性で共通する部分を有しているのだろう。

 そんな背景ばっかりにアタマが回ってしまうのは、私がそういうものが好きだからだが、作品を読んで、実直な感想は?というと、面白い。没頭癖や思考葛藤癖(感情葛藤ではなくて)がある私には、各作品の主人公が考えたり発する言葉にも共感が持てることも多かった。空戦シーンの表現もシンプル且つダイレクトで、多くの領域を読者の想像に委ねていることが良かった。(逆に、飛行機の基本的な操縦機構と挙動を読み手が理解していることを前提にはされている)

 “スカイ・クロラ”及びそのシリーズは、小説から入った人と、劇場版から入った人とでは感想は異なるだろう。小説好きの人は前者で良いし、私のような読書嫌い?な人は後者で良いと思われる。私のような場合だと、小説のシリーズを読んでも脳裏に浮かぶ風景は劇場版の風景に裏打ちされてしまっていたりするが、それはそれ。小説から入った人が劇場版を観るときは、押井監督が原作“スカイ・クロラ”と“ナ・バ・テア”を読んで作った一つの解釈として捉えると良いだろう。

 美しい“空”が見れればそれで良いじゃないか。

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October 02, 2008

空を這いずって…⑤

※.本文は劇場アニメ“The Sky Crawlers”及び小説“ナ・バ・テア”“ダウン・ツ・ヘヴン”“フラッタ・リンツ・ライフ”“クレィドゥ・ザ・スカイ”のネタバレに相当する感想文などを含みます。

 「スカイ・クロラ」シリーズの小説“クレィドゥ・ザ・スカイ”(Cradle the Sky)を読み終えた。小説「スカイ・クロラ・シリーズ」のメイン“スカイ・クロラ”を残すのみ(短篇集“スカイ・イクリプス”を除く)となった。

 原作とは脚色が異なるが劇場版アニメ“スカイ・クロラ”を見ていることを踏まえると、一応はシリーズを一貫したゾ、ということにはなるけれども、原作を読まないと全体的な感想までは述べられないナァやっぱり。

 で、今回のお題“クレィドゥ・ザ・スカイ”は、シリーズ中で最も謎めいた雰囲気を持つとされている作品。時系列的に4番目。刊行順では長篇では最終の5番目。

 何が謎めいているか、というのは、シリーズで一貫して物語の語りべとなる第一人称が誰なのか、基本的に明確にされないままストーリーが進むことである。どの作品も『僕』がストーリーの中核となっているのだが、“クレイドゥ・ザ・スカイ”では、その『僕』を名前で読んでくれる周囲の人が居ないのである。もとより、『僕』本人ですら思い出せないのである。

 前作“フラッタ・リンツ・ライフ”からの流れであれば「クリタ」であろうと思われる。前作ラストで重症を負ったクリタは入院することになるのだが、本作は病院を抜け出すことから始まる。『僕』が言う怪我の理由にもつじつまが合う。だが…。『僕』の幻覚の中に登場するスイトは『僕』を「カンナミ」と呼ぶ。そして本作ラストに登場する恐らく同一人物?も「カンナミ」と呼ばれている。後者の「カンナミ」は“スカイ・クロラ”の「僕」であろう。

 「カンナミ」は“ダウン・ツ・ヘヴン”にも登場している。スイトの入院先で出会った少年であり、スイトが講師を務めたときの聴講生の一人であった。この時の「カンナミ」は入院(怪我)の理由も自身の名前も覚えておらず、周りが「カンナミ」と呼ぶから自分は「カンナミ」なんだと認識していた。そしてこの時の「カンナミ」は、“クレィドゥ・ザ・スカイ”の展開の中にある『僕』の状況とほぼ符合する夢を頻繁に見ていた。

 ナゼだ?

 劇場版アニメでは、単純には「カンナミ」は「クリタ」の生まれ変わりであって、その記憶の一部を共有している。もしかすると肉体(の組成?)も共有している。「クリタ」が「カンナミ」へと移行していく過程を作品に重ねると、“フラッタ・リンツ・ライフ”が「クリタ」の話で成り立ち、“スカイ・クロラ”が「カンナミ」であるから、その間の本作“クレィドゥ・ザ・スカイ”は「クリタ→カンナミ」への移行期にある『僕』の話とも受け取れる。

 だが…。

 “フラッタ~”では既に「クリタ」の目前に指揮官となったスイトが居る。それよりも前“ダウン~”においてパイロット時代のスイトは「カンナミ」に出会っている。その「カンナミ」が、『僕』の状況とほぼ符合する夢を見るというのは、ナゼなのか。

 “ダウン~”の「カンナミ」が既に“クレィドゥ~”にある夢の描写を経験済みというふうに時系列をいじってしまうと、スイト基準では「クリタ」以前にも「カンナミ」が居たことになる。ここが謎掛けでもあるのだろうか。

 そもそもシリーズ全てを読んでいないし、別に短篇集もある。また、物語の語りべである『僕』そのものが記憶や認識が混沌としているから、真実が無い。作者の意図は「キルドレ」というベールで面白く隠されているのである。

 もしかすると、“クレィドゥ~”は所謂「クリタ」の話でも所謂「カンナミ」の話しでも無い可能性だってある。この2人が共有しているパイロットとしての経験情報の根本が同じことによる「記憶のノイズ」という可能性だってある。キルドレが生産?される兵器の一部品だということを考えれば、だ。そして、新聞記者の話や生物学者の一言も絡めてくると、途中から「スイト」の話になっている可能性すらある。ここまで、「スイトがクリタを撃ち殺す」という“スカイ・クロラ”につながる描写は『僕』の幻覚の中でしかない。これを現実と見るか、記憶を現実化してしまっただけの幻覚と見るか、などという方向性によって、“クレィドゥ~”が何の物語なのかという捉え方がとにかく変わる。

 キルドレに宿る虚構と現実。それらが混沌としているストーリー。長編シリーズ5作目(長編最終刊行作)に当たる謎多き“クレィドゥ・ザ・スカイ”は、単純な時系列並びによる歴史の説明ではなく、世界観ともなっている「繰り返す日常」の中に生きるキルドレたちの記憶の物語なのかもしれない。

 キルドレと同じように混沌としたアタマで、いよいよ“スカイ・クロラ”へと突入だ。こうなったら短篇集もそのうちゲットだな。文庫本化はまだみたいだけれど…。

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September 28, 2008

空を這いずって…④

※.本文は劇場アニメ“The Sky Crawlers”及び小説“ナ・バ・テア”“ダウン・ツ・ヘヴン”“フラッタ・リンツ・ライフ”のネタバレに相当する感想文などを含みます。

 「スカイ・クロラ」シリーズの小説“フラッタ・リンツ・ライフ”(Flutter into Life)を読み終えた。結果的にはやはり2時間×2回の4時間で充分読み終えたことになるのだが、とにかく読む時間を取れない。仕事で午前様帰りになっていちゃどうしようもないか。どうにかしてくれ。

 本作“フラッタ・リンツ・ライフ”は、時系列的に前作までの“ナ・バ・テア”“ダウン・ツ・ヘヴン”にあった草薙水素が第一人称ではなく、栗田ジンロウ視点で物語は進む。

 クリタ視点で物語が進むことによって、スイト視点では表すことも無かったような部分なんかが語られるようになる。第一人称視点で進められる物語であるだけに、基本的に人間の内面性という部分が主となるような件が多いことに変わりは無いが、クリタ視点であることで相当違った観点だ。スイトは生き方や子供から大人への変遷みたいなものを見つめていたのに対し、クリタは自身は勿論、他者との関わりについても大きく語られ、そこに愛情があるのか、愛情とは何か、などという考えも展開されていたりする。冷めた考えであれば合点するところだが、当然クリタとて冷めているだけではなく、自然とそれに伴う行動のようなものは見せる。

 スイトは指揮官となり、クリタはスイトの赴任に併せて整備士ササクラと共に転属となっている。そこには“スカイ・クロラ”でも登場するトキノが居り、おそらくは“スカイ・クロラ”の舞台がここだ、という推測もできる。“スカイ・クロラ”にも登場する人物としては、クスミとミズキが登場することになる。

 物語の主要な部分として、「キルドレ」について語られる場面が出てくる。キルドレ研究者のサガラが登場し、この人物がスイトの幼馴染であること、研究の「成果」はたまたまスイトが「実証」していたことなどがあり、大きく関わってくる。スイトが○○によってキルドレではなくなった、普通の人間に戻ったという展開があり、スイト自身も自覚しているようであるから、今後の“クレィドゥ・ザ・スカイ”で更なる展開があるのか気になるところでもある。

 しっかし、クリタは忘れっぽい。そんなキルドレなのだ。執着が無いことはすぐに綺麗サッパリ忘れる。執着があればこそ、ボンヤリとだが覚えていられる。そんなキルドレだが、スイトや他のパイロット同様、空に居場所を求め、自由を探している。この構図は変わらない。クリタは最終的にスイト指揮下からは転属となり、諸々で“フラッタ・リンツ・ライフ”は終わる。今後、スイトとの関わりはあるのか?殺されるのか?分からないなぁ。

 さて、“クレィドゥ・ザ・スカイ”そして“スカイ・クロラ”へと進んでいくのだね。文字ばっかの本を、時間が無くとも読もうとしている自分が可笑しいですなぁ(笑)。

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