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November 30, 2015

2015年10~11月のこと。

 10月。

 早々に従姉が死んだ。母のようと言えば若く、姉のようと言えば大きい、そんな年の少し離れた従姉だった。悪性リンパ腫を十数年前に発症し、度重なる抗がん剤治療や放射線治療の影響で二次的な白血病にも陥っていた。9月初旬に見舞ったときはまだ足元もしっかりしており、私が帰る際は病棟のエレベーター前まで見送ってくれていたりもした。医者からは年内と告げられていたようだ。亡くなる前日より手足に痛みが生じていたそうだ。翌日には痛みが全身に及び、耐え切れないと判断した従姉は医療用モルヒネの投与を選択。意識が混濁する前に御子息を呼び話をし、モルヒネの投与による意識混濁、昏睡を経て、その日のうちに亡くなった。

 最早、全身が限界を迎えていたのであろう。

 通夜と葬儀は土日に行われ、葬儀には私の兄を除く、全ての従姉妹兄弟が参列できた。私の兄は顔を見せることはない。二十数年前に父との絶縁を宣言し、二度と戻らぬことを公言して出て行ったからだ。つまり、従姉の葬儀に参列できる同世代の従姉妹兄弟は全て参列できたこととなり、近年では稀に見る勢揃いであった。

 親戚一同や実家の父などが会したその折、様々な話を耳にした。

 ある従姉妹の旦那は婿入りで、いわゆる盃家に入ってきた身の上だったのだが、全国展開の有名企業で働きながらも社内では不届き者で、いろいろとやらかして盃家の名を汚して、離婚し去って行ったという。

 また、実家の隣の土地の擁壁が東日本大震災で崩れ、実家は危険な物件として住めなくなっていたのだが、隣の土地の所有者が擁壁の修復になかなか応じず、実家は借上げ仮設住宅での生活が長引いていた。行政側からも借上げ仮設住宅の費用等の問題もあるからと土地所有者との接触・交渉が進み、10月頃には擁壁の修復工事も終わり再入居可能となるはずだった。しかし、土壇場で土地所有者はずらかっていた。土地を転売したのだ。しかも、擁壁の修復を要する土地だとは売却先に告げなかったため、売却先も含んだ問題へと発展し、実家隣接擁壁問題は再び暗礁に乗り上げたのだ。

 様々な問題が生じていたのだな、と。後者は我が身のことと同義でもあるが。

 土日を通夜と葬式で過ごし、プライベートでの様々な問題に直面し、仕事での多忙と理不尽を抱え、過ごしていく10月。ふざけた話がてんこ盛りだ。

 今月末には、自分に用意していたご褒美がある。そこで、休める。

 疲れた気持ちを癒すべく。

 その前に、ちょっと余興で気分転換。

 オリオン座流星群を初めて狙ってみたが、思った以上に綺麗に流れる流星を何本も観測することができた。ピーク日の前日深夜から未明にかけての撮影だったが、とんでもなく良く晴れ、絶好の流星日和となった。ピーク日は空に雲が広がり観測できなかったことを考えると、ピーク日に有給休暇で前日夜から撮影という予定の立て方が結果大正解となった。風が強めで撮影機材にトラブルもあったものの、すこぶる楽しめた。

 気分転換も束の間。日々仕事では普段の多忙に加えて課を越えた仕事や歴代上司がやってきた仕事が今年からはなぜか私に回されてくるようなことがあったり、何度となく同じことを説明しても覚えてくれないそもそもやる気の無い気ままな感覚の人々多々の相手をしてきて、そして通夜だ葬式だ、従姉妹の元旦那がどうだ、実家の隣の土地がこうだ、やれあの仕事はどうなった、それこの仕事はどうしたんだ、と、疲弊しまくって土日なんかは生気を失っていた。

 でも、月末にはご褒美だ。生き返れる…かもしれない。

 そう思っていたのだが。

 右耳に違和感が出た。

 歩くと、真っ直ぐ歩けず右に身体が持っていかれてしまう。

 下を向くと右回りにめまいが生じる。

 右耳の違和感は閉塞感、圧迫感に変わった。

 耳鳴りが始まる。

 ザー、ゴー、ブーン。いろんな音の耳鳴りが繰り返す。

 顔色が悪いと仕事仲間に何度も言われる。

 それでも、今月中に済まさなければならない仕事は終えねば。

 そして、右回りだっためまいが左回りに変わる。

 アカンかもしれない…。

 けど、ご褒美は2ヶ月も前から用意していたものだ。

 手遅れ感が漂いつつも。

 いざ。

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 宮城県南部の温泉宿への宿泊。取得期限最終日まで残っていた夏休み休暇を消化しての宿泊だった。プライベートでの宿への宿泊は18年振りくらいのこと。本当はもっと旅行や温泉宿泊なんかをこれまでも楽しみたかったのだけれど、夜も土日も職場から電話が来るかもと考えてきたこともあり、実行に移せなかったのだ。

 仕事に嫌気が差しまくりの今年は、少しどうでもよくなって、自分を癒すことをしなければと思っていたのだ。

 が、手遅れで内耳性のめまいを引き起こし、それを引きずったままの宿泊か…。黒子甘党氏の運転で宿に到着し、フラフラしながらチェックインした。

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 仙台牛を始め、とてつもなく美味しい食事。いい湯、いい宿、いいスタッフの方々の対応に、生き返ったというよりも夢見心地。

 特に湯に浸かれば浸かるほど耳の不調が和らいでいるように感じた。

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 翌朝、一風呂浴びてから朝食。素敵な個室料亭で。

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 チェックアウトの時間まで、建物を撮ったりしてね。

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 でも、耳の調子が完全に戻ったわけではないのでフラフラと。(後で分かったことだが眼振もあったので、この時も視点が微妙に定まらない感覚があった。)

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 こりゃ、年に1回くらい泊まりに来ても良い素敵な宿だ。18年振りのプライベート宿泊に選んで大正解の宿だった。

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 帰り道は南蔵王の紅葉などを少し眺めつつ。

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 前日より少しラクになった耳と、かなり疲れの取れた身体を実感したのだった。来年は体調を万全にしてまた宿泊したいな、と。

写真系ブログ2015年10月の記事一覧 (温泉宿への宿泊は10月下旬だったこともあり、その記事は11月に掲載、11月記事一覧よりご覧になれます。)

 で、11月。

 早々に近所の耳鼻咽喉科を受診。温泉にゆっくり浸かったことで一時的には快方に向かったような感覚は錯覚。回転性めまい、耳鳴り、耳の閉塞・圧迫感。もうダメだ。

 検査の結果、右耳の低音に対する聴力低下が認められ、後方への重心動揺が確認され、眼振が認められた。メニエールっぽい。

 「とにかく休むこと。疲れないこと。」

 と、医者に言われてもねぇ…。日々疲弊しているし。

 ともあれステロイド薬の服用が始まった。12日間を4日で区切り、少しずつ服用量を減らして様子を見ることに。仕事は、急ぎではない用件ならば後回しにすることとし、残業をしないことにした。

 でも、メニエールっぽい私には容赦なく2人の上司から同時に我先にとあーだこーだと喋られまくって、耳の調子が悪い上に2人の言葉を同時に理解しなければならないという状況も生まれたり。同時に理解って、そもそも中身では意見が割れてたりするので、どっちがどの程度の考えで何をどのようにどの程度やればイイのか結論は出んのだが…。

 というか、こういう状況がメニエールを生んでいるのか…。

 ステロイド薬の服用治療では、序盤4日間が胃腸が締め付けられ厳しいものだった。中盤4日間になって胃腸はラクになったが、不眠などの副作用。終盤4日間以降、飲み終えて1週間ほどは汗のかき方がおかしいような時も。でも、序盤4日間は目覚しく耳の回復を体感し、左回りになっていためまいが右回りに戻ったり、その強さも日に日に弱くなっていった。中盤4日間以降は日々の回復は実感できなくなり、以降は週単位での比較で回復を実感するようになっていた。

 ステロイド薬の服用も終わる頃に耳鼻咽喉科を再診。一緒に服用していた血管拡張剤、末梢神経障害改善薬、めまい止めは今月一杯は服用継続。やっぱり「休んで。疲れないように。」と医者に言われたけど、ねぇ。

 転職でも本気で考えるか?

20151115_01
 中旬。従姉の納骨が無事に終わった。

20151115_02
 10~11月はいろいろあったが、ストレスを生じさせている要因をなるべく排除しようと考慮した。職場環境は現状どうにもならないが、とりあえず残業を最小限に努めた。21年振りに近所の鰻料亭に行き旨い鰻を食べてもみた。そして、気になっていたことにも着手した。

写真系ブログ2015年11月の記事一覧

 気になっていたこと?

 10年11万Kmを突破した、愛車のこと。

 詳しくは後日。

 さて、明日から12月だ。

 やっとこのブログもリアルタイムに戻るのか(否か)。

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