« 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編① | Main | 四ツ谷街道の放山迂回路:迂回路高巻きルート探索編 »

June 07, 2014

四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編②

201405_1_027
 峠を過ぎ、緩やかに西へと下り始める『迂回路』は分岐点に差し掛かる。メインルートは直進(画像やや左寄り)となるのだが藪が濃い。右へと分岐する道は下草も低くとても綺麗な路盤の様相を見せている。右のルートは「迂回路高巻きルート」だが、ここの探索結果は後ほど。一瞬躊躇するような藪の中、メインルートに身を投じる。

201405_1_028
 少し藪を掻き分けつつ直進すると、やや右にカーブした先は藪が濃いものの道筋は残っている。やはりここも少し掘り下げられた感じに道が通っており、一度道筋に入ってしまえばしばらくは迷うようなことはない。

201405_1_029
 少しずつ傾斜が出てくる真っ直ぐな下り坂。ここまで来ると近隣住民に限ったとしても人の往来は今では少ない感じの雰囲気だ。

201405_1_030
 道端の様子。石積みというより岩盤を掘り下げた部分が劣化した感じに石がゴロゴロとしている。こういった部分を見てしまうと、単なる山の抜け道という印象よりも、それなりに機能・整備していた街道の支線のようにも思えてくる。とは言え、きっと数百年も前の話。

201405_1_031
 斜度が出てきたなと感じた頃に『迂回路』は九十九折のように曲がりくねり始める。画像では分かり難いが、実際に歩くと進むべき道筋がしっかり残っており迷わない。しかし、曲がりくねった先に倒木があるようだ。

201405_1_032
 松の倒木が道を塞いでいたが、倒木下を屈んで抜けるだけのスペースはあった。ただし、倒木は上画像でも分かるとおり幹が途中から折れて引っ掛かってる状態。無理に倒木下を抜けたタイミングでドサッと落ちてきて下敷きに…ならないよう注意箇所だ。

 倒木に気を取られて斜面を下り過ぎてしまうと道の無い方向(上×方向)に歩みを進めてしまう。斜面に逆らわずに真っ直ぐ下りてしまう方向だ。最も足場の良い場所(下×方向)に進んでしまうと、道が続いているようで、すぐに行き場を失ってしまう。倒木下を過ぎたら左に回りこんで行くように歩みを進めるのが正解だが、この領域は道筋が明確に残っていないので注意が必要であった。なお、同じルートを利用して退却をする場合はこの倒木が道筋の目印になるので覚えておきたい。

201405_1_033
 倒木を過ぎたら斜面を下り過ぎずに左方向に回り込んで進むと、藪の中に「何となく道のように歩き易い地面」があり、あまり下らずに進む。方向としては南東方向になるだろうか。

201405_1_034
 斜度が出る地点から埋もれた排水路へと変わる。昔の道筋が排水路に転用されたのかどうかは定かではない。この排水路沿いをひたすら下って行く。

201405_1_035
 しばらく下ると右側の藪の奥に「黒い鉄柵」がチラリと見えてくる。ここで排水路から歩みを外す。排水路沿いは藪が酷過ぎてここから先は進めないのだ。

201405_1_036
 黒い鉄柵方向に藪を掻き分けて進むと、もう1本の排水路を越えることになる。その先には踏み跡がある。このルートを利用して退却するときは「奥側の排水路沿いを上って帰る」と覚えておくと良いだろう。

201405_1_037
 黒い鉄柵脇に出る。鉄柵の中は巨大なマンホール。地すべり防止対策に設けられた集水井であり、この穴に向かって何本もの集水パイプが地中に埋められている。また、歩いてきた排水路も地すべり対策のもの。表面の雨水は排水路で、地下水は集水井で排水し、地中の過剰な水を排す。地中に水が多く存在すると浮力が働き、地層の境界などで地すべりが生じ易くなるのだという。

 201405_1_038
 集水井を過ぎると地すべり防止工事の作業道に出る。最早ここは「放山地すべり」の中なのである。

201405_1_039
 上画像の左が集水井で、その脇から出てきた。右が作業道下り方向。過去の『迂回路』がこのような道筋ではなかったことは確かだが、近似値と考えて割り切るしかない。

201405_1_040
 作業道を少し下ると右手に木製の案内板?のようなものが立っている。

201405_1_041
 さらに少し下ると案内板とは逆側に、排水路に架かる木材の橋というか蓋がある。白矢印が案内板の位置。画像は進行方向とは逆向きに撮影している。この木材橋(蓋?)は人の通路として利用された形跡があるが、その奥は藪が濃くて道の姿は失われている。先程、排水路沿いを下って集水井脇に抜け出てきたが、排水路沿いに進み切れば以前はこの木製橋(蓋?)地点に出て来れたのかもしれない。

201405_1_0411
 木製橋(蓋?)の向かい付近には草に埋もれたベンチスペースがある。進行方向の右側にあり、ここから『四ツ谷街道』方向へと右に転進しても悪くない地点でもある。

201405_1_0412
 ベンチスペースの奥を調べてみたが、道筋のようなものは見受けられなかった。その後、ベンチスペースよりも下方の作業道脇を調べてみたが、作業道の下端付近でもあり、街道方向に向かう道筋の存在する位置としては低過ぎる位置のように感じた。ちなみに作業道を下り切ってしまうと文理ランドスケープ園芸専門学校の敷地へ出てしまう形となってしまうので、作業道を下り切った先までは進まないほうが良い。

201405_1_042
 木製の案内板地点まで戻る。案内板に表示は無く、何かを貼付していたようだが剥がれたようだ。案内板脇には木板の橋があり、この先に進めるようになっているのだが、その先は窪地沿いにロープが張られているだけである。板の存在が微妙であり、もしかするとここが街道沿いへの転進する場所か?と歩みを進めた。

201405_1_043
 そして板が渡す方向、ロープを無視した向こう側に緩やかな坂道が続いているようになっていた。窪地の底に通じることになるが、歩むには苦にならない傾斜である。

201405_1_044
 窪地へと下り切る直前に、窪地の対岸を見てルートファインディングを試みる。身を置けそうな場所は…と、上画像のように進んでみる。倒木や藪が酷くて窪地を横切るのが少し大変であった。

201405_1_045
 窪地の対岸を上り、少し藪を進んだらコンクリの境界標が埋もれていた。

201405_1_046
 正直、道という確証がない状態の『迂回路』。もっと綿密に一帯を調査すれば、もっと道っぽい?ところがあったのかもしれないが…。

201405_1_047
 たまに石が整然と並んでいる?ように見える場所もあったりするのだけど、道なのかどうか…。

201405_1_048
 そうこうしているうちに街道に接近。国道48号線を行き交う車両の様子が見えてくる。あと僅かだが、街道沿いに出るとすればこちらなのか?と歩みを進めるとするならば…。

201405_1_049
 藪が割と薄く急に視界が開ける場所。抜け出るとすればこの場所らしい。

201405_1_050
 四ツ谷街道=国道48号線に接近すると、足元にはコンクリート製の大きな側溝の蓋。「四ツ谷用水」の蓋だ。

201405_1_051
 出てきた地点より左側を見る。「四ツ谷用水」が道のように延びている。

201405_1_052
 右側を見る。「四ツ谷用水」が延び、この先で『迂回路』と『四ツ谷街道』が合流する地点となる。

201405_1_053
 用水路上を西に歩く。

201405_1_054
 最早、この辺りで合流か?

201405_1_055
 「四ツ谷用水」の地上部を歩き切った地点より、振り返って撮影した『四ツ谷街道』と『迂回路』の合流点。街道を東方へ向かう人からすれば分岐点だ。

201405_1_056
 『四ツ谷街道』と『迂回路』、西側分岐点付近の眺め。赤矢印付近が『迂回路』の峠、そこから左手の稜線近くに黄色破線「大迂回郷六ルート・葛岡ルート」が延びている。その少し下側に、途中でも分岐点があった黄緑破線「迂回路高巻きルート」があって、それは『四ツ谷街道』と『迂回路』の分岐点のすぐ近く、画像左側より下りて来ている。

201405_000_9_hanareyama_200803
 今回『迂回路』とされるルート(黄緑実線部分)を昭和22年(1947年)撮影米軍航空写真より道筋を想定して歩んでみたのだが、東側の基点~峠~九十九折地点(上画像でM字に見えるところ)まではほぼ昔ながらの道筋が同定できる状態にあった。九十九折地点から街道に出るまでの範囲は地すべり対策工事が行われていたりする影響もあるのだろうか、明らかな道筋として残存している感じはなく、半ば無理矢理に進んだ感は否めなかった。

 しかし、今回のルートが本当に『迂回路』なのだろうか?

 私は踏査する前から一つ疑念があった。『仙台市史特別編9地域誌』P249記事『「四ツ谷街道」と二つの迂回路』によれば『「諏訪神社筒粥記」の安永4年(1775年)12月条には、「四ツ谷海道」が崩れたため、放山の手前から回り道をして仙台城下に入るという記事がある』とある。引っ掛かったのは『放山の手前から回り道をして』という部分である。今回のルートでは「放山の只中より」回り道をすることになるのである。西方から来て東方の城下に抜ける『諏訪神社筒粥記』の記事。『放山の手前』とは何処なのか。

 「広義の放山」という考え方をすれば、現在の青葉区八幡6~7丁目付近が該当するのではないかと思われる。四ツ谷街道を西から来れば、その手前ということであるから郷六地区の東方、つまり旧広瀬村村境(旧仙台市と旧宮城町の境)辺りのような感覚となる。そうであれば、『諏訪神社筒粥記』内の『迂回路』とは『仙台市史特別編9地域誌』に示された『緑ラインの迂回路』ではなく、「大迂回郷六ルート」が真の迂回路か?と思えてきたりするのである。

 では「狭義の放山」、それでいて「多くの人が抱く放山の印象」というと、次の写真のような感じではなかろうかとも思われるのだが。

201405_104
 『広瀬川の自然』(昭和53年発行:仙台市教育委員会)に掲載された写真で「放山付近の急流」として紹介されている。流れの背後に迫る崖は狭義の「青葉山地すべり」による山崩れの崖と川の侵食による崖だが、この景色は四ツ谷街道沿いより派手に見えていたため、「青葉山地すべり=放山」という印象を抱き易いように考えている。ただ、それは上写真のような荒々しい姿がそのままだった頃の「青葉山地すべり」を知っている人の話として。

201405_1041
 撮影角度は少し異なるが、上画像は平成24年(2012年)12月の「青葉山地すべり」付近。崖はすっかりコンクリの梁で固められており、荒々しい雰囲気は少なくなっている。

 この「青葉山地すべり」ビューポイントより少し西側手前に例の『迂回路』への分岐点がある。遠い昔の時代も含め多くの人々がもし「青葉山地すべり=放山」という感覚を持っているのだとすれば、『仙台市史特別編9地域誌』で提議された『迂回路』は『諏訪神社筒粥記』にて記述された『迂回路』である、ということにもなるのであろう。

201405_105
 上写真も『広瀬川の自然』より。「放山地すべり」で生じた崖部分について矢印で示されている。当地が「狭義の放山」付近だ。上写真の撮影地点より左に90度向きを変えれば「青葉山地すべり」ビューである。人々がこの辺りを「放山」と言えば、上写真のような比較的地味な光景よりも荒々しい「青葉山地すべり」方向に目が向いてしまうだろう。

201405_1051
 ほぼ同じ位置から現在の放山地すべり地帯を望む。ほとんどの崖は生い茂った木々に覆われて見えない。そんなに「放山地すべり」が有名なのか?と疑問を抱いてもおかしくない穏やかな山々にも見えてしまう。

 ところが、当地は明治41年(1908年)5月15日に大規模な地すべりを起こし、四ツ谷街道を300m以上に亘って寸断させたというのである。つまり、当地の地形は『諏訪神社筒粥記』の安永4年(1775年)の頃より随分と変わってしまっているのであって、昭和11年『仙台市全図』では正確な当時の『迂回路』を特定できないことにもなってしまうのである。『~全図』に示された「緑ラインの迂回路」は、特に道程の西側一帯で「『諏訪神社筒粥記』の迂回路」とは道筋が異なってしまっている可能性がある。『緑ライン』全ての道筋が往時の『迂回路』そのものではない、ということは時系列的にも言い切れるだろう。

 また道程の東側一帯については本国寺脇(あるいは境内)を進むルートとなっていたが、本国寺は昭和10年(1935年)創建の比較的新しい寺であり、それ以前の山の様子は窺い知れない。河東碧梧桐の『三千里』明治39年10月27日~11月13日の項において三滝温泉と思わしき場所に滞在した旨の記録があり、また三滝は古くは旧仙台圏の十二支守護信仰の地であったり、明治期以前は修験道の場としてもあったようなので、本国寺脇よりも歴史的に古い三滝温泉側(一段低い側)の道に『迂回路』が元々存在したという可能性も考えられる。だが、温泉敷地道の入口(アスファルト道路から山に入るところ)左手には急峻な斜面がえぐられた様にあり、そこが古い石切り場であるという話は古くからの地域住民には当たり前のように語られてもおり、街道から石切り場までの道が現在の本国寺脇に仙台城築城の頃より存在した可能性も高いと思われる。

201405_107
 …という状況であり、「『諏訪神社筒粥記』にある真の『迂回路』」として現存すると言い切れそうな部分は、三滝温泉近くから山に入り現在の最初の難所である崩落地を過ぎたところから、峠付近、そして九十九折付近に至る範囲ではなかろうか、と思われる。山の谷間(切土部分か?)や掘割の中を道が進む区間のことである。この範囲以外は相当に様子が変わったり、当時のルートが厳密には定かではないと言えそうだ。

 さて、ここまで述べてきたことはあくまで私の推論に過ぎず、確証に至る要素も少ないのが現実。長々と述べたが、あまり意味もなく(特に地元以外の人々にとっては興味ないでしょ?笑)、独り言程度に受け取っていただきたい。

 独り言と言えば、やはりですね、上画像の赤破線部分の昔ながらっぽい雰囲気の道筋を歩いているときが一番気持ち良いですよ。

201405_108
 放山側から三滝方面への峠付近。もう少しで仙台城下が見えてくる-----。

 さて、周辺ルートに行ってみますか。(つづく)

|

« 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編① | Main | 四ツ谷街道の放山迂回路:迂回路高巻きルート探索編 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155453/59760973

Listed below are links to weblogs that reference 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編②:

« 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編① | Main | 四ツ谷街道の放山迂回路:迂回路高巻きルート探索編 »