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June 14, 2014

四ツ谷街道の放山迂回路:山屋敷ルート探索編

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 さて、『仙台市史特別編9地域誌』P249記事『「四ツ谷街道」と二つの迂回路』記事にて「諏訪神社筒粥記」に記述のある『迂回路』として提議された黄緑実線の道と、そこから分岐する幾つもの道筋を歩いてみるという当ブログ記事も最終章。今回は水色破線「山屋敷ルート」を行く。

 「山屋敷ルート」も『迂回路』の峠より分岐しているルートで、昭和11年(1936年)『仙台市全図』にも載っている道筋である。『四ツ谷街道』の放山付近を迂回するという印象は薄いルートではあるが、『迂回路』東端の聖沢橋付近より東の箇所で『四ツ谷街道』が不通となると、やはり重要になってくるルートでもある。場合によっては『四ツ谷街道』を西から東進して来た者が山屋敷方面に用件があれば近道となるルートでもあるので、利用価値はあったのかもしれない。ただし、車社会が訪れる前の時代の話ではある。

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 『迂回路』の峠、北側の斜面は送電線直下ということで定期的に伐採される箇所であるが、その斜面中央を送電線管理路(白色破線:画像左端)が上って行くのに対し、「山屋敷ルート」は斜面下を高度を上げずに東寄りに進む。伐採の影響か道筋が不鮮明だった。

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 送電線下の伐採エリアを通過すると道筋は左にカーブし、崖の上の林を進んで行く。林の中に入れば道筋は明瞭となる。崖の下は『迂回路』と一部並走していた温泉敷地道の奥側である。

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 しばらく進むと道筋が分かれ、右へ少し下る道筋が本来の「山屋敷ルート」だと思われるが、温泉敷地内であり木造の倉庫などあるために進入すべきではない。今は廃業した温泉宿ではあるが宿の所有者がお住まいである。私の推定では「山屋敷ルート」は温泉敷地内のほぼ中心を横切れる道筋と、宿場と畑地帯?の境界付近を歩む道筋との2つが考えられ、実際の「山屋敷ルート」がどちらであったかなど定かではない。上画像の右奥に進んで行った先で、その2つの仮定ルートは分かれているのだが、確かめようは無い。進入すれば侵入と受け取られかねないので入り込まないようにしたい。

 左の道筋は温泉敷地に入り込まないように進むルートで踏み跡があり、こちらを進むことにする。

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 ほぼ直進で進むと深い掘割にぶつかる。掘割は温泉敷地内(画像右側)より立ち上がっている道で、「山屋敷ルート」中の仮定「畑境界ルート」の一部だと思われる。つまり仮定「宿場中心ルート」より既に分岐した後の部分であって、「宿場中心ルート」は一部たりとも検証することが出来ない。

 掘割に下りて右に進むと温泉敷地内であるため、左に進む。

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 しっかりした掘割の道。昭和22年(1947年)の米軍航空写真で畑のように見えた範囲の東側に沿って進んでいたと思われる「畑境界ルート」は、おそらく掘割部分を完全通過する手前で右側に道筋が逸れていたはずであるが、今となっては右側一帯の藪も濃く樹林帯と化しているので道筋は分からない。なお、掘割の先には昭和30年代まで現役だった氷池や氷室の跡があり、もしかするとこの道で街まで氷が運ばれたのかもしれない、と思うと何だか心踊る。

 本来の「山屋敷・畑境界ルート」はこの先しばらく歩けず、元畑地帯?だった西側大外回り(掘割内のまま直進する白色破線方向)を迂回して進むことになる。

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 途中、元温泉宿の所有物らしきものが置かれている場所を通過する。掘割区間は終わっている。

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 正規のルートではない。手入れされているのは元温泉宿の関係だろう。

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 掘割だった区間以降は緩やかに右にカーブして進んで行く。

 それにしても綺麗に手入れされている区間だ。ここが本来の「山屋敷ルート」であったのなら少し感動してしまうくらいだ。

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 進行方向の左側に湿地のような場所が見えてくる。その奥に氷池と氷室の跡が点在している。(氷室跡探索のときの記事はこちら

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 氷池跡一帯から流れ出る小さな沢沿いに至ったら、右に折れて進む。

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 右折した先は仙台市水道第三号隧道上の送水路管理道。ここを進む。

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 程なく、第三号隧道出口(東端)の上に至る。何やらホースが置かれていて、隧道内よ排水した作業の形跡があった。

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 右奥に第三号隧道の扉。その脇より「畑境界ルート」は出てきていたのではないか?と推察。今では畑ではなく杉林だ。

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 第三号隧道出口と向かい合う第四号隧道入口前へと進む。

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 第四号隧道の真上を上って行く送水路管理道。その途中で右側から「宿場中央ルート」が出てきていたのでは?と推察している。

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 第四号隧道前の橋から進行方向右側、聖沢の川下方向を見る。奥のほうに温泉敷地の護岸石垣が見えるが、その上辺りをルートは進んで来ていたりしたのではなかろうか…と。あくまでも米軍航空写真から見えた朧気なラインからの想像に過ぎないけれど。

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 第四号隧道の上に進んだところからの右側の様子。隧道の幅に打たれたコンクリ標の地点へ、奥から「宿場中央ルート」が…と想像。住人のいらっしゃる敷地内へと続くルートなので踏査できないのが残念だが仕方ない。

 ともあれ、ルート本筋の先を行く。

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 送水路管理道を上る。ただし、この管理道が出来たのは当然、仙台市水道が敷設された大正期のこと。それ以前の「山屋敷ルート」は、昭和11年『仙台市全図』からは勿論、昭和22年(1947年)米軍航空写真からも読み取ることは出来なく、また実際に当地周辺を探索もしたが明らかな別ルートは見受けられなかった。

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 送水路管理道を間もなく上り切る。そろそろ左方向に転進したい。

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 左側を意識するが、明らかな道筋の分岐はないまま尾根に出る。

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 送水路管理道の頂上へ辿り着く。幾つかのコンクリ標が存在する。

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 ここからの景色が子どもの頃からのお気に入り。以前はもう少し視界が開けていたが、枝葉が随分と邪魔になっていた。

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 送水路管理道の頂上からは、管理道が崖上を少し下りながら進むのに対し、「山屋敷ルート」は下らずに左へと進む。ここの道筋はそんなに明瞭ではない。

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 左を向いた状況。何となく、松の間伐材が積まれた方向に踏み跡が…?

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 間伐材のところまで来ると、踏み跡も何となくあるような、ないような。でも進んで行くべき方向が分かるというか、そんな感じだ。

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 少し上ると、僅かずつだが歩くべき場所も判断できるようになる。道筋っぽく感じられるようになるのだ。

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 尾根に窪んだ道筋。この付近の稜線を斜めに横切る頃合から明瞭になってくる。

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 ただ、時折下草の存在で道筋の視認が悪くなる。

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 斜面をほぼ上り切った頃に、ゴロンと岩が転がっている地点がある。

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 少しこんもりとしたところの上に存在する岩。何だか不思議な存在だ。ひっくり返してみたら道標みたいな石碑だったり…しないかな。

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 ほぼ平坦となったルートは、道筋が明瞭だったり下草で不明瞭になったりを繰り返して、あまり蛇行せずに進む。

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 この道筋も、最近はそんなに歩く人が居ないのだろうと感じさせる僅かな踏み跡。

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 ひたすらほぼ真っ直ぐ進み、そろそろ道筋に変化が欲しくなってきた頃…。

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 木々の間に住宅地が見え始める。仁田谷地の住宅だ。

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 住宅地が近くなると道筋も不鮮明になり、どこを歩いて良いか分かり難くなるが、割とどこでも進めるくらいに下草は少なくなる。

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 住宅地寄りに歩みを進めると…。

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 住宅地脇の道路の砂利が積まれているところから出ることができた。ただ、この砂利山のところから出るのが「山屋敷ルート」の本筋かどうかは…不明。

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 道路を山屋敷方向に進む。ここからしばらく画像は進行方向とは逆向きに撮っている。矢印が林から出てきた地点。

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 道路が砂利道とアスファルトの境界になっている付近。この付近まで来ればもう「山屋敷ルート」の本筋であろう。以前の道筋が定かではないからそんな言い方になってしまう。

 ここで、ヨチヨチ歩きの子どもを連れた若い御婦人とすれ違った。簡単な挨拶を交わしつつすれ違ったが、細かな枝葉や蜘蛛の巣にまみれたまま歩く私の姿をどう思っただろうか?(笑)

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 再び住宅地の脇を通る道。畑もある。

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 道路は進行方向左(画像では右側)に折れて行くが、「山屋敷ルート」は直進となる。その直進する先というのは…。

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 森の中へ…。

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 森の中の道は僅かな踏み跡しかなく、藪も濃い。20年ちょっと前までは比較的容易に歩いて抜けられた道だが、今ではほとんど使われていない道のようだ。ここを突っ切ると…。

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 こんなところへと抜け出てくる。

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 民家脇、庭先を掠めるようなところへ通じている。(という事情もあって、今回この藪道区間は実際は歩いていない。)

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 進行方向を見る。「山屋敷ルート」の後半は現在の住宅地を断片的につないで今も道筋が生きている。

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 道筋は少しくねりながら下って行く。

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 少し左に曲がってさらに下って行く。

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 そして、うなり坂(鰻坂とも言う)を上り切った地点、理髪店と個人商店のあるT字路の脇へと出て終了となる。うなり坂を(画像左方向に)下れば『四ツ谷街道』に辿り着ける。山屋敷踏切は画像の右奥へと進んだ方向。

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 山屋敷踏切。今では国見駅と言ったほうがピンと来る人が多いだろう。左の道は藪道区間の手前で分かれていた新道方向の出口。パトカーが一時不停止車両を取り締まっていた。(細かな枝葉や蜘蛛の巣を身体より払い落としている私の姿も見ていたようだが…。)

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 ということで「山屋敷ルート」も探索終了。概ねの想定ルートを踏破することができた。このルートは後半が今なお人々の生活道として道筋が生きているという点が良い。車社会が訪れる前の時代には、どのくらいの人々が往来に使っていた道筋なのだろうか。

 さて、これで『仙台市史特別編9地域誌』P249記事『「四ツ谷街道」と二つの迂回路』記事にあった「諏訪神社筒粥記」の『迂回路』と、その支線をいろいろ歩いてみたシリーズ記事?もお仕舞いだ。久々に地元の山を歩き回った。少しは運動不足が解消されただろうか?

 そうそう、『仙台市史特別編9地域誌』P249記事『「四ツ谷街道」と二つの迂回路』記事の、『二つの迂回路』の内のもう一つは?とお思いの方も居られるかもしれないので簡単に触れておく。

 当該記事の『もう一つの迂回路』とは、関山街道の岩淵土橋(落合橋)が流失した際に広瀬川右岸(蕃山側)から左岸(権現森側)に渡れないときに城下への抜け道として利用した『御裏林(青葉山)ルート』のことであって、やはり「諏訪神社筒粥記」に記述があるのだという。郷六付近で青葉山に入り込んでいて、その入り口付近を『沼底通』と呼んだと言い、当地付近に「溜井(用水沼)」があることに関係している呼び名では?と考察されている。

 相当、ぬかるんでいたのだろうか?

 なお、私個人の感覚で「沼底通」を想像すると、「化石の森」ではなかろうか?と思ってしまう。沼底の堆積物=化石という印象だ。化石が露頭した沢(崖)沿いを歩く道筋が沼底を連想させたのではなかろうか、というのが私なりの見解。

 さてさて。(おわり)

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Comments

初めまして。散策や生き物の記事を興味深く拝見いたしました。
私も仙台市博物館の市史講座や仙台市市史地域編で放山の間道の話を見聞きし、調べてみたいと思っておりました。市史講座の講師の話では、道筋は残っているようだから、葉っぱが落ちた冬に地元の人に聞いて行けば分かるのではないかとのことでした。(行こうと思いつつも行かずじまい...。)ご貴殿の行動力に敬服しております。
地元の方たちが編集した本では「広瀬川沿いの国道が整備される前は本国寺の裏を抜けて葛岡方向への道があった」とあり、ご貴殿の歩かれた道のことではないかと思いました。

もう一方の御裏林の道は、「化石の森」近くのゴルフの打ちっぱなしの裏から植物園に続く道が、ため池などもあり、これに該当するのではないかと思っているのですが、良く分かりません。

多数の写真と詳しい解説に、誠実さと記録を残さなければという使命感を感じました。

またお邪魔いたします。

Posted by: | May 06, 2015 at 00:18

00:18様 初めまして。ご丁寧なコメントを賜り有難く存じます。

未知の山廃道の踏査は落葉期がベストなのですが、既知の道でもあり、市史地域編刊行直後の初夏に気持ちよく歩いてみました。

昭和11年当時の地図にも載る道筋、また市史の記事にも取り上げられて、単なる山道や抜け道程度ではなく、街道の重要な側道という位置付けで見るとロマン溢れる道筋なのだなぁと、地元民としても再認識した次第です。

御裏林の迂回路、沼底通経由口は仰る地点が最有力のように思います。生瀬橋付近から素直に青葉山に辿り着ける地点ですものね。ただし沼底通の位置を示す確たる手掛かりもなければ、青葉山に入り込む道筋も溜池も付近に複数存在したと思うので、結果何とも言えず…というのが私の正直なところでしょうか。

遊びの延長上でローカルな歴史遺構などを時々ですが記事にしていますので、よろしければ時々覗いてやってくださいませ。

Posted by: Sakazuki | May 06, 2015 at 22:33

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