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June 12, 2014

四ツ谷街道の放山迂回路:郷六・葛岡ルート探索編②

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 『迂回路』から「郷六・葛岡ルート」を進み、途中で「郷六ルート」への分岐らしき地点もあったが「葛岡ルート」へと進み、「常監木」コンクリ標地点まで辿り着いた。「葛岡ルート」は平坦となり、放山地すべり域の外縁に沿って西寄りに進む。道筋はそんなに明瞭ではないが、歩むべき方向は見失わない程度に続いている。

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 ご覧のとおり密林でも歩いているような感じだが、それとなく行くべき方向に踏み跡が僅かに存在する。

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 この画像では踏み跡も明瞭。それでも土地勘が無い人が歩けば不安かもしれない。気を抜けば見失ってしまうかもしれない道筋だ。

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 苔に覆われたコンクリ標があった。何の目的で打たれた標なのか見当も付かない。苔で覆われたままにしてその場を通過した。

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 道筋は微かなまま続く。見失わないためにも無闇に歩かず考えながら歩く。

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 「常監木」地点からしばらく進んだところで、道筋の三叉路となった。左に行けば「郷六ルート」へ行ける第2の分岐だろう。右は方向的にも「葛岡ルート」で間違いないだろう。

 いざ、ここから「郷六ルート」へ。

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 「葛岡ルート」から分岐した「郷六ルート」への道筋は、歩むべき道筋が分かる程度の状態から始まる。上画像で見ると単なる藪を写しているかのようにしか見えない。

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 それでもしばらく進めば道筋が明瞭な区間も出てくる。

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 でも、また道筋が不鮮明になったり。それでも現地に立てば進むべき方向はそれとなく分かる。画像では分からないだろうけど…。

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 道筋は進行方向左手の古い崩落斜面に向かって行ってしまい…。

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 消えてしまった…?この古い崩落斜面のような場所を真っ直ぐに突っ切った先まで行って調べてみたが、ノイバラ地獄で刺が身体に刺さりまくり。道筋と判断できる場所には巡り会えずに戻ってくることになった。「常監木」手前でも分岐していたかのような道は崩落地沿いを進み、もしかするとこの場所で合流をしていたのかもしれない。

 とりあえず先が気になり、この古い崩落斜面部分を右側から迂回しようと小高い部分へと歩みを進めてみたところに別の道筋が少し存在したのだが、猛烈な藪に阻まれて断片的な道筋で終わっていた。おそらくその小高い部分を越えれば「さつき台」が見えてくるかもしれなかったのであるが、辿り着くことは叶わなかった。「郷六ルート」ここで退却。

 後日。

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 さつき台側から様子を見てみた。上画像はさつき台の最深部東側外縁。おそらくこの付近に「郷六ルート」は通っていたはずなのだが、造成された住宅地の外縁でもあり、綺麗に整地され松の植えられた土手が広がるだけで道筋なんて見えなかった。防犯標語看板が随分と設置されている住宅地であるから、裏手の山に通じる道が現役で生きていてもらっても困るだろう。不審者の出入する道にもなりかねない。

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 さつき台の東寄り外縁部より青葉山、太白山方向を望む。もしかすると「郷六ルート」からはこのような景色が見える場所もあったのかもしれない。

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 「郷六ルート」の西端、『四ツ谷街道』との分岐点は、昭和11年(1934年)『仙台市全図』及び昭和22年(1947年)米軍航空写真によるとこの位置となる。ここから沢沿いを少し上り、さつき台の住宅地の南西端付近から北側へと進み北東へと進路を変え、「常監木」付近までのルートへと道は延びていたのだろうと思う。

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 このような感じに。このルートだと丘陵部と川に極端に狭く挟まれた範囲の『四ツ谷街道』を迂回でき、土砂崩れや地すべり多発範囲の多くをやり過ごすことができる。『諏訪神社筒粥記』の『放山の手前から回り道をして仙台城下に入る』という記述に該当するかもしれないと前に述べた理由は、この大迂回ルートの存在があってこそだった。こうして見ると、実際に黄緑実線『迂回路』の西側手前で土砂崩れでもあれば、黄色破線「大迂回郷六ルート」を行かねばならなくなるだろう。

 さて、「葛岡ルート」に戻ろう。

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 「常監木」から西へ進んだ地点に存在した道筋の三叉路。ここを右に進んだ方向が「葛岡ルート」ということになる。

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 やや北寄りに進路を変えることとなったが、頭の中の想定ではもう少し鈍角に進路変更するものと思っていた。航空写真上に起こした道筋に誤差があったかもしれない…と考えながら進む道筋。割と道筋と認識し易い状態であり、直進する。

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 道筋は続く。ほぼ直進的に進む感じで大きな進路変更は無い。

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 いい加減、どこまで直進的に進めば良いのだろうかと思い始めた頃…。

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 山中の道でも大きな道筋にぶつかる。

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 大きな道筋の右側を眺める。少し先で大きな道筋は右に折れている。ここはきっと…。

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 大きな道筋の左側。ずっと真っ直ぐな道筋。ここは仙台市水道の送水路「第三号隧道」上の管理道のはず。近くにコンクリ標があるので確認してみる。

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 コンクリ標に「仙水」の文字。間違いなかった。休憩を兼ねて少し周辺探索をしてみると…。

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 送水路管理道が右に折れる地点に古ぼけたコンクリ標。「仙水 大正十五年」の文字が刻まれていた。直下の「第三号隧道」が竣工したのは大正6年(1917年)のはず。その9年後にコンクリ標が打たれたことになる。88年間の年月はコンクリ標の鉄筋をも剥き出しにするほど。

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 もう1本あった。こちらの劣化具合はまた少し違うようだが、同じように鉄筋は剥き出しになっていた。

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 奥から真っ直ぐ伸びてきた送水路「第三号隧道」は、大正十五年のコンクリ標の直下で向きを変えているようだ。画像奥からの直線に対してではなく、向きを変える方向(画像では左後ろ方向)に対して並行に2本が打たれていた。

 さて、ルート探索に戻る。

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 「葛岡ルート」が「送水路管理道」にぶつかった正面には道筋は続いておらず、ややクランク状に道筋が続いていた。

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 ほんの少し送水路管理道を歩いて、その道筋の入口。

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 しばらく真っ直ぐ道筋は進む。送水路「第三号隧道」と並走する仙山線の「山屋敷隧道」の上をも越えたかな、という頃合に…。

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 左へと道筋はカーブする。

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 左にカーブして以降、再び真っ直ぐな道筋。送水路や仙山線の隧道とほぼ並行に、南西に進んでいるだろうか…。

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 道筋を塞ぐ松の倒木。左側の藪を抜けて回避する。

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 松の倒木を回避した先には別の道筋が見え、右に回り込んで行く「葛岡ルート」と接合している。コンクリ標もある。

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 コンクリ標が2本ある地点から進行方向を見ると、道筋は土手を上がっている。土手の先は随分と開けており、松林。墓園に辿り着いたようだ。

 先を急ぎたくなるが、コンクリ標2本が肩寄せ合っていることが気になる。

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 境界標のようだが…1本は古い。刻んである文字も判読が難しい。位置的には…旧仙台市と旧宮城町の境界だ。葛岡墓園内でも同じような境界標を見たことがあるが、やはりそれも旧市旧町の境界付近だった。それとももっと昔の旧七北田村と旧広瀬村の境界標だろうか?

 そんな思案をしつつ、道筋の土手を上がる。

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 そこは、造成したものの使われていない墓地区画の隅。個人的に想定していたよりも少し北寄りに出てしまったようだ。

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 墓地隅から左方向には側溝が設けられている。しかし道筋はない。

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 右側には道筋が。こちらを進んでみると…。

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 芝生の綺麗な墓地に出た。

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 戻って、道筋の無かった側溝沿いを進んでみると…。

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 墓園の道路が見えてきて。

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 矢印のところから出てきた。「葛岡ルート」ここまで也。

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 結果、「葛岡ルート」は後半が想定よりも少し北寄りに進んでいた(赤破線部分)。これが葛岡墓園の造成などの経過を経て変わってしまった結果なのか、そもそも航空写真へのルート落とし込みの時に謝った結果なのかは分からないけれども、ともあれほぼ想定どおりの位置に達していた、何より踏破できたことは満足だった。なお「葛岡ルート」を横切る形で追加した灰色破線は仙台市水道第三号隧道の一部分。その直上を管理道が延びている。

 今回のルート探索では一帯の「放山地すべり」に関連する斜面の縁や崖崩れ地点、「常監木」標の存在など、地形とその歴史を感じる部分も散見された。また、大正期竣工の仙台市水道第三号隧道、昭和4年仙台・愛子間開通の仙山線山屋敷隧道(放山トンネルとも言う)の2本の隧道が併走している(高度差はあるが)箇所の上も横切り、時代といったものへ思いを馳せられる道筋でもあった。

 ただ、過去の時代への思いを馳せると同時に、未来への憂いというか心配事もある。

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 手元の古い資料から放山付近の地すべりの概況図を見つけた。広瀬川対岸の青葉山地すべりも含んでいるこの図を現地の地形で考慮すると、地すべり内帯とは主に「地すべりが生じたことに起因する地形をしている範囲」と見て取れ、地すべり外帯とは主に「地すべり地形ではないが内帯の影響(地形変動等の影響?)が出ている範囲」と考えられる。外帯範囲内に存在する「導入路」とは第三号隧道であり、×印は亀裂箇所とされているから、おそらく水道局関連の資料図と思われる。地すべりに起因すると思われる亀裂が隧道内に生じた際の資料図なのだろう。この外帯範囲には第三号隧道と仙山線までも含まれ、何をきっかけに本格的な地すべりを起こすか…などと考えてしまうと少々心配になるが…。「地すべり進行予想帯」は広域だ。そこまで進行するには数百~数千年も要するのでは、とは思うが。

 古地図に載っていた道筋という以外に、立派な地すべり地域を体感するという点でも価値のある道筋なのかもしれない。安全とは言えないけれど。

 さて、最後に残ったルートの探索に参りましょう。(つづく)

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