« 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編② | Main | 四ツ谷街道の放山迂回路:郷六・葛岡ルート探索編① »

June 08, 2014

四ツ谷街道の放山迂回路:迂回路高巻きルート探索編

201405_2_000
 前回までは本命『迂回路』のことで歴史的背景とか変遷とかで説明や推測などの文章が多かったのだけれど、今回からは『迂回路』の支線や別ルートの探索記事で、少しは文字量が減りそうである。

 さて、今回は上画像の赤矢印地点からの黄緑破線「迂回路高巻きルート」の様子を記事にする。昭和11年(1936年)の『仙台市全図』には存在しない道だが、昭和22年(1947年)の米軍撮影航空写真には道筋らしきラインが見えるルートだ。

201405_2_001
 『迂回路』の峠の少し西側地点で分岐するこのルート、随分と清清しく森の中に佇んで始まる。傾斜地を水平に横切り、均整のある路盤は森林軌道跡っぽさすら感じるくらいである。森の奥に緩やかにカーブして消えて行く道。歩くのも気持ち良い。

 しかし。

201405_2_002
 あれほど綺麗な道はカーブを過ぎてすぐに古い崩落地帯を迎える。路盤らしき形跡は失われ、斜面に僅かな踏み跡を残して奥へと続いている。少し小振りのコンクリ標が路盤中央に存在している。土地の境界標なのか、地形測量の関係なのか。コンクリ標自体にもだが、最寄の木の枝に青いビニール紐が目印的に巻かれていた。紐は少し劣化していたので、数年前にでも測量されたか何かしらの作業が行われたらしい。

201405_2_003
 路盤崩落部の斜面を進む。崩落した分は高度を下げるが、基本的には斜面を下らずに水平に進む。周辺に比べれば下草も少なめだが、もう道というよりも踏み跡程度の状態。一部には滑落しそうなほどの足場の悪い範囲もあった。

201405_2_004
 崩落範囲にも、基礎部分を浮かした状態で小振りのコンクリ標が点在していた。

201405_2_005
 路盤崩落部を進んで行くと、道筋が左にカーブし始める。山の斜面形状に沿って進んで行く感じだ。

201405_2_006
 左カーブに進入すると今度は崖の崩落部の下を横切る地点となり、多量の倒木が転がっているエリアとなる。下草も随分と茂り踏み跡も見えなくなるが、○印内に青いビニール紐が巻かれた枝があり、道筋を想像することができる。おそらくここは…。

201405_105
 昭和53年(1978年)発行『広瀬川の自然』(仙台市教育委員会)にあった放山画像の最右側矢印の崩落地の下、その只中だ。

201405_2_007
 青いビニール紐の地点より奥に進むが、全く道筋が分からなくなり、藪も私の背丈を超えた。身動きが取り難い藪の中で、ビニール紐の目印がなぜか付けられていないコンクリ標を一つだけ見つけることが出来たが…。

201405_2_008
 このモミの木の下地点以降は道筋を仮定すらすることができなくなった。先程のビニール紐なしコンクリ標は、このモミの木の右側(画像の外側の藪の中)に存在した。ここ以降の地形は侵食や崩落の影響か複雑な起伏で、何より藪が濃過ぎて前進を阻まれてしまうほどだった。もう少しで地すべり防止工事作業道にアクセスできそうな気がするのだけれど…。

 敢え無く撤退…。

201405_2_009
 続いて、本元『迂回路』経由で工事作業道周辺を探索する。上画像の下側赤矢印地点からだ。

201405_2_011
 作業道を上る。真っ直ぐな坂道だが微妙な起伏の揺らぎがあり、道から周辺地形を読み取れて散歩するには面白い直線だ。

201405_2_012
 右側に集水井が現れる。推測では、このもう少し上の地点で「迂回路高巻きルート」は作業道と交差しているはずなのだが…。

 作業道を少し上って左側を気にして見てみると…。

201405_2_013
 ここがその道筋なのだろうか?緩やかな傾斜地(画像では左側が下の傾斜)の中に平坦部というか築堤のように奥へと続く地形が読み取れる。ただ、それなりに藪が発達しているために進むのは諦めた。

201405_2_014
 作業道の右側には、推測していた道筋は見る影も無い。この先に、先程撤退したモミの木地点があるはずだが…。

201405_2_015
 とりあえず作業道を上の突き当たりまで進む。

201405_2_016
 突き当たりを右に進むが、舗装路はすぐに藪に呑み込まれている。

201405_2_017
 藪に入ると作業道すら消滅しかけている。ここから道を外れた範囲を少し進んで遠くの様子を窺ってみると…。

201405_2_018
 先程撤退したモミの木の先端が見えた。距離にして30mも無かったのか。それであっても進入を阻む藪の勢いは凄い。このルートの踏破は諦めた。

201405_2_019
 折角なので、作業道の突き当たり左側にも進んでみる。やはり舗装路はすぐに藪に埋もれかけているが、こちらは踏み跡がしっかりしている。

201405_2_020
 奥へ進む。パッと見は山道っぽいのだが、足裏の落ち葉の下には舗装路の感触。

201405_2_021
 この作業道の左脇、山の斜面で言う少し下側に「迂回路高巻きルート」が存在しているはずなのだが、藪と木々でその姿を確認することはできなかった。

201405_2_022
 作業道の果てには平成2年に設置された放山地すべり自動観測管理センターという名の小屋があった。これ以上はどこにも進めず撤退。

 さて、この地点の一段下くらいの山の斜面の位置で「迂回路高巻きルート」は街道方向に道筋を向け…。

201405_2_023
 本元『迂回路』と『四ツ谷街道』との分岐点近くに、住宅地を抜けて出てきている。この「迂回路高巻きルート」の存在とは何なのだろうか?

201405_2_024
 黄緑破線「迂回路高巻きルート」の全容は分からなかったが、作業道を挟んで東側の多くは踏査することができた。散見される小振りなコンクリ標が気になった。

 まず、米軍撮影の航空写真に道筋が見えていたことから、昭和22年(1947年)当時には何らかの用途に使われていた道と思われる。散見されたコンクリ標は昭和53年発行の『広瀬川の自然』掲載写真の崩落地の下であっても失われず(後に設置?再設置?され)現役で使われていた。考えられるのは、本家『迂回路』の迂回路か、明治の大地すべり以降の変動の観測(測量)に用いられてきた道か、だ。土地の境界線を明確にするために道のように整地しコンクリ標を設置した、とは考え難い立地環境だ(そこまでする価値のあった土地とは思えないのだ)が…。

 私は、『迂回路』の峠近くから分岐してすぐの路盤のあまりの平坦さと、路盤中央に敷設されたコンクリ標の存在から測量用の道と考えるのだが。今となっての崩落部分はどうしようもないが、測量標を設置する当初に綺麗に整地すれば以後の測量も実施し易い。このルートが大地すべり域の中央付近を横切っている点も興味深い。でもまあ『迂回路』の迂回路だった道を測量用に転用した可能性も否定できないけれども。何より全体的に勾配も緩く、大八車など引いてでも上れそうなルートでもあるように感じたが…。さて。

 昭和53年(1978年)6月に宮城県沖地震が発生した際、当地では地すべり観測値に顕著な変動が見られたことから以後、多くの地すべり対策工事が行われることとなった。(これまでも見受けられた排水路や集水井の設置のほか、35m長20cm径の鋼鉄管を2m間隔で地盤に打ち込む抑止杭も一帯に施されている。)つまり、宮城県沖地震の以前から観測は続けられてきたということでもある。

 しっかりと整地された路盤だったような道だけど、昭和11年『仙台市全図』には載っていない道。測量の用途に使われたらしき道。もしかしたら『迂回路』の迂回路。

 ということで、あれこれと悩み続けても仕方がないので、次のルートの探索に行くことにしましょうか。(つづく)

|

« 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編② | Main | 四ツ谷街道の放山迂回路:郷六・葛岡ルート探索編① »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155453/59772087

Listed below are links to weblogs that reference 四ツ谷街道の放山迂回路:迂回路高巻きルート探索編:

« 四ツ谷街道の放山迂回路:メインルート探索編② | Main | 四ツ谷街道の放山迂回路:郷六・葛岡ルート探索編① »