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June 21, 2012

不動沢横坑探訪記

 先日探訪を果たした旧大倉発電所跡。その機会を得るに至ったのはlot49snd氏からの情報提供によるものであったが、lot49snd氏がちょうど仙台市水道創設期の施設をブログ記事で紹介していたこともあり、その掲載資料から私が第三号隧道の入口へと辿り着くことができた、という話も余談として少し触れた。(その記事は→こちら

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 画像は再掲だが、上は第三号隧道入口。この系統の隧道は第一号~四号から成り、仙台市青葉区西部の大倉川や青下川(青下ダム)で取水された水が中原浄水場を経て荒巻配水所まで送られる送水経路上に点在している。私は第三号隧道の出口や第四号隧道の周辺山間部を幼き頃からの遊び場としていたので馴染みが深い施設であった。

●第三号隧道や第四号隧道,仙台市水道創生期施設に関係する記事一覧
→2007.5月「近所歩記
→2008.10月「廃橋の謎解き散策
→2008.11月「青下散策・再び
→2008.12月「埋もれる大正期遺構探訪

 lot49snd氏の仙台市水道創設期施設関連の記事を見て、第三号隧道の入口ということ以外にも思い出したことがあった。それは、ハタチ過ぎの頃にクワガタ探索をしていて分け入った山腹に存在した謎の隧道出入口の存在であり、5年ほど前にも再訪しようと探索したが辿り着けなかった場所のことである。ハタチ過ぎの頃に偶然辿り着いた時にはモノクロ写真を一枚撮ったのだが、それも今では行方不明。再訪しようとしたときには記憶が曖昧で辿り着けず撤退を余儀なくされた思い出がある。

 lot49snd氏のブログ記事に掲載されていた送水路図と、謎の隧道出入口に遭遇した辺りの地図を見比べると、第二号隧道が折れて進路を変える辺りに謎の隧道出入口が存在するであろうことが想像できた。在るとすれば第二号隧道の横坑…なのかな。

 ということで6月初旬に再々探訪に出掛けてみた。

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 で、現地到着。この場所には沢があり、御不動様が祀られているようで、その不動尊に関した看板がいくつか見られる。ハタチ過ぎの頃にここから奥に入って行って謎の隧道出入口を発見したわけだが、再訪時はあまり奥まで探索せずに撤退している。当時の記憶的には道路のすぐ近くに隧道があったような気がしていたからだ。

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 御不動様があると言っても日頃から手入れが行き届いているような場所ではなく、道路から一歩入り込むと草に覆われた橋の上を通って薮と化した道を進むようになる。

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 橋の欄干。シンプルな鉄管で構成されていて年代を感じさせる。

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 橋の欄干に引き続き、朽ちかけたガードレールが見え隠れしている。薮化した道は、以前は車両が通行していたくらいの道幅が充分にある。

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 お稲荷様が祀られている一角がある。ここから先は道筋から逸れて沢のほうへと向かうように薮こぎして進む。と…。

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 あった!謎の隧道出入口だ。沢の対岸に広くフェンスに囲まれて、その隧道出入口は存在した。

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 赤錆びた鉄扉で閉ざされた隧道。持っていたカメラには標準ズームレンズを装着していたので、これ以上は画的に寄れない…。一度クルマまで戻って、望遠レンズを装着した別カメラも持ってくることにした。

 その戻りの道中、沢向かいの斜面に道らしき平坦部が存在することに気が付いた。もしかすると…隧道前まで辿り着くためのルートが沢の対岸に存在するっぽいゾ?…と目で辿ったら、ああナンダ、あの辺なのか…。

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 ということで車まで戻り、さてもう一台のカメラを引っ張り出して再突入。先程の御不動様入口ではなく、その少し脇、路肩のデリネーター付近から入って行くと「道らしき平坦部」へと辿り着けそうだなぁと分け入った。…ら。

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 道だよ…明らかに。こっちを知ってりゃ苦労せず隧道出入口を拝むことができたのだろうに(汗)。

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 先程渡った御不動様入口の橋を横に眺める。古いが割としっかりした橋。車を停めた道路の旧道にあたるのかな…。御不動様用に架けられたものとは考え難い。

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 サクサク歩いて、隧道出入口周囲を広く囲んでいるフェンスまで簡単に辿り着いてしまった…。ルートが分かると呆気ない道程である…。

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 フェンスの扉には当然の如く?南京錠。奥のフェンスが途切れた先には有刺鉄線。近付かせてもらえない、ということだ。

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 フェンスの上に望遠レンズを付けたカメラを掲げて隧道出入口をライブビュー撮影するも、隧道の名を記した扁額が木の葉に隠れてよく見えない…。ということで沢を渡って、先程眺めた位置へ移動。

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 ほぼ真正面から望遠でドドーンと撮影。「不動沢横坑」と銘打たれている。第四号隧道や第三号隧道の扁額と比較すると、まず読む方向が右からではない。字体も異なる。横坑だから装飾関係は省かれているとしても、時代的には大正期のものとは言えないのか?

 もしかして…。

 大倉川&青下ダムから中原浄水場へと続く第二号隧道の横坑ではなく、大倉川からもう一つ延びている国見浄水場や塩釜へと水が供給されている送水ラインの横坑なのか?国見浄水場が完成したのは昭和40年(1965年)だ。間もなく50年経過という横坑…と言われたらそう見えなくもない。

 とりあえず国土地理院の航空写真で付近の様子を年代を追って見てみた。昭和36年(1961年)頃には車道と言うには心細い道が走っており、御不動様の橋の存在は確認できなかった。昭和45年(1970年)になると車道のように明瞭な道となり、橋の存在も確認できて旧道だったことが窺えた。昭和49年(1974年)になると沢沿いに護岸工事か何かの形跡が大きく見えるようになった。

 …国見浄水場が出来た時期を境に道の拡幅と橋の建設が行われた、のかな。旧道は直線ルートを避けてわざわざ不動沢横坑の前(沢の対岸付近)へと回り込んでいるようにも思えるので、もしかすると旧道の橋っていうのは不動沢横坑と特別な関係にあったということなのだろうか。というか、拡幅された道(私が車を停めた道)すらも不動沢横坑の登場に深く関係しているのかもしれない。

 この地を再々訪して、何だか余計な謎を背負ってしまった気がするが…。またいつか水道記念館にでも行って調べるなり聞くなりしてみようかな、と思った。

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Comments

未知の隧道出口があったとは。
青下水源地に関連する施設や遺構は調べれば調べるほど奥が深いですね。
扁額の文字や簡素な坑門の仕上げから、ご推察の「国見、梅の宮」系の横坑の可能性が高いようですね。
続報を期待しております。

Posted by: lot49snd | June 23, 2012 at 07:43

この横坑も、十数年前に偶然辿り着いていなければ私も知る由も無いままでしたし、例え他の施設や遺構に興味を向けていたとしても気付かない存在だっただろうと思います。
「国見・梅の宮」系の横坑があるのだから、創設期の第二号隧道の横坑も近くに存在しているのかな、と考えていますが…送水経路上から考えるとこの場所以外に思いつくところも無いんですよね…。
続報が出せれば幸いなのですが(汗)。

Posted by: Sakazuki | June 24, 2012 at 15:23

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