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June 2012

June 21, 2012

不動沢横坑探訪記

 先日探訪を果たした旧大倉発電所跡。その機会を得るに至ったのはlot49snd氏からの情報提供によるものであったが、lot49snd氏がちょうど仙台市水道創設期の施設をブログ記事で紹介していたこともあり、その掲載資料から私が第三号隧道の入口へと辿り着くことができた、という話も余談として少し触れた。(その記事は→こちら

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 画像は再掲だが、上は第三号隧道入口。この系統の隧道は第一号~四号から成り、仙台市青葉区西部の大倉川や青下川(青下ダム)で取水された水が中原浄水場を経て荒巻配水所まで送られる送水経路上に点在している。私は第三号隧道の出口や第四号隧道の周辺山間部を幼き頃からの遊び場としていたので馴染みが深い施設であった。

●第三号隧道や第四号隧道,仙台市水道創生期施設に関係する記事一覧
→2007.5月「近所歩記
→2008.10月「廃橋の謎解き散策
→2008.11月「青下散策・再び
→2008.12月「埋もれる大正期遺構探訪

 lot49snd氏の仙台市水道創設期施設関連の記事を見て、第三号隧道の入口ということ以外にも思い出したことがあった。それは、ハタチ過ぎの頃にクワガタ探索をしていて分け入った山腹に存在した謎の隧道出入口の存在であり、5年ほど前にも再訪しようと探索したが辿り着けなかった場所のことである。ハタチ過ぎの頃に偶然辿り着いた時にはモノクロ写真を一枚撮ったのだが、それも今では行方不明。再訪しようとしたときには記憶が曖昧で辿り着けず撤退を余儀なくされた思い出がある。

 lot49snd氏のブログ記事に掲載されていた送水路図と、謎の隧道出入口に遭遇した辺りの地図を見比べると、第二号隧道が折れて進路を変える辺りに謎の隧道出入口が存在するであろうことが想像できた。在るとすれば第二号隧道の横坑…なのかな。

 ということで6月初旬に再々探訪に出掛けてみた。

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 で、現地到着。この場所には沢があり、御不動様が祀られているようで、その不動尊に関した看板がいくつか見られる。ハタチ過ぎの頃にここから奥に入って行って謎の隧道出入口を発見したわけだが、再訪時はあまり奥まで探索せずに撤退している。当時の記憶的には道路のすぐ近くに隧道があったような気がしていたからだ。

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 御不動様があると言っても日頃から手入れが行き届いているような場所ではなく、道路から一歩入り込むと草に覆われた橋の上を通って薮と化した道を進むようになる。

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 橋の欄干。シンプルな鉄管で構成されていて年代を感じさせる。

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 橋の欄干に引き続き、朽ちかけたガードレールが見え隠れしている。薮化した道は、以前は車両が通行していたくらいの道幅が充分にある。

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 お稲荷様が祀られている一角がある。ここから先は道筋から逸れて沢のほうへと向かうように薮こぎして進む。と…。

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 あった!謎の隧道出入口だ。沢の対岸に広くフェンスに囲まれて、その隧道出入口は存在した。

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 赤錆びた鉄扉で閉ざされた隧道。持っていたカメラには標準ズームレンズを装着していたので、これ以上は画的に寄れない…。一度クルマまで戻って、望遠レンズを装着した別カメラも持ってくることにした。

 その戻りの道中、沢向かいの斜面に道らしき平坦部が存在することに気が付いた。もしかすると…隧道前まで辿り着くためのルートが沢の対岸に存在するっぽいゾ?…と目で辿ったら、ああナンダ、あの辺なのか…。

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 ということで車まで戻り、さてもう一台のカメラを引っ張り出して再突入。先程の御不動様入口ではなく、その少し脇、路肩のデリネーター付近から入って行くと「道らしき平坦部」へと辿り着けそうだなぁと分け入った。…ら。

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 道だよ…明らかに。こっちを知ってりゃ苦労せず隧道出入口を拝むことができたのだろうに(汗)。

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 先程渡った御不動様入口の橋を横に眺める。古いが割としっかりした橋。車を停めた道路の旧道にあたるのかな…。御不動様用に架けられたものとは考え難い。

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 サクサク歩いて、隧道出入口周囲を広く囲んでいるフェンスまで簡単に辿り着いてしまった…。ルートが分かると呆気ない道程である…。

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 フェンスの扉には当然の如く?南京錠。奥のフェンスが途切れた先には有刺鉄線。近付かせてもらえない、ということだ。

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 フェンスの上に望遠レンズを付けたカメラを掲げて隧道出入口をライブビュー撮影するも、隧道の名を記した扁額が木の葉に隠れてよく見えない…。ということで沢を渡って、先程眺めた位置へ移動。

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 ほぼ真正面から望遠でドドーンと撮影。「不動沢横坑」と銘打たれている。第四号隧道や第三号隧道の扁額と比較すると、まず読む方向が右からではない。字体も異なる。横坑だから装飾関係は省かれているとしても、時代的には大正期のものとは言えないのか?

 もしかして…。

 大倉川&青下ダムから中原浄水場へと続く第二号隧道の横坑ではなく、大倉川からもう一つ延びている国見浄水場や塩釜へと水が供給されている送水ラインの横坑なのか?国見浄水場が完成したのは昭和40年(1965年)だ。間もなく50年経過という横坑…と言われたらそう見えなくもない。

 とりあえず国土地理院の航空写真で付近の様子を年代を追って見てみた。昭和36年(1961年)頃には車道と言うには心細い道が走っており、御不動様の橋の存在は確認できなかった。昭和45年(1970年)になると車道のように明瞭な道となり、橋の存在も確認できて旧道だったことが窺えた。昭和49年(1974年)になると沢沿いに護岸工事か何かの形跡が大きく見えるようになった。

 …国見浄水場が出来た時期を境に道の拡幅と橋の建設が行われた、のかな。旧道は直線ルートを避けてわざわざ不動沢横坑の前(沢の対岸付近)へと回り込んでいるようにも思えるので、もしかすると旧道の橋っていうのは不動沢横坑と特別な関係にあったということなのだろうか。というか、拡幅された道(私が車を停めた道)すらも不動沢横坑の登場に深く関係しているのかもしれない。

 この地を再々訪して、何だか余計な謎を背負ってしまった気がするが…。またいつか水道記念館にでも行って調べるなり聞くなりしてみようかな、と思った。

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June 10, 2012

旧大倉発電所跡探訪記:04

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 左岸側の盛土敷地から下流側へ降りると、右手には放流口。生い茂った草木に埋もれるように存在し、半ば忘れ去られていた感というものを目一杯に表しているように見える。

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 たった今下りてきた階段と盛土の壁の様子。盛土はコンクリートで擁壁を成し、排水性が悪いからなのか階段の途中の段から排水用のものと思われる管が口を開けていた。盛土敷地上にはレンガ積みの基礎部分が顔を覗かせている。

 この階段下の近くにもコンクリートの壁のような小さなものが建っていて、脇に四角い桝を備えているものだったのだが、用途は判然としないものだった。

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 大倉川の上流側へ進むと、盛土敷地の角に辿り着く。画像左奥に下りてきたコンクリート階段、右に石積みの階段があり、それぞれ敷地に上がれたようだ。苔生してはいるがコンクリ擁壁は形をしっかり残しており、角のエッジも見事に保たれたままだった。

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 コンクリ擁壁上から落とされた排水スリット。盛土から外側の敷地には外溝などの形跡があるようには思わなかったが、埋もれているのかな…。それとも以降は垂れ流しだったのか。

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 石積みの階段。なぜ石積みとコンクリと、異なる組成の階段が存在しているのかな…。どちらか後世に追加されたりしたものなのかな?真意は分からず…。

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 それにしてもシダが繁茂していて階段ということが分かり難い…(lot49snd氏の記事では下草が生え始めの頃なので、階段という様子が見て分かる状態となっています)。ここの階段を上がってみる前に、もう少し大倉川を上流方面に歩いてみることにした。

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 すぐ近くに、埋もれるコンクリ基礎?が存在。盛土の敷地外でも何かは存在していたようだ。

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 大倉川右岸を沿うように道の形跡が存在。もうちょっと歩いてみる。

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 割と歩いた先で、石積みが埋もれている場所があった。この辺りには旧発電所との関係があるのかないのかは知れないが、所々に何か建物などが存在していたのだろう。

 そして来た道を戻り、シダに埋もれた階段を上がってみることにした。

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 シダの石積み階段を上がると一面下草だらけ、おまけにノイバラだらけでチクチクゾーンとなっていた。そんな下草の中から突き出た鉄管が一本…。水道?ガス?何のための配管なのだろうか。

 ノイバラの中を詳しく探索するには気が引けたので、敢え無く敷地の中心部分に戻ろうと決意。レンガ造りの建屋である「四角い穴」を上から見てみることにする。

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 さてここは、アーチ窓上部の左岸側。レンガの部分(画像左:下流側)とコンクリートの部分(画像右:上流側)とあるようで橋のようにはなっているが、その間は空洞になっているようで穴が見え隠れしている。迂闊に踏み込むと踏み抜いてしまう…というだけではなく、見た感じにも崩落しそうな可能性もあるので中心付近までは進みたくないなぁ…。

 慎重に片足だけ乗せて、いざ建屋内部を覗き見ると…。

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 …。ポッカリ開いた丸い穴の存在が深さというか高さというかを更に演出して、また足元が崩れないという確実な保障は得られない老朽構造物の上から見下ろすとなると、怖いものだな…。

 画像奥側が送水されてくる上流側と言うことになる。向かって右側、左岸寄りの奥と手前の二箇所に円形の開口部が設けられており、それぞれから水車ユニットを通った後の水が下部に流出されていたのだろうと想像できる。流出口が二箇所…。水車が二つあったのか、二つの流出口(吸出管)を備えた水車ユニットだったのか、片方は単なる水抜き配管用の穴か…。旧大倉発電所は建設計画時に「ジーメンス・シュッケルト社製の出力750kwの三相交流発電機を備え」とあるのだが、375kw発電機が二機あったのだろうか?なども考えてしまう。750×2=1500kwだと当時の近隣発電所の相場から考えて大きいように思えるし。穴は二つだが単に一機ということも考えられる。

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 ちょっと引き気味に撮影。奥に階段が見える。階段に向かって左側が水圧管路。そんな位置関係だ。

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 奥側、つまり上流側に開いた穴を覗き見る。手前にコンクリート製の構造物があるために全貌は見えない…。

 ので、今居る左岸側から右岸側へ移動。アーチ窓の上を渡れば最短距離で1~2秒で行けてしまうが、崩落してしまう危険性を考えると行き急がずに迂回。階段前を経由して左岸側へ。

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 左岸側へ辿り着き、もう一度手前側、つまり下流側の流出口付近を見下ろす。

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 流出口が接する左岸側の壁には凹部が設けられており、空間が確保されている。配管か水車ユニットの設置に配慮した空間と思われるが、その凹部は下層の放流口内部まで引き続いているようだ。

 詳しくはないが、水車には縦軸と横軸、回転方向などによって方式があるという。この建屋の中に水圧鉄管と水車ユニット、それに発電機を全てB1F床上に収めるというには取り回しなどを考えても狭過ぎる気がする。どんな方式で発電していたのだろうか…。軸回転を上層まで伝達して地上階に発電機があったのだろうか…。

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 目線を上に移す。水圧管の基礎であったと思われるコンクリブロックと、用途不明のコンクリ柱二本を備えた構造物。専門家の人が見たならば推測の域を脱して答えが出るんだろうなぁ…。

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 梁を支えていたであろうレンガアーチ。目線を少し下流側へ移す。

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 同じように崩れたレンガアーチの上部にはH鋼材が、そしてその脇からは鉄筋が見えていた。

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 更に下流側へ目を向けると、先程渡らなかったアーチ窓上の部分がある。

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 アーチ窓の部分を見ると、窓枠から杉の幼木が生えているのが分かった。このままではこの窓もいずれ崩壊してしまうだろう。

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 アーチ窓と流出口の位置関係。流出口以外にも床には小さな穴があるのだけれど、それは単なる崩落箇所か?…。この穴のあるフロアには容易に降り立つことはできなさそうだが、崩落の危険性を考えるとむしろ無理して立たないほうが賢明だろう。

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 上流側へと目を移す。内部から生えた杉木立が邪魔して一望とは行かない。

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 水圧管路を通ってきた水が建屋内に入り込むところには、溶断された鉄管が付いたままのようである。

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 上流側の流出口。穴の際から杉木立が生えている。

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 上流側からあらためてレンガ建屋内部を覗き込む。どのように水が取り回されて水車ユニットを通り、どこに取り付けられていたか定かではない発電機を回し…。想像すればいろいろ考えられるなぁ…。

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 さて、一通り旧大倉発電所の跡地を見回り終えた。

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 竣工後100年。退役後半世紀余り。旧大倉発電所跡はこれから先も森の中に埋もれ続け、更に深く埋もれて行く事になるのだろうが、史実の中ではその存在をダム湖の底ではなく地上に在るものとして受け止められて行くことになるのだろう。いや、なってほしい。

 旧大倉発電所の施設配置について、以下に簡単にまとめたい。

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 こんな感じだろうか。上の図示には記載は無いが、旧発電所放流路と大倉川の合流点より少し下流に、現大倉発電所の放流路と大倉川の合流点がある。…余談となる?が、この点が実は気になっている。なぜ現発電所の放流路は約1kmもの距離を備えているのか。なぜ現発電所の比較的最寄の河岸に放流していないのか。なぜ旧発電所の方向へと放流路が延ばされているのか。

 Wikipedia大倉ダム記事中【補償】には「(旧)発電所を改造し~取水口を新設して発電を行う」という文言がある。単純に考えると、改造という言葉を使うには旧施設を何か用いていなければ成り立たない言葉のような気がする。それにしては旧発電所と現発電所は離れ過ぎており、全くの別物のように感じてしまう。つまりは…。

 現発電所は、旧発電所の導水路の一部を放流路として使っているのではないか?ということ。現発電所の放流路を大倉川合流点より開口向きと逆向きに直線で遡ると、旧発電所の地上導水路付近を通過する。旧発電所の導水路が地上に現れる地点より上流側を放流路として転用し、下流側を地下に新設している、という妄想?だ。こう考えることにより…。

 妄想は加速する(笑)。私が「旧発電所は現発電所に施設や敷地を取って代わられたものだと思い込んでいた」要因であった「改造」という言葉への単なる執着なのだけども。

 ダム完成後も旧発電所は導水出来ていた可能性があるのではないか?と。ここまでが「ダム建設補償で言う改造」の範囲であって、当初の「取水口新設」想定。その後、竣工後半世紀近くを経た旧発電所設備の手狭な現地更新よりも、ダム直近で充分な落差(水圧)が得られて建設自由度も高い最新設備ハイパワー化を含んだ新築移転の実施に至ったのが「電力会社が施した改造(?)」の結果となっている、と。

 ダム建設と発電所「移転」。その「移転」が「改造」という表現に値するか否か微妙な線。ダム建設による補償交渉において当初から「移転」が具体視されていたのであれば、既存水路の一部を転用する程度で「改造」って言葉を使うのかな…。もしかするとダムの立地や新設取水口の状況が明らかになった後に、電力会社が移転の検討を始めて、現況に至っているのかもしれないな、と。妄想の連鎖だけど(笑)。

 さらに妄想(汗)。いつ旧発電所は稼動を停止したのか。

 当初改造想定、結果移転状況、いずれにしてもダム完成後、現発電所の稼動直前まで旧発電所までは現発電所経由で導水でき、稼動できていた可能性がある。旧発電所放流路に転がっていた制限開閉器の製作が1960年(昭和35年)11月。その頃まではほぼ確実に旧発電所は稼動していたのだろうし、その後しばらくは稼動させる見込みもあったことになろう。大倉ダム完工が1961年(昭和36年)6月。現発電所の運用開始は宮城県等のデータでは1961年(昭和36年)7月、発電開始は国交省データベースで1962年(昭和37年)5月18日とある。さて、旧発電所はいつまで稼動していたのか…。

 放流水発電という役割も担えたかもしれないが…。

 …実は1960年製の制限開閉器、現大倉発電所の建設時のもので、その後に壊れて処分に困った電力会社関係者が旧発電所放流路に投棄した…、なんてオチが誰も知らないところに転がってたりはしないだろうな…(汗汗)。

 ともあれ、正体不明?だが、ネット上で検索をかけると「大倉発電所の運転実績」という論文が1962年(昭和37年)12月に出ているようでもある。これが鍵を握っているのか?…何となくだが、大倉発電所がめでたく移転新築となった経緯に合わせて、それまでの歴史を総括するような論文だったのではなかろうか。まさかまさか、静岡県の大倉「川」発電所のことではあるまいな…という余計なことは考えずに妄想すると、この論文が出た頃には旧発電所も退役していたような雰囲気を漂わせるに至るのかな、と。

 以上、大妄想オワリ。

 せっかくだから読んでみたいな、この論文(でも詳細不明…ι)。いや、誰か大倉発電所関係の極めて詳細な資料とか持ち合わせていたりしないですか?ね。

 ついでに、以下に建屋周辺図(縦横縮尺や位置関係などアバウトですが)も作ってみたので載せておく。

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 それと、旧大倉発電所が既に退役した後のものではあるが、割と鮮明な航空写真を某所で見かけたので、それと現時点のGoogleMap衛星画像を比較してみたい。

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 植林などで周辺の植生も随分と変わってきているようである。

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 広大なネットの世界でも未見の遺構、身近な山野にまだまだ眠っているのかもしれない。

 そう思いながら眺める帰り道の連なる高圧送電線。当時、旧大倉発電所が発電していた電力は何処へと供給されていたのかな…。と思ったが、帰宅後にそれをネット検索して調べたら、それは三居沢電気百年館に所蔵されている「三居沢・白石・大倉発電所 仙台市営電気事業・仙台市電気供給区域及び配電系統図(大正5年)」なるものがあり、それを見に行けば分かることが分かった。我が家近所にその答えがあるとは…。

 ということで、後日行ってみた。

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 ガラスケース内に展示されていた資料よると、当時は宮町変電所に送電されていたらしい。詳細な送電経路は記されていない。変電所後の配電は岩切、利府、松島、塩釜へとなされているほか、三居沢や白石から供給されていた仙台市街地内への系統にもつながっている。

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 図の旧大倉発電所部分を見ると、発電機マークが一つのみ。つまり750kw一機だったことが伺える。機数についても疑問が解けた。水車ユニットの形式・形状などは分からないままだけど…。

 三居沢電気百年館を訪れたとき、館の管理の方に少しお話を伺えた。その中で興味深かったのが、「三居沢発電所建設の際には、仙台城築城の際に西方から召集された石工の子孫である小梨石材店が関わっており、資料本作成の際に三居沢発電所建設途中の写真も小梨石材店から提供を受けたが、その中には旧大倉発電所の建設途中のものと思われる写真も混ざっていた」という趣旨の話だった。

 なんと、そうだったのか。小梨石材店。確か、私が中学のときの同級生の家だったはずだが…彼は今、何をやっているのだろう。その後の交流はない。興味深い建設途中の写真たち。

 管理の方よりお話を伺った後、百年館内にある僅かな資料系の本を眺めて旧大倉発電所に関する情報に漠然と目を通した。lot49snd氏もブログ記事文末で触れていた「東北電力界の功労者の一人 太田千之助の資料集」も置かれていた。

 そんな僅かな資料たちの中から、貴重な旧大倉発電所の姿が得られた。

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 撮影年代は不明であるが、この立地と水圧管路の様子は間違いなく旧大倉発電所。大倉川の対岸から撮影したのだろう。

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 別の資料本にも。放流口左岸側の盛土敷地から下に降りるコンクリ階段部分には大きな石積みの?階段と出入口の庇が存在している。跡地にはコンクリ階段と石積み階段の二つが存在していてなんでかな?と思ったが、コンクリ階段が後に作られたものだということが分かった。逆に、上画像の立派な石積み階段は何故無くなったのか?という疑問は生じたが…。

 そして盛土敷地の外側にも幾つかの建物が存在したことが窺えた。

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 上画像は資料によると同時期に稼動していた白石発電所の発電機の様子。こんな感じの発電機が設置されていたんだろうか…。背景の窓の配置や枠の様子が旧大倉発電所の建屋と随分とそっくりだが…っと、また妄想が始まりそうだ(笑)。

 最後になったが、あらためて貴重な情報提供をして下さったlot49snd氏にあらためて御礼申し上げる次第である。有難うございました。

*追記*
旧大倉発電所主要諸元
 発電所形態:水路式流し込み式水力発電所
 発電機:ジーメンス・シュッケルト社製750kw/50Hz三相交流発電機×1
 水車:水圧式1150馬力スパイラル型 ※フランシス水車?
 発電力:理論馬力1543馬力/出力750kw
 堰堤延長:12間(約22m)
 水路延長:1935間(約3520m)
 放水路延長:45間(約82m)
 水量:80立方尺(2.2立方m)毎秒
 落差:170尺(約52m)
 建屋:木造平屋71.25坪(約235平方m) ※寄棟造?

*参考文献・資料*
・「東北の電気物語」(東北電力株式会社/1988年)
・土生慶子「東北電力界の功労者の一人 太田千之助の資料集」(南北社/2010年)
・「仙臺昔話 電狸翁夜話」(1925年)
・「宮城県百科事典」(河北新報社/1982年) ほか

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June 07, 2012

旧大倉発電所跡探訪記:03

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 1912年(大正元年)竣工、旧大倉発電所放流口前、到着。これほど立派な遺構がネット上でほとんど紹介されること無く、いや、あたかも大倉ダムの湖の底に水没したかのような扱いを受けてしまい、ひっそりと竣工後100年を迎えていたとは…。極々近隣の地元住民の方々や、大倉川を釣場にしているような方々、電力や水道業界の一部の方々などでは認識されている存在なのだろうが、その方々の中にたまたまネットに情報を上げるような人が居ないまま、lot49snd氏が目の当たりにする時を迎えた、ということなのだろう。

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 …竣工後100年。退役後半世紀余り。取り壊されて何年なのか。その存在を人々に語られなくなって幾年なのか…。

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 放流口の右側(左岸側)。割と厚みのある水門が二重に存在したようなスリットが存在していた。大倉川が増水した時に逆流を堰き止めたものではないかとlot49snd氏は推定しているが、私もそれ以外に思い付かない。放流水を堰き止めるという状況は考え難い。

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 逆側(右岸側)の水門スリット周辺は崩落を始めていた。草木の根による影響なのか、地圧によるものなのか…。いずれにしても、崩れ落ちた石材の苔生し様から崩落してしばらくの年月が経過していることは明らか。

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 放流口内を覗き込んで見る。発電用の水車を回した後の水が流出していた部分だろうか、開口部があり太陽光線が射し込んでいた。

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 放流口内部を超高感度撮影。内部は水没しており、長靴程度では入っていくことが出来ない。左右対称ではなく、内部へ向かって右側(左岸側)に凹部がある。その上に開口部があることから、その辺りから水車を回し終えた水が流出していたのかもしれない。

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 放流口の前には苔生した缶が転がっていた。

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 さて、あらためてその「顔」をよく見てみよう。水圧管路脇の階段を下りてきて行き着いた敷地正面に開いていた「四角い穴」の正体はこのレンガ造りの建屋であり、その地上部分が失われていたために穴となっていたのだ。階段下の敷地を1Fとすれば、上画像の窓のある階層はB1F、放流口の位置はB2Fということとなる。放流水路は深く二段に掘り下げられた位置を流れているが、自然の傾斜と共に大倉川合流点付近では一段の掘下げ程度となっている。

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 放流口と共に美しい曲線を成すアーチ窓。杉の枝葉が顔を覗かせている。階段下からここまで来る時にも木々で見え難い建屋の中(四角い穴)をチラチラと気にしてはいたが、放流口内部には木の根や幹は見られなかったので、建屋内のB1Fから木々が生い茂ってきているということなのだろう。

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 アーチ窓の向かって右側(左岸側)の壁には、何か配管かケーブルでも這わせたような棒状の金具が等間隔に突き出ていた。

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 放流口の右側(左岸側)の壁には、ボルトで板切れが留められていた。板には目盛のようなスリットが細かく無数に刻まれていたが一定の間隔ではなく、水深などを計測するものとしてはアバウト過ぎるような印象を受けた。

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 レンガ積みに目を向ける。シンプル過ぎず派手過ぎない意匠で構成されている、というところだろうか。

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 昨年春の地震でよくも崩れなかったものだ。

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 僅かには傷みはある。そこに苔や草木が根付き始めている。

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 旧大倉発電所跡放流口。その姿、堪能した。

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 放流口前より立ち退く。放流水路を下り大倉川へ出る。大倉川上流側へ少し歩いたところより発電所敷地内へ復帰し、放水路左岸側を遡ろうとしたけれども藪が深過ぎて断念。敷地を反時計回りに歩こうと考えていたけれどもヤメて、とりあえず階段下まで戻ることにした。

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 水圧管路脇の階段下へ戻る。そこから左岸側に広がる光景。少し高いコンクリート基礎のようなものが所々、そしてレンガ積みも残っている構造物が一つ。明らかに建物があった形跡だが、何のために存在した建物かは定かではない位置関係。

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 他の部分はコンクリート部分を残すのみなのに、何故ここだけレンガ積みが残されたのだろう。大きさから言えば通路のような幅しかない空間を中に備えている。

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 扉が付いていたような大きさの開口部。不思議なのは、この一つだけ残っているレンガ積み構造物だけ、放流口などで見られた他のレンガ積み構造物よりも「目地処理が雑」ということ。施設が現役の頃は、この構造物のレンガは人目に付かない状態だったのだろうか?

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 扉か何かが付いていたような形跡が開口部左右に存在。木材が埋め込まれていたようだ。上画像ではピントがボケているが、内壁のレンガとコンクリートの境に白い漆喰が塗られていた形跡が残っていた。漆喰の喰い付きのことも考えればレンガ積みの目地が粗くても当然なのだ。今見えるレンガ積みは漆喰が剥がれた姿ということ。

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 先程までは階段の袂方向から眺めていたが、上画像は水路下流側から眺めた状況。通路か何かの一部分だけ残されたような感じだ。

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 内部天井には照明器具が付いていたような形跡あり。漆喰も斑に残っている。発電設備などの建屋に向かう管理廊の出入口のような存在だったのかな。漆喰の壁だったということと周囲のコンクリート基礎(壁の跡?)の存在から考えて、屋内に存在した出入口の可能性もある。そんなレイアウトだったのかもしれない。

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 出入口っぽい構造物の周辺には、敷地に窪みや穴が散見される。

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 また違う穴が。足元の下は空洞になっているのか?と、ちょっと不安になる。地下室というよりも、コンクリート床面下の土壌が雨水などで流されて失われているような感じである。足を落とすことも、足場が崩落することも、いずれも敷地内を歩くときは充分に気を付けて慎重にならざるを得ない。

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 出入口構造物の少し下流側にはクレバス状の窪地がある。下手して足を落とせば転倒転落、骨折くらいするだろう。しかし、この深い溝の存在は何だろう…。溝の先はレンガ建屋のある四角い穴の方向を向いている。敷地の排水路…なのかなぁ。

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 クレバスのレンガ建屋寄りのところに四角い窪地が二箇所あった。この窪地の周囲には…。

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 太いボルトが何本か立ち上がっていた。パッと見、500円硬貨の直径よりも太そうだ(生憎財布を持ち合わせていなかった…)。相当大きなものか重量物を固定していたことが窺える。発電機設置場所か?

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 出入口構造物付近を、左岸側奥から右岸方向を見て撮影。階段を下りてきてすぐ左の位置だから、管理事務所っぽい使われ方をした部分なのかな。その事務所内から出入口を通じて発電や変電設備が立ち並ぶエリアに出入していた、とか。全て想像、推測、憶測なんだけど。

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 敷地の左岸側奥まで来て、右岸側を見て撮影。擁壁の石積みが整然と斜面下に残っていた。

 左岸側の敷地は明瞭な盛土で区画されており、その内周に沿って歩こうとしたが藪が酷くて歩き切れない。先程の出入口構造物からクレバスを越えて下流方向、大倉川の方向に歩みを進めた。

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 盛土の敷地から降りる階段を見つける。放流水路左岸に位置している場所だ。ここを降りて少し周辺探索をしてみよう、ということにした。

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June 04, 2012

旧大倉発電所跡探訪記:02

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 導水路や水槽付近をとりあえず探索し終え、いよいよ発電所建屋が存在した方向へ向けて階段を下り始めた。

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 警報機の建っている構造物の裏側からは水圧鉄管が延びていた形跡があるが、下草や竹が生い茂る薮と化し、枯葉に埋もれかけている。

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 水圧管路にはコンクリート製の鉄管用基礎が幾つも残っていた。上画像のように原形を留めているものもあれば、崩れてバラバラになったものもあった。

 随分と竹などが倒れて荒れた感じなのだが、この日ここではサルたちが遊んでいた。撮る暇を与えてくれず逃げてしまったが、彼らが竹に登ったりぶら下がったりしてへし折っているのかもしれない。

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 水圧管路と階段の位置関係は上画像のような感じで並走、上画像は水槽方向を見上げるように撮影している。lot49snd氏が地形図内で見つけた階段とはこの階段のことのはずだが、地形図では明瞭でも、実際には枯葉などに埋もれて段が不明確な範囲もあり、下りるには足元に注意を払う必要があった。

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 長い期間放置されていることが窺える階段。これでも比較的マシな部分を撮影している。

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 鉄管用基礎にはボルトや金具が残っていた。

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 延々と階段を下りて行くと小さな鉄塔が建つ場所に行き当たる。そこから先に広めの空間が存在している。いよいよ発電所建屋などがあったメインの敷地へと到達だ。

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 ややS字状に曲がりながら階段は敷地へと降りる。その先の地面には怪しく暗い「四角い穴」が覗いている。

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 到着…。これまで導水路や水槽、水圧管路などを見ながらここへ到達したが、それらの遺構からも想像できる、かなりしっかりとした水路式水力発電所が存在したことを一目で物語ってくれる光景がそこに広がっていた。しばし茫然とした気持ちで周囲を眺める。

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 階段を下りてきて左側、送水経路で言う左岸側の様子。斜面に玉石で二段に擁壁を築き敷地の境界としている。途中で少し角度を変えて一段となり、奥の方まで続いている。擁壁は細かい部分では傷んではいるが、全体的に見れば往時の姿をそのまま残しているようだ。

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 左前方の様子。コンクリート基礎のようなもの、縦長に建つ構造物が見える。何か建物があったことを想像するに容易い光景だ。

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 正面の様子。水路の進行方向真正面、敷地に怪しげな「四角い穴」が開いている。これが水車タービンを回し発電していた建屋の跡ということになろうか。それにしても無防備に穴が開いている。下草が濃くなってきたら見え難くなって、穴の存在を知らない人がたまたま通りかかったら危ないかも…。

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 右側、送水経路で言う右岸側の様子。逆側と同様の玉石の擁壁。奥には沢が流れており、水の音が周囲に響いていた。敷地内の探索における地点表記は今後、特記が無ければ発電所跡の送水経路を基準に右岸や左岸、上流や下流といった表現することとする。

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 階段から見て右斜め後方の様子。掘り下げられた水圧管路と下りてきた階段。

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 さて、新発電所に役割を譲って退役後半世紀余りを迎えた旧大倉発電所跡を探索だ。まずは大まかな探索順路を検討する。

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 この遺構の顔とも言うべき放流口付近は最初のうちに拝んでおきたい。それを考えると敷地の周辺探索も兼ねて放流口に向かった方が良さそうか…。

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 最後に「四角い穴」を上から見下ろしてよく観察しようかな。

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 一服しながらそんなことを考えつつ、四角い穴の縁付近を眺める。隙間無く積まれていたはずのレンガの壁に杉の幼木が根を張りつつあった。根が育てば、いずれ壁は崩壊を始める…。

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 自然に呑み込まれようとしていると言うべきか、自然に還ろうとしていると言うべきか…。

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 四角い穴の下を気にしつつ、それは最後に拝むとして、いざこの発電所跡の顔とも言うべき放流口付近を目指す。敷地を反時計回りに右岸側に進み、敷地内水路と並行して流れる沢のほうへと向かった。

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 下りてきた階段の袂から少し離れたところで、振り返って階段付近を撮影してみる。林の中、広い空間の中ほどまで突き出て延び降りてきている階段の存在感が、なんだか気持ち良く思える。

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 右岸側の沢の対岸にも何やらコンクリートの土台のようなものが見える。沢は斜面の上、導水路が存在した付近から農業用水が流れ落ちてきているものであるが、水槽からオーバーフローした水が流れる余水路と合流して流れ落ちてきている沢でもある。逆側の敷地中心方向を見ると…。

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 四角い穴の下流側、放流口上部の構造物が草葉に邪魔されつつも見えるようになってくる。おおぉ、素晴らしい存在感だ…。ここから下流側は放流水路ということになる。

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 もう少し下流側へ移動して放流口付近を覗き見る。草葉が随分と邪魔をして見え難いこと、見え難いこと…。

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 更に下流方向に進み、沢に架かる橋の袂へ辿り着いた。この橋には獣道のような歩いた形跡が残されているため、今も「道」としての機能は失っていないようである。旧発電所が運用されていた頃は大倉川の岸辺に沿うように道が存在していた(仙台市水道局の鳥瞰図にも描かれていた)が、その名残の橋でもあろう。なお、この橋の先には一面に広がる藪と、沢の対岸に見えたコンクリートの土台があり、この土台を軽く見に行ったが特筆すべき点は見受けられないコンクリートの四角い塊だった。

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 旧発電所の放流水路上にも橋がかかっているのだが、撮っても何だか分からない感じに…。

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 その橋の袂から放流水路と大倉川の合流点を見下ろしてみる。あそこに降り立ちたい…。ということで右岸側の林の中を、ガサゴソ…。

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 そして放流水路と大倉川との合流点に降り立った。放流水路は大倉川と垂直にではなく、若干大倉川下流方向を向いて合流しているようだ。川の流れを考えれば当然と言えばそうなのだが一応説明。この合流点付近は砂や土が堆積しているのだが、目新しい獣の足跡が残っていた。熊ではなくカモシカのもののようだった。

 さて、いざ放流口へ向けた最終アプローチ、放流水路を遡って放流口前に向かおうと歩みを進める。

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 放流水路上に架かる橋の下を通過するとき、その裏面の劣化に目が向いた。

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 複数の鉄筋が露出し始め、錆び付いている。一部の鉄筋は剥がれ落ちそうなほど。

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 橋の下を抜け、放流口に向かう。放流水路内も木が生え始めているが、そのうち人も歩けないくらいに埋もれてしまうのだろうか…。

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 足元を見ると新旧いろいろなものが転がっているのだが、その中でも異彩を放つ存在があった。

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 30㎝くらいの消火器のようである。ステンレス製でほとんど錆び付いていない。拾い上げて見てみると…。

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 1958年製。昭和33年か…。旧発電所としては晩期のものということになるだろう。きっとこれよりも新しい物には更新されずに旧発電所は幕を下ろしたんだろうな…。

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 先端のメーター?部分の裏側には、同年4月製造である打刻もあった。消火器は元の場所に転がしておいた。

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 更に埋もれるもの多数。この円盤状の物体は何だか分からない。

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 これは…何かの機器か?転がして向きを変えてみる。

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 制限開閉器…とある。水門用?昭和35年11月製作の打刻プレートが付いているが…。大倉ダム完成の直前のもの、言い換えれば旧大倉発電所が退役する直前のもの。新しく機器更新されてすぐに退役、という状況だったのだろうか。まあ、退役直前でも機器が壊れれば新しくしなければならない状況も考えられなくもないけど。

 いや、でも、完成直前の大倉ダムということを考えると、既に旧発電所が取水できないくらいにダムが出来上がりつつあったのではなかろうか。

 …。あ、もしかすると…。

 という勝手な妄想?は、とりあえずここではさて置き。

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 こちらは回路かスイッチが入っているような箱のようだ。開閉するためのノブが付いている。

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 茶筒…っぽさ満点の缶。蓋には取っ手が付いている。開けて中身を確認しようとはしなかった。

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 そんなこんなで放流水路内の埋もれるものを見ているうちに放流口前に辿り着こうとしていた。

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June 02, 2012

旧大倉発電所跡探訪記:01

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 5/26(土)、正午頃に現地入り。適当な空地に車を停め、あの辺だなぁと田畑の畔を歩いて行く。ウスバシロチョウが舞う中、いよいよ目的地に到着。lot49snd氏が訪れた約一ヶ月近く前の画像とは見紛うくらいに雑草が伸びていたが…。

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 この場所が今回の第一目標だったポイントだ。この木立の根元、草薮に埋もれるようにコンクリート製の遺構があり、ここから画像奥の方向へと水路が出現している。イノシシ除けのフェンスが張り巡らせてあり、左側より遺構に片足を預けて乗り越えて入ってみる。

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 この遺構はさながらミニ隧道の出入口のような造りで、扁額が取り付けられていたような窪みがあることがlot49snd氏の記事画像でも確認できるのだが、私が訪れたこの日には既に雑草ボーボー。撮っても少し分かり難い。ので、もっと接近して撮る。

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 大倉川の上流側で取水された水が水路や暗渠を通り、ここで再び地上に姿を現していたということだろう。扁額があったような形跡は暗渠というより隧道っぽさを醸し出しているが、暗渠か隧道か、どの程度の扱いを当時受けていたのかは分からない。

 lot49snd氏はこのまま水路左岸沿いを進入していったようだが、私は大きく右に迂回してから水路右岸を辿ってみた。

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 水路右岸に辿り着き、水路上流側を眺める。コンクリ製の水路地上出口付近は草木に邪魔されて見えない。前日の雨が水路内に停留しているが、流れているという感じではない。

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 地上に出た水路は序盤、上画像のように石積みで構成されて簡素な雰囲気を見せているものの、すぐに…。

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 コンクリート製の立派な水路に切り替わる。随分とコンクリートが劣化してきているが、石積みと違って近代的な印象を与えてくれる、発電所の導水路として相応しい感じである。この先に進んでいくと…。

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 橋が架かっている。橋の下には…。

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 何やら小さな堰が設けられている。そして橋の袂には…。

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 水路内に下りるための鉄梯子。この橋の付近では、水路内を流れてきた流木などを取り除く作業などをしていたのかもしれないな…。

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 その橋。とりあえず渡らずに導水路右岸を進んでみる。

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 振り返って橋を撮影。橋の上流側左岸には鉄梯子があったが、下流側には…。

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 導水路内へ向け、階段が途中まで存在していた。なぜ途中までなのかな…。と思いつつも先へと進む。

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 橋から導水路右岸を下流へと進んでいくと、護岸が垂直になって分岐し二重の壁となる。そこは広々とした…。

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 ミニ貯水池、いわゆる水槽という場所のようである。画像手前が二重の壁、右に水門、奥に警報機が見え、警報機の下のほうへ流れ込む開口部も見て取れる。lot49snd氏の記事によると開口部の奥、警報機の所から旧発電所方向に管路が延びている。二重の壁は水槽のオーバーフロー対策のもの、水門は水槽の水抜きのためのもので、それぞれ溢れたり抜かれたりした水は画像右側、導水路突き当たり右側の小規模水路へと導かれている。

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 上流方向に振り返り撮影。内壁を溢れた水は手前の隙間に落ち、画像手前方向に流れ導かれていく。

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 内壁の上部は随分と劣化し、鉄筋が顔を覗かせている。旧発電所が稼動していた半世紀近くの間、越流する状態が常だったのかどうかは定かではないけれども、損耗著しい印象があった。(というか、水槽を越流するくらいの水量を引き込まないと発電所への常時100%の送水状態は保てないってことにもなるのか…?)

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 対岸の壁にも鉄筋が一部露出する劣化が見られる。

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 続いて水門を観察。下部にアーチ状の開口部、その上にオーバーフロー用の四角い開口部、その上に橋が架けられている。

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 少し離れて見るとこんな感じ。水門上のオーバーフロー開口部が劣化していない割に、水門左側の内壁上部のほうが損耗著しい。コンクリートの質や施工の問題なのかもしれないが、内壁上部が越流により削れて水門上の開口部よりも低くなり、常に内壁側から越流してしまっていたかのような印象を抱く損耗状態に見える。

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 近付いてみる。

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 アーチ下には小さな堰となるような部分が残っていた。ここに上から下ろされた水門の板が合わさったのだろう。

 さて、導水路右岸を少し戻り、橋を渡って左岸側へ行くことにする。

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 橋の中心から貯水池方面を見る。というか、見えない…。導水路内部には木々が生い茂り始めている。この後、橋の左岸側に設けられたイノシシ除けフェンスを跨いで行くのだが、普段股下85~86cmくらいのスラックスを履く私が超~ギリギリで越えられる高さ。私でも油断するとフェンスの硬い鋼線で股間が串刺しにされそうになる状態であった…(実際、ジーンズの股間部分を引っ掛けてしまい穴が開いた…)。

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 水槽の左岸側に到達。左奥に水槽床から一段高いところに開口部、その奥に警報機。右側から水が流れてくるのだが、水槽の床には少量の水流を水門側に導く小さな水路、ガイドウォールがあるようだ。

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 水槽の上流側を開口部上から眺める。木立の向こうに先ほど渡ってきた橋と、導水路部分の斜めの護岸が何となくだが見える。

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 水槽内側から見る水門。アーチ付近に錆びた鉄枠を若干残す。

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 水門を上から見てみるとこんな感じ。どんな感じで門を上げ下げしていたのだろうか。想像に容易い感じで丸いハンドルをギコギコと回していたのだろうか。それとも単純に横板を何枚か差し込んでいただけだったりしたのだろうか。

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 開口部上部は水門上の橋よりも一段低くなっているのだが、端々各所に鉄筋が突き出ており、縁石か何かが取り付けられていたかのような形跡があった。

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 警報機の袂へと向かう。この警報機は大倉ダム放流時に鳴らされるものだろう。画像では分かり難いが警報機の建つ構造物の左側に草や枯葉に埋もれた階段があり、斜面を下りて行くと旧発電所建屋跡に通じるという。それは後々、誰が何と言おうと突入するのではあるが…。その前に。

 警報機を取り巻くフェンスには「さくのなかはあぶないからはいらないでください」という表記がなされた看板が付いているのだが…。

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 フェンスの手前に思いっ切り開口部があり、「さくのなか」どころか不用意に近付くことすら危ない。開口部には崩れかけたレンガ積みが見られ、これまでのコンクリート主体の構造物とは異なる趣が見え始める。警報機が設置されている構造物は水槽から発電所建屋方向への取水口となる部分で、その後方は大倉川右岸へと下る斜面となっている。

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 よく見れば外側にもレンガ積みが。この趣がたまらない。

 そして警報機の建つ取水口脇を通り、枯葉に埋もれる階段を下り始めた。

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