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June 10, 2012

旧大倉発電所跡探訪記:04

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 左岸側の盛土敷地から下流側へ降りると、右手には放流口。生い茂った草木に埋もれるように存在し、半ば忘れ去られていた感というものを目一杯に表しているように見える。

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 たった今下りてきた階段と盛土の壁の様子。盛土はコンクリートで擁壁を成し、排水性が悪いからなのか階段の途中の段から排水用のものと思われる管が口を開けていた。盛土敷地上にはレンガ積みの基礎部分が顔を覗かせている。

 この階段下の近くにもコンクリートの壁のような小さなものが建っていて、脇に四角い桝を備えているものだったのだが、用途は判然としないものだった。

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 大倉川の上流側へ進むと、盛土敷地の角に辿り着く。画像左奥に下りてきたコンクリート階段、右に石積みの階段があり、それぞれ敷地に上がれたようだ。苔生してはいるがコンクリ擁壁は形をしっかり残しており、角のエッジも見事に保たれたままだった。

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 コンクリ擁壁上から落とされた排水スリット。盛土から外側の敷地には外溝などの形跡があるようには思わなかったが、埋もれているのかな…。それとも以降は垂れ流しだったのか。

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 石積みの階段。なぜ石積みとコンクリと、異なる組成の階段が存在しているのかな…。どちらか後世に追加されたりしたものなのかな?真意は分からず…。

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 それにしてもシダが繁茂していて階段ということが分かり難い…(lot49snd氏の記事では下草が生え始めの頃なので、階段という様子が見て分かる状態となっています)。ここの階段を上がってみる前に、もう少し大倉川を上流方面に歩いてみることにした。

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 すぐ近くに、埋もれるコンクリ基礎?が存在。盛土の敷地外でも何かは存在していたようだ。

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 大倉川右岸を沿うように道の形跡が存在。もうちょっと歩いてみる。

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 割と歩いた先で、石積みが埋もれている場所があった。この辺りには旧発電所との関係があるのかないのかは知れないが、所々に何か建物などが存在していたのだろう。

 そして来た道を戻り、シダに埋もれた階段を上がってみることにした。

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 シダの石積み階段を上がると一面下草だらけ、おまけにノイバラだらけでチクチクゾーンとなっていた。そんな下草の中から突き出た鉄管が一本…。水道?ガス?何のための配管なのだろうか。

 ノイバラの中を詳しく探索するには気が引けたので、敢え無く敷地の中心部分に戻ろうと決意。レンガ造りの建屋である「四角い穴」を上から見てみることにする。

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 さてここは、アーチ窓上部の左岸側。レンガの部分(画像左:下流側)とコンクリートの部分(画像右:上流側)とあるようで橋のようにはなっているが、その間は空洞になっているようで穴が見え隠れしている。迂闊に踏み込むと踏み抜いてしまう…というだけではなく、見た感じにも崩落しそうな可能性もあるので中心付近までは進みたくないなぁ…。

 慎重に片足だけ乗せて、いざ建屋内部を覗き見ると…。

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 …。ポッカリ開いた丸い穴の存在が深さというか高さというかを更に演出して、また足元が崩れないという確実な保障は得られない老朽構造物の上から見下ろすとなると、怖いものだな…。

 画像奥側が送水されてくる上流側と言うことになる。向かって右側、左岸寄りの奥と手前の二箇所に円形の開口部が設けられており、それぞれから水車ユニットを通った後の水が下部に流出されていたのだろうと想像できる。流出口が二箇所…。水車が二つあったのか、二つの流出口(吸出管)を備えた水車ユニットだったのか、片方は単なる水抜き配管用の穴か…。旧大倉発電所は建設計画時に「ジーメンス・シュッケルト社製の出力750kwの三相交流発電機を備え」とあるのだが、375kw発電機が二機あったのだろうか?なども考えてしまう。750×2=1500kwだと当時の近隣発電所の相場から考えて大きいように思えるし。穴は二つだが単に一機ということも考えられる。

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 ちょっと引き気味に撮影。奥に階段が見える。階段に向かって左側が水圧管路。そんな位置関係だ。

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 奥側、つまり上流側に開いた穴を覗き見る。手前にコンクリート製の構造物があるために全貌は見えない…。

 ので、今居る左岸側から右岸側へ移動。アーチ窓の上を渡れば最短距離で1~2秒で行けてしまうが、崩落してしまう危険性を考えると行き急がずに迂回。階段前を経由して左岸側へ。

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 左岸側へ辿り着き、もう一度手前側、つまり下流側の流出口付近を見下ろす。

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 流出口が接する左岸側の壁には凹部が設けられており、空間が確保されている。配管か水車ユニットの設置に配慮した空間と思われるが、その凹部は下層の放流口内部まで引き続いているようだ。

 詳しくはないが、水車には縦軸と横軸、回転方向などによって方式があるという。この建屋の中に水圧鉄管と水車ユニット、それに発電機を全てB1F床上に収めるというには取り回しなどを考えても狭過ぎる気がする。どんな方式で発電していたのだろうか…。軸回転を上層まで伝達して地上階に発電機があったのだろうか…。

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 目線を上に移す。水圧管の基礎であったと思われるコンクリブロックと、用途不明のコンクリ柱二本を備えた構造物。専門家の人が見たならば推測の域を脱して答えが出るんだろうなぁ…。

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 梁を支えていたであろうレンガアーチ。目線を少し下流側へ移す。

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 同じように崩れたレンガアーチの上部にはH鋼材が、そしてその脇からは鉄筋が見えていた。

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 更に下流側へ目を向けると、先程渡らなかったアーチ窓上の部分がある。

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 アーチ窓の部分を見ると、窓枠から杉の幼木が生えているのが分かった。このままではこの窓もいずれ崩壊してしまうだろう。

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 アーチ窓と流出口の位置関係。流出口以外にも床には小さな穴があるのだけれど、それは単なる崩落箇所か?…。この穴のあるフロアには容易に降り立つことはできなさそうだが、崩落の危険性を考えるとむしろ無理して立たないほうが賢明だろう。

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 上流側へと目を移す。内部から生えた杉木立が邪魔して一望とは行かない。

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 水圧管路を通ってきた水が建屋内に入り込むところには、溶断された鉄管が付いたままのようである。

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 上流側の流出口。穴の際から杉木立が生えている。

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 上流側からあらためてレンガ建屋内部を覗き込む。どのように水が取り回されて水車ユニットを通り、どこに取り付けられていたか定かではない発電機を回し…。想像すればいろいろ考えられるなぁ…。

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 さて、一通り旧大倉発電所の跡地を見回り終えた。

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 竣工後100年。退役後半世紀余り。旧大倉発電所跡はこれから先も森の中に埋もれ続け、更に深く埋もれて行く事になるのだろうが、史実の中ではその存在をダム湖の底ではなく地上に在るものとして受け止められて行くことになるのだろう。いや、なってほしい。

 旧大倉発電所の施設配置について、以下に簡単にまとめたい。

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 こんな感じだろうか。上の図示には記載は無いが、旧発電所放流路と大倉川の合流点より少し下流に、現大倉発電所の放流路と大倉川の合流点がある。…余談となる?が、この点が実は気になっている。なぜ現発電所の放流路は約1kmもの距離を備えているのか。なぜ現発電所の比較的最寄の河岸に放流していないのか。なぜ旧発電所の方向へと放流路が延ばされているのか。

 Wikipedia大倉ダム記事中【補償】には「(旧)発電所を改造し~取水口を新設して発電を行う」という文言がある。単純に考えると、改造という言葉を使うには旧施設を何か用いていなければ成り立たない言葉のような気がする。それにしては旧発電所と現発電所は離れ過ぎており、全くの別物のように感じてしまう。つまりは…。

 現発電所は、旧発電所の導水路の一部を放流路として使っているのではないか?ということ。現発電所の放流路を大倉川合流点より開口向きと逆向きに直線で遡ると、旧発電所の地上導水路付近を通過する。旧発電所の導水路が地上に現れる地点より上流側を放流路として転用し、下流側を地下に新設している、という妄想?だ。こう考えることにより…。

 妄想は加速する(笑)。私が「旧発電所は現発電所に施設や敷地を取って代わられたものだと思い込んでいた」要因であった「改造」という言葉への単なる執着なのだけども。

 ダム完成後も旧発電所は導水出来ていた可能性があるのではないか?と。ここまでが「ダム建設補償で言う改造」の範囲であって、当初の「取水口新設」想定。その後、竣工後半世紀近くを経た旧発電所設備の手狭な現地更新よりも、ダム直近で充分な落差(水圧)が得られて建設自由度も高い最新設備ハイパワー化を含んだ新築移転の実施に至ったのが「電力会社が施した改造(?)」の結果となっている、と。

 ダム建設と発電所「移転」。その「移転」が「改造」という表現に値するか否か微妙な線。ダム建設による補償交渉において当初から「移転」が具体視されていたのであれば、既存水路の一部を転用する程度で「改造」って言葉を使うのかな…。もしかするとダムの立地や新設取水口の状況が明らかになった後に、電力会社が移転の検討を始めて、現況に至っているのかもしれないな、と。妄想の連鎖だけど(笑)。

 さらに妄想(汗)。いつ旧発電所は稼動を停止したのか。

 当初改造想定、結果移転状況、いずれにしてもダム完成後、現発電所の稼動直前まで旧発電所までは現発電所経由で導水でき、稼動できていた可能性がある。旧発電所放流路に転がっていた制限開閉器の製作が1960年(昭和35年)11月。その頃まではほぼ確実に旧発電所は稼動していたのだろうし、その後しばらくは稼動させる見込みもあったことになろう。大倉ダム完工が1961年(昭和36年)6月。現発電所の運用開始は宮城県等のデータでは1961年(昭和36年)7月、発電開始は国交省データベースで1962年(昭和37年)5月18日とある。さて、旧発電所はいつまで稼動していたのか…。

 放流水発電という役割も担えたかもしれないが…。

 …実は1960年製の制限開閉器、現大倉発電所の建設時のもので、その後に壊れて処分に困った電力会社関係者が旧発電所放流路に投棄した…、なんてオチが誰も知らないところに転がってたりはしないだろうな…(汗汗)。

 ともあれ、正体不明?だが、ネット上で検索をかけると「大倉発電所の運転実績」という論文が1962年(昭和37年)12月に出ているようでもある。これが鍵を握っているのか?…何となくだが、大倉発電所がめでたく移転新築となった経緯に合わせて、それまでの歴史を総括するような論文だったのではなかろうか。まさかまさか、静岡県の大倉「川」発電所のことではあるまいな…という余計なことは考えずに妄想すると、この論文が出た頃には旧発電所も退役していたような雰囲気を漂わせるに至るのかな、と。

 以上、大妄想オワリ。

 せっかくだから読んでみたいな、この論文(でも詳細不明…ι)。いや、誰か大倉発電所関係の極めて詳細な資料とか持ち合わせていたりしないですか?ね。

 ついでに、以下に建屋周辺図(縦横縮尺や位置関係などアバウトですが)も作ってみたので載せておく。

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 それと、旧大倉発電所が既に退役した後のものではあるが、割と鮮明な航空写真を某所で見かけたので、それと現時点のGoogleMap衛星画像を比較してみたい。

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 植林などで周辺の植生も随分と変わってきているようである。

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 広大なネットの世界でも未見の遺構、身近な山野にまだまだ眠っているのかもしれない。

 そう思いながら眺める帰り道の連なる高圧送電線。当時、旧大倉発電所が発電していた電力は何処へと供給されていたのかな…。と思ったが、帰宅後にそれをネット検索して調べたら、それは三居沢電気百年館に所蔵されている「三居沢・白石・大倉発電所 仙台市営電気事業・仙台市電気供給区域及び配電系統図(大正5年)」なるものがあり、それを見に行けば分かることが分かった。我が家近所にその答えがあるとは…。

 ということで、後日行ってみた。

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 ガラスケース内に展示されていた資料よると、当時は宮町変電所に送電されていたらしい。詳細な送電経路は記されていない。変電所後の配電は岩切、利府、松島、塩釜へとなされているほか、三居沢や白石から供給されていた仙台市街地内への系統にもつながっている。

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 図の旧大倉発電所部分を見ると、発電機マークが一つのみ。つまり750kw一機だったことが伺える。機数についても疑問が解けた。水車ユニットの形式・形状などは分からないままだけど…。

 三居沢電気百年館を訪れたとき、館の管理の方に少しお話を伺えた。その中で興味深かったのが、「三居沢発電所建設の際には、仙台城築城の際に西方から召集された石工の子孫である小梨石材店が関わっており、資料本作成の際に三居沢発電所建設途中の写真も小梨石材店から提供を受けたが、その中には旧大倉発電所の建設途中のものと思われる写真も混ざっていた」という趣旨の話だった。

 なんと、そうだったのか。小梨石材店。確か、私が中学のときの同級生の家だったはずだが…彼は今、何をやっているのだろう。その後の交流はない。興味深い建設途中の写真たち。

 管理の方よりお話を伺った後、百年館内にある僅かな資料系の本を眺めて旧大倉発電所に関する情報に漠然と目を通した。lot49snd氏もブログ記事文末で触れていた「東北電力界の功労者の一人 太田千之助の資料集」も置かれていた。

 そんな僅かな資料たちの中から、貴重な旧大倉発電所の姿が得られた。

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 撮影年代は不明であるが、この立地と水圧管路の様子は間違いなく旧大倉発電所。大倉川の対岸から撮影したのだろう。

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 別の資料本にも。放流口左岸側の盛土敷地から下に降りるコンクリ階段部分には大きな石積みの?階段と出入口の庇が存在している。跡地にはコンクリ階段と石積み階段の二つが存在していてなんでかな?と思ったが、コンクリ階段が後に作られたものだということが分かった。逆に、上画像の立派な石積み階段は何故無くなったのか?という疑問は生じたが…。

 そして盛土敷地の外側にも幾つかの建物が存在したことが窺えた。

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 上画像は資料によると同時期に稼動していた白石発電所の発電機の様子。こんな感じの発電機が設置されていたんだろうか…。背景の窓の配置や枠の様子が旧大倉発電所の建屋と随分とそっくりだが…っと、また妄想が始まりそうだ(笑)。

 最後になったが、あらためて貴重な情報提供をして下さったlot49snd氏にあらためて御礼申し上げる次第である。有難うございました。

*追記*
旧大倉発電所主要諸元
 発電所形態:水路式流し込み式水力発電所
 発電機:ジーメンス・シュッケルト社製750kw/50Hz三相交流発電機×1
 水車:水圧式1150馬力スパイラル型 ※フランシス水車?
 発電力:理論馬力1543馬力/出力750kw
 堰堤延長:12間(約22m)
 水路延長:1935間(約3520m)
 放水路延長:45間(約82m)
 水量:80立方尺(2.2立方m)毎秒
 落差:170尺(約52m)
 建屋:木造平屋71.25坪(約235平方m) ※寄棟造?

*参考文献・資料*
・「東北の電気物語」(東北電力株式会社/1988年)
・土生慶子「東北電力界の功労者の一人 太田千之助の資料集」(南北社/2010年)
・「仙臺昔話 電狸翁夜話」(1925年)
・「宮城県百科事典」(河北新報社/1982年) ほか

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Comments

三居沢の資料館に行けば資料が残っていると思っていたのですが、やはりありましたか。
想定配置図は労作ですね。藪の中、詳細なフィールドワークお疲れさまでした。
私はきっかけを作っただけで、調べの及んでいないところを逆に教えていただくことができ、感謝しなければなりません。
すばらしい探訪記をありがとうございました。

Posted by: lot49snd | June 10, 2012 at 09:46

三居沢には太田千之助の資料集のほか、東北の電気物語、仙臺昔話電狸翁夜話などありました。おそらく表に出てきてない資料も三居沢や東北電力に眠ってるんだろうな、とも思えましたけど。
配置図は大凡って状態ですが作ってみました。下草の無い季節に行けばまた追加されるものがあるかもしれません^^
きっかけは大きかったですよ。まだまだ文献的には調べる余地はあるのでしょうが、図書館などほぼ無縁の私にはこの程度で精一杯(笑)。
大きなきっかけ。本当にありがとうございました。

Posted by: Sakazuki | June 10, 2012 at 23:23

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