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May 29, 2012

旧大倉発電所跡探訪記:00

 前回の記事で旧大倉発電所跡が現存することを知るに至った経緯を簡単ながらお話した。旧発電所は現発電所に施設や敷地を取って代わられたものだと思い込んでいた私。現地探訪を果たす前に、その思い込みを生じてしまった情報源のほか、他の情報をあらためて見直してみることにした。

 私が旧大倉発電所の存在を意識した微かな記憶はWikipediaの大倉ダム記事にあった。以前、青下ダムや定義森林軌道跡を巡ったブログ記事を作る際に、何度か周辺地区の変遷を調べるのに閲覧したページだ。その大倉ダム記事中の【補償】項目に、水没する集落への補償対応等の話以外に旧大倉発電所に関する記述があったのだ。

 その部分だけ抜粋すると、「ダム建設によって東北電力の水力発電所である大倉発電所(旧)が取水口水没によって発電不可能となることから、これを補償するために発電所を改造しダム右岸部に取水口を新設して発電を行うことで東北電力と合意。これによりダムが大倉発電所の新たな取水口となることから水力発電も目的に追加された。」…とあり、この文中の「発電所を改造し」という言葉が思い込みを抱いた言葉、強く印象に残ってしまっていたのであろう。

 他に何か情報はないものかと手元の僅かな資料をひっくり返すと、「宮城県百科事典(河北新報社編集:昭和57年発行)」の【水力発電所】項目中に大倉発電所の小項目があり、「(大倉)ダムの建設によって水没した旧発電所に代わり…」といった記述が見られた。これでは旧発電所が水没してしまったことになる。同じような意味合いの記述は他の情報源でも見られ、宮城県の仙台地方ダム総合事務所のページWikipediaの大倉川記事にも見受けられる。特に後者の記事中【歴史】項目では「1908年(明治41年)に大倉発電所が作られ、その下流に大倉ダムが1961年に完成した。ダム湖の下に没することになった発電所はダムの川下に移転し、ダムから水を供給されて発電することになった。」という記述がなされ、あたかも旧発電所がダム上流に存在し水没したかのように解説されていたのであった。同じWikipediaの記事でも大倉ダムと大倉川のそれぞれの記事で触れる旧大倉発電所の扱いが異なっているという点がある(編集者の違いによるものだろうが)。なお後述するが、大倉発電所の竣工は1912年(大正元年)とする仔細からなる論文が存在し、「1908年(明治41年)に大倉発電所が作られ」というWikipedia大倉川記事とは異なっている。

 例えば、鳴子ダム建設によって上流域に存在した3つの水力発電所が水没しているという。例えば、明治後期~大正期にかけては各地に水力発電所が数多く建設されていたりする。そんな様々な情報が人から人へと伝わるうちに重要な言葉が抜けたり他の事柄と内容が混ざったりして、更には推測が事実のように加えられて、それが現代に伝わってきている側面もあるのだろう。

 さて、様々な情報によって旧大倉発電所の変遷が判然としないものとなっているが、判る範囲で年表的に以下にまとめてみた。特に参考としたのは先にも触れた仔細な論文で、『岩本由輝「仙台市・宮城県における公営電気事業と太田千之助」(東北学院大学経済学論集176号)』である。これは旧発電所跡の現存を確認したlot49snd氏がブログ記事中で取り上げているもので、それで私も知るに至ったもの。この内容と他の情報源をミックスして下にまとめている。

大倉発電所主要事項年表
 1909年(明治42年)建設計画・着工
 1911年(明治44年)所有権譲渡(仙台電力→仙台市)
 1912年(大正元年)竣工
 1920年(大正9年)各権利譲渡(仙台市→宮城県)
 1951年(昭和26年)電力事業再編(東北電力所有化)
 1957年(昭和32年)大倉ダム着工
 1961年(昭和36年)大倉ダム・現発電所竣工

 上記で見れば、竣工後ちょうど100年、退役後半世紀余りが経過したということになろう。大倉ダム湖に水没したとかしていないとかいろいろ言われている旧発電所だが、大倉ダムよりも下流に位置するのではないか、とlot49snd氏が思うに至った一枚の油絵が存在する。その絵は私も数年前に見ていたのだが…。

20120526_000a
 その油絵(2008年撮影)。仙台市水道記念館にある「青下水源地鳥瞰図」だ。昭和8年に描かれたこの絵では、熊ヶ根から青下、大倉や定義、さらにその奥の山々の様子が見て取れる。4年前にこの絵を見たときは廃橋のことを気に掛けていたので大倉発電所のことなどは全く考えることなく漠然と眺めてしまっていたのだが…。

20120526_000b
 拡大画像なので画質は悪いが、左に青下第三ダム、右手前に旧大倉発電所が描かれている。こうしてあらためて眺めてみると、確かに旧発電所は大倉ダム湖に水没していない位置に存在する。発電所のほぼ真北に描かれている山は座禅堂山で、この山と青下第三ダムを結んだ線に大倉ダムは存在しているはず。現在の地形などから照らし合わせて考えると、つまり…。

20120526_000c
 大倉ダム湖を簡単に描き足してみたが、こんな位置関係ということになるはずなのである(青下第三ダム湖と大倉ダム湖の大きさの関係が違って見えるのは遠近感表現による縮尺の違いからである)。きっとlot49snd氏が抱いた印象とはこういうものだったに違いない(どうですか?)。

 旧発電所は水没していない。水没したのは取水口。Wikipedia大倉ダム記事中にある発電所関連の記述はほぼ正確。逆にWikipedia大倉川記事中にある記述は出鱈目?ということになろうか…。

 さてさて、ここまでは既知の情報源などで状況を考えてきたのだけれども、いざGoogleMapで衛星画像を当地に拡大していくと…あ、在るわ。間違いない。鳥瞰図の地形と似たような場所に単調ではない水路のようなものが…。現地へのアクセスは容易。報せを受け、休みの日に天気が良ければ行こうと決めた週の末、金曜は午後から雷雨だったが土曜は見事に晴れ渡り、緊急追跡踏査を敢行するに至った。

 とんでもなく前置きが長くなってしまったが、いざいざ現地に赴いての画像が登場するかと思いきや、それはまた次回の記事更新をお待ちいただきたい(汗)。

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Comments

大倉ダム湖のモンタージュが見事です。
中原系苦地取水口をさがすために地形図を仔細に眺めて、階段を見つけたことが現地を訪ねてみるきっかけでした。
手がかりは意外なところにあるものです。

Posted by: lot49snd | May 30, 2012 at 06:30

あらためて鳥瞰図を眺めてみましたが、現地付近の地勢をよく表している図だなぁと思うに至りました。そのためモンタージュ作業も迷うことなくできました。
山間の川岸に存在する施設にアクセスすることを考えると階段の存在は大きなファクターとなりますものね。地図で現地を見ても導水路程度が描かれてるのがほとんど。これでは農業用だろうと思って不思議じゃない感じで。
今日は昼休み、仙台市内の住宅地図を見まくって怪しい場所を推察して楽しみました^^;

Posted by: Sakazuki | May 30, 2012 at 21:37

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