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February 02, 2012

青葉電気工業発電所跡探訪

 1月3日のこと。昼過ぎに仕事を終えて仙台愛宕神社へお参り。その後せっかくだからと某所へ足を運ぶ。広瀬川河畔の崖に並ぶ横穴墓をいくつか眺めつつ、本命の探訪先へと足を踏み入れる。

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 青葉電気工業発電所(仙台愛宕下水力発電所)跡。大正9年(1920年)に建設されたもので出力470Wにて翌年開業、広瀬川大橋下流から愛宕にかけての川の蛇行範囲右岸の山(霊屋下地域)をショートカットするように隧道が掘られ、そこを流す水流により発電を行った施設の名残りである。昭和4年(1929年)頃には操業を停止していたとみられている。ここに隣接していた愛宕プールは発電所から導水していたとされ、昭和18年(1943年)まで存在した。

 最近はこの水力発電所跡について知る人も少なくなり、防空壕の跡だとか高射砲台だったんだとか、亜炭鉱山だったなどの噂?が普通に聞こえてくる。そんな水力発電所跡地、隧道の吐水側である愛宕付近を今回は探訪。

 で、跡地を訪れた第一印象としては、噂もまんざら出鱈目に出ている訳じゃないんだなぁという印象。つまり、高射砲台だったと言われればそういう気にもなるし、防空壕だったと言われれば鉄扉もあり立派で要人なんかが利用したのだろうかとさえ思えてきたりもする。

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 自然の崖から出っ張るように築かれたコンクリートの壁に残る梯子。

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 割と高所に開いている直角に接したアーチ開口部。その周辺にはコンクリートの構造物が自然の崖と一体を成すように作り上げられている。

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 片方が朽ち落ちた鉄扉。広瀬川の流れの位置関係としては、右が上流側で左が下流側。川は撮影している背後を流れている。ここで水力発電所用の隧道が終わっていることになる。

 ということで…鉄扉から内部へ入る。

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 鉄扉から真っ直ぐに見た内部。コンクリートで整えられた内壁が面を構成しているが、左の壁からは突き出た鉄骨が存在したり、右上には朽ちた鉄筋入りのコンクリ柱の名残があったりと、随分と時間を経てきている雰囲気が強い。

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 チラリと左側を見る。高所に開いていた直角隣接アーチ開口部は左上に位置。天面は不思議な曲線のつながりで構成されている。床面は一段高くなっているようだ。

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 一歩踏み込んで右側をチラリ見。得体の知れない四角いタンクらしきものが置かれている。そのタンクには“WHO DARES WINS”とステンシルでのスプレー文字が記されている。「挑む者のみ勝利する」とか「危険を冒すものが勝つ」などの意味で、英国や仏国などの軍部隊の標語によく使われている言葉だが…。

 画像上には朽ちた鉄筋入り柱の残骸が残る。

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 更に踏み入って見る右側。つまり隧道の取水口方向。今居る空間が少しずつ狭まって漆黒の隧道奥地へと通じている。床の中心にある伏せられたU字溝のようなものの意味は分からない。これを挟んだ画像左右では少しの段差があり、左側が高い。

 とりあえず暗闇は怖いので、回れ~右。

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 鉄扉を背にして左側。つまり隧道の吐水口方向。床面レベルがはっきり一段高くなっているほか、高所の直角隣接アーチ開口部からの天面処理が不思議。梁を渡したような穴が左右の壁に在る。奥には縦長のダブルアーチと、その先に僅かな空間…。

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 鉄扉方向を振り返って見てみるとこんな感じ。秘密基地とか、アジトとか、そんな雰囲気にも思えてくる。高所の直角隣接アーチの間、少し内部側には柱があったかもしれないような天面処理の名残りと足場の様子が窺えた。

 うーん…。このロケーション萌えるかも(笑)。

 ではあらためて、鉄扉から吐水口方向へと歩いて見てみよう。

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 鉄扉を入ってすぐ、左側の壁から突き出た鉄骨。前の画像の中央付近、直角隣接アーチの下に斜めにカットされたような壁があるが、その上端から突き出ているもの。斜めにカットされた壁は元々隧道の内壁であったのだろうと思われる。そうでなければ、送水されてきた水が鉄扉から思いっきり溢れることになってしまう。

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 古い碍子が壁に残っていた。照明用などに導電していた名残りなのかもしれない。

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 ダブルアーチの吐水口に近付くと、床には地下へと続く穴が…。覗き込んでみたが生活ゴミのようなものが大量に散乱していた。この中を探索したWEB記事によれば、コの字型に細い水路のような空間が続いており、いずれ閉塞地点へと辿り着く。この地下への開口部を跨ぐようにアーチの壁にはスリットが入っている。

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 スリットの上部を見上げる。天面も深く掘られており、直感的には水門の存在を思い起こさせた。

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 逆側のスリット上部も同様。

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 ダブルアーチの先には多面構成のコンクリート壁で囲われた空間が存在する。この空間の真下には先程の床開口部の奥、地下空間が存在しており、迂闊には踏み入ることができない。踏み抜いて落ちる危険性が考えられた。何となく足元の固さに頼り無さを感じるのだ…。

 ここのコンクリ壁の高い位置の左右にも梁を渡したような穴が存在。画像右側の一部には梯子が一本だけ残る場所があった。この記事の冒頭2枚目の梯子は、このコンクリ壁画像左側の外側に設けられている位置関係となる。

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 左側の内壁。上部には階段が造られており、上って行けば直角隣接アーチの上部方向へと進んでいる。

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 右側。こちらの上部には階段は無いが、画像左側の下の位置に梯子が1本だけ残っていた。20120103_42
 ダブルアーチを外側から。シンプルだが立派な意匠を備えている。アーチの弧の部分の縁は垂直と水平面の直角合わせではなくテーパー面が設けられている。

 撮りながら、足元を踏み抜いて地下に落ちそうで冷や汗…。

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 内部からもう一度ダブルアーチ付近を見渡す。地下への開口部、水門?スリット、下のほうが浸食されているダブルアーチ中央の支柱…。水の流路の想像ができない。地下空間の意味は?水門の前後に位置する開口部など、真意が読めないのだけれど…。

 往時の姿はどんなだったかなぁ…と思いながら、鉄扉から右側、隧道の取水口方向へと歩いてみることにした。

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 謎のタンクの裏側付近。床には謎の丸穴と四角穴。四角穴は踏み抜いて開いてしまったものかもしれないけれど…。とにかく、こちら側にも何らかの地下空間がある。隧道を取水口方面に向かって右側の範囲、中央のU字溝を隔てた右側の範囲だ。

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 散らばるLPレコード。施設とは無関係だが。

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 こちらの壁にも古い碍子が残っていた。

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 隧道が一定程度の幅まで狭まった以降に存在する、コンクリートブロックで隔てられた謎の隔壁個室群。ここから先は闇で踏み入れない。

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 隔壁は推定10前後か。他の方のWEB記事ではホームレスが暮らしていたような痕跡もあったという。人が居ても困るし、死んでいてもらっちゃそれこそ困るし、何より闇で進めないので、本日はこれまで…。

 この先、隧道は一度閉塞隔壁を経て(隔壁の脇に隙間が作られており通り抜けは可能)、右に5本の横坑(全て広瀬川河畔へ通じる)と幾つかのコンクリート止水壁、意図不明な数本の横穴などを備えながら、水没と泥の嵐の中、高低差が1mも無いまま、1.4km弱ほど先まで続いている。取水口は竜ノ口橋の近くにある。

 この隧道そのものは現在「仙台愛宕下水力発電所導水トンネル」と呼ばれているようであるが、この「仙台愛宕下水力発電所」という名称は地元大学が用いた名称のようで、古地図には「青葉電気工業発電所」という文字で記載されているようである。このことからより正式?に近い呼称とするならば「青葉電気工業発電所導水隧道」とかになるのかもしれない。ただし、操業開始から停止までの間に管轄会社が一度変わっているため、「青葉~」ではない名称がもう一つ存在していた可能性も否定できない。地域の通称としては向山発電所というのもあったらしい。

 それにしても、隔壁個室群などは水路にあるまじき構造。考えられることは、水路としての役割を終えた昭和4年以降、何らかにこの空間が転用されているだろうということだ。隔壁個室群の奥で隧道を閉塞し水の流れを横坑に導いて広瀬川に排出することで、吐水口付近までは水が流れてこないようにしている。

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 青葉電気工業発電所は昭和4年に県が電気事業会社から買い取っているという。その後はどうなったのか。昭和18年まで存在した愛宕プール。それまでは隧道にも水が流れていたことだろうと想像すると、その頃に転用されている可能性もある。太平洋戦争の最中、となると考えるのは軍事目的にとか?不燃性の厳重な鉄扉の存在も気になる。ただし、奥のコンクリブロック隔壁個室に使われていたブロックは戦後にJIS規格化されたもののようにも思える。この場所の雰囲気や時代背景などから軍事的にとかいろいろ考えてしまいがちだが、案外単なる倉庫として使われていただけだったりするのかもしれない。

 …誰か知ってる人は居ないのかしらねぇ…。

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 直角隣接アーチ開口部は、推測すると隧道内を流れてきた水の最終管理場所。このアーチから人が水路へ入り、発電設備へ入っては困るような流木等のゴミを除去作業していた可能性、って考えられないかな。吐水口を出た水は川までの僅かな落差を利用して水力発電されていた、と。この空間内で発電されていたわけではなくて、ね。

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 ここを発電所跡と言うには微妙に違うのかもしれない。発電所隧道の転用跡と言うべきで、発電所そのものは屋外の平地に建てられていたのかも、と想像しても良いだろう。隧道内の高湿度環境に電気設備を並べるのは得策じゃないし、とか。

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 そうであったとしても、ここは貴重な昔の産業遺構と言えるだろう。最近ではもっぱら心霊スポット的に扱われることが多いようだけど。

 そんなことを考えながら、この空間を後にした。

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 上流側の隣の崖には横穴墓群と祠がある。更に上流側まで足を運ぶと…。

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 発電所導水隧道の横坑が口を開けている。出入口付近だけがコンクリートで補強されているのは後世のものだろう。

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 内部は素掘りとなっている横穴。発電所導水隧道のコンクリブロック隔壁個室群の奥、隧道本体の閉塞隔壁の上流地点に続いているという。僅かに水が流れ出ており足元は最悪。スニーカーでは横穴の奥に入ることができなかった。

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 発電所跡付近と横穴墓群の全景。

 推測や憶測を交えての探訪って面白いな、と。

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