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January 25, 2012

大晦日の閖上:02

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 大晦日の夜明け前に閖上入りし、日和山で日の出を迎え、その後に周囲を少し撮り歩いたときの続き。日和山の近くには極僅かな建物しか残っておらず、その一つが上画像の「佐々直」。

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 一階部分はご覧のとおりもぬけの殻となり、剥がれ落ちた天井裏のダクトスペースなどをスズメが棲み処にしていた。周辺が静か過ぎる故にスズメの鳴き声だけが反響している建物は物悲しく朝陽に照らされていた。

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 津波被災後には何とか形を残していた隣接部分、別棟などは取り壊されてしまったようだ。やはりコンクリート基礎のみ残っていた。

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 建物の周辺には広大な更地。

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 遠くに僅かに残ったハマボウフウと、瓦礫の山。これだけ広い更地の真ん中に廃墟のように建物が一つだけ残っているという状況が、静けさと相まって非日常的な感覚を呼び起こすのだが、数ヶ月前までは多くの人々が日常を送っていた土地であるという現実がここにはある。

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 割れた窓から見える天井裏。とても小さいがスズメが2羽並んで写っている(画像中心からやや右寄り)。

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 外壁にも至るところに亀裂や穴。本来は見えないアングルでの排水管が見えていた。

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 建物が残された、ということは工場再建の可能性があるということだろうか。

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 笹かまなどを買う機会があったら佐々直を選んで応援したいものだ…。

 そう思いながら、停めたクルマの方向に歩き始めた。

 そしてしばらく行くと…。

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 お茶や線香を供えた跡が。

 このような場所が広大な一帯に点在しているのだろう。

 クルマに戻り、沿岸部を後にした。

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 海岸線から3km程度内陸に進んでも、まだ放置されたままの漁船があった。この辺りも相当の浸水被害があったが、人の住む家と人の住まなくなった家がそれぞれ点在している上、中には新築中の建物もあった(上画像中央奥に見える)。

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 枯れ草の海に浮かぶ船。

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 船体から油を抜いたマーキングが施されていた。

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 この一帯が海と化した証拠、か…。

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 画像奥は海の方向。船は道路を使って海に戻りたがっているような、そんなふうに見えた。

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 鯉のぼりが引っ掛けられたままの住宅。3月には出していなかったであろう鯉のぼりは、どういう意図で、どういう気持ちでその後に出され、そして出されたままなのだろうか。

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 東部道路近くの船。この船は震災後しばらく道路を半分ほど塞ぐように在ったが、歩道まで移動させられていた。

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 この船も海の方向を向いていた。

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 主が乗ることはいつになるのか。

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 干乾びたフジツボと、錆び付き始めた船底。

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 瓦礫の撤去と共に凄惨さが薄れ始めていた津波被災地には、変わらぬ静寂の中に虚しさと悲しみがまだまだ残っていたように思った。

※震災一ヵ月後に蒲生~閖上を訪れたときの記事はこちら。

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