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January 21, 2012

大晦日の閖上:01

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 大晦日の夜明け前、名取市閖上地区に赴いた。東日本大震災発生の翌月上旬に赴いて以来。大量の瓦礫が散乱し、半壊ながらも家屋が軒を並べていた場所は、一部の建物を除いてほとんどが解体撤去されて見渡す限りの更地となっていた。店舗や住宅が所狭しと並んでいた昔の光景が嘘のようであった。

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 閖上の日和山には流失した鳥居が再建されていた。

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 山頂には湊神社と富主姫神社が並んで祀られていた。

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 手作りの供養塔が建てられていた場所には、しっかりとした妙塔が建てられていた。

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 日和山のすぐ近くには、山と同じ高さの瓦礫の山(画像右)が築かれていた。一時的に集積しているものと思われる。

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 瓦礫の山の上には重機。日和山山頂から同じ高さに位置して、作業開始を待っていた。

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 2つの神様は、この地の変遷を見守り続けるのか。

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 重機の間から日が昇る。震災の年の最後の日の出。

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 明るくなってきたことで周辺へ目を向ける。ほとんどの瓦礫が取り除かれ、人々の生活が極当たり前に存在していた地だったことを思うと虚しいほどに何も無い。

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 住宅基礎と道だけが虚しく佇む。

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 誰も居ない場所でも、カラスたちは何かを求めてやってくる。お供え物が狙いなのだろうか。

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 日和山山頂に植樹された閖上桜。次の春にはほんの数輪でも花を咲かせてくれるのだろうか。

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 日和山から下り周辺を歩く。瓦礫の山の上に鎮座していた重機たちは間もなく動き始めるのだろう。

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 日和山山頂にある妙塔。いくつかの塔婆は強い西風に傾いてしまっていた。

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 瓦礫の山の麓に置かれていた布袋様たち。

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 交差点付近の千切れた標識柱。

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 取り残された鍋。他にも調理道具や文房具類などは所々で残っていた。

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 日和山を振り返って見ると、朝日に向かって撮影している人の姿が。この日は日の出の後30分間程度の間に日和山付近に来ていた人は十人程度居た。

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 佐々直の蒲鉾工場。

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 近付く足取りに、道という概念は無い。

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 傷んだ建物には、スズメの鳴き声だけがこだましていた。

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 傾いた水栓。津波の流れによるものなのだろうか。

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 蒲鉾工場から少し離れたところにも残されている建物があった。ほとんど骨組みだけであり、虚しい。

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 スズメの棲み処となってしまっていた蒲鉾工場の様子もいろいろと撮ってみた。

 それはまた次回へ続く。

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