« 閖上までの道(5) | Main | 続:その後、いろいろ。 »

May 02, 2011

その後、いろいろ。

20110402_99_03

 4/2と4/3に津波被災地まで足を運び、その惨状を見、郷里を襲った自然災害の大きさと恐怖の名残りを身体で感じ、記憶に刻んだ。

20110402_99_04

 今では東北新幹線も全区間で運行を再開し、広瀬橋付近の高架橋に立ち往生したままだったMAX(4/2撮影)の姿も消えているが、その後一ヶ月近くの個人的な近況とか、世の中のことで思ったことを、画像とは関係があったりなかったりしながらの報告記事を少々(長々?)。

20110405_07

 4/5。自宅の都市ガス供給が復旧。夕方、仕事を早退し帰宅し、開栓立会い。自宅の駐車場が倒壊したブロック塀の修繕工事(フェンス化)にて駐車できず、開栓後はそのまま少し近所をドライブすることにして工事終了を待つ。

20110405_02

 葛岡墓園まで行くと、仮埋葬地の準備が進められていた。墓園の中央付近の高台であった。この場所は、私の歴代愛車たちを撮影する場所にしてきた石畳なのだが、その左右の敷地が埋葬地として工事されていた。

20110405_01

 墓園の管理棟前の駐車場と道路を使う形で、仮遺骨安置所が作られていた。画像はローターリーから北西方向を見たもの。プレハブで数棟並んでおり、通行車両は細い枝道を迂回して奥へ進むことになる。(郷六→国見方面へ抜けるだけならロータリーから北東方向に進路を向ければ良い。)

20110405_03

 4/7。大余震発生。私は入浴中であった。身体を洗い、ヒゲを剃り終え、顔に付いた泡を洗い流そうとしていたときだった。ズズズズズズドドドドドドドドド…!と、シャワーの音にも負けないような地鳴りが始まった。とっさに浴室の扉を開ける。それと同時に細かな立て揺れが始まった。浴室から出た先は台所なので、揺れでブッ飛ぶ物が多い。浴室の扉を片手で開けて押さえ、しゃがんだまま、来るべき揺れに備える判断をした。これは確実にデカイ余震?が来る…。

20110405_04

 地震警戒姿勢(といっても浴室の扉を開けたのみで全裸でしゃがんでいるだけ…)となった後の、揺れが来るまでの僅かな時間が長く感じた。しかし、きっと1秒程度のことなんだろう。すぐに激しい立て揺れが始まり、台所では案の定、吊り棚からホットプレートが飛び出て落下した。立て掛けてあったまな板が倒れ、洗い場の皿を高く弾き飛ばして床に落下させて割れた。湯船の湯は激しく波立ち溢れまくり。湯船の中に居たら溺れかねない状況…。激しい揺れは徐々に横方向へ…と揺さぶりに翻弄されながら台所を眺めていたら、停電…。揺れが収まってくる。真っ暗。全裸…。台所には割れ物の破片多数。どうしようかなぁと思っているうちにシャワーが冷水に。シャワーを止めるレバーを暗闇で手探りで操作して、台所方向へと振り返ったら、復電。浴室から脱出した。

20110405_05

 居間に行くと、照明器具が天井からだらんと下がってきていた。天井への固定が外れたらしい。そして何より、少しずつ復旧していた部屋の中身が再びメチャクチャ。それはさて置いて地震情報を確認すると、我が家付近は震度6弱。身支度を整えて職場へ向かうこととした。道中、仙台市内は斑に停電区域が広がっていた。職場へ着き、人的な被害が無かったことを確認し、給水状況等の確認と設備関係の復旧を行い、そのまま職場で仮眠して朝を迎えた。

20110405_06

 そう言えば、3月の東北地方太平洋沖地震本震のときや、4/7の大余震のときの、我が家の中の被害状況について詳しく触れていなかった。本震のときは発生日の夜中に一度確認しに行き、我が家の中へ入った。玄関内は下駄箱が倒れて行く手を阻んでおり、台所からブッ飛んできたおろし金が埋もれていた。土足のまま入り、食器棚前は散乱物と割れ物の海。食器棚は倒れていなかった。続いて1mほど移動した冷蔵庫が台所の中央に鎮座。冷蔵庫の後ろ側に散らばったものを取り除いて冷蔵庫を所定の位置に移動し、進行スペースを確保。割れ物だらけの中を進んで、やはり移動していた電子レンジ台(実は水槽台)を所定の位置に戻す。なお、冷蔵庫の上に置いてあった炊飯器も、水槽台の上に置いてあった電子レンジも落下は免れ無傷であった。居間は2つ置いてある本棚が破損倒壊し、全部の本が散らばっていた。メタルラックの上段に置いていたCDやDVDもほとんどが落ちて散らばっていた。テーブル上のパソコンやモニターも倒れ、足の踏み場も無いというには容易かった。幸い、メタルラック中段に置いていた薄型テレビは倒れておらず、台の上の水槽(水草だけになっていた放置水槽)2つも落下していなかった。水槽は、これまで震度3くらいでも水が溢れていたために、数年前に敢えてキャスター付きの台の上に置くようにして免震?していたことが功を奏した。居間の隣の部屋のクワガタ飼育ケースもメタルラックから落ちていなかった。これはラックの周辺に倒れ込んだ他の棚や衣装ケースが、飼育ケースの飛び出しを防いだ形となっていた。なお、施錠していた窓が勝手に開いていたり浴室の扉の開閉がきつくなったりしたが、家屋そのものへのダメージというのは見受けられなかった。

20110408_01

 4/7の大余震では、先に述べた台所の割れ物被害と照明器具下がり、再度の足の踏み場も無い状況のほか、大きかったのは居間の壁の亀裂が少し広がったことがあった。この亀裂は本震以前よりあったもので、岩手・宮城内陸地震の時も拡大するようなことが無かった部分だが、ここから少し破片が散らばった。それでも致命的な部分ではないだろう。さすが積水の鉄骨の建物だ。

 なお、水槽は再び免震効果を発揮。クワガタ飼育ケースは周辺を抜本的に片付けていなかったので、そのまま倒れていた棚などに押さえられたままで落下しなかった。

 以後、余震も本震規模であることだし、自宅のパソコンに緊急地震速報ソフトを導入し、大きい揺れが予想されるときには予想震度と到達予測時間を表示させるようにした。ほんの一瞬でも早く察知できれば、部屋の中で安全なスペースに身を置くことができるだろう。(テレビの速報より1~2秒ほど早く速報されるようである。)

20110410_01

 4/10。壊れた本棚を震災ゴミとして西花苑まで持ち込んだが、恐ろしく長蛇の車列…。昼過ぎだったが、ゴミを置くまで日が暮れそうだったので撤退し、蕃山の麓周辺を少し歩いて気分転換をした。キクザキイチゲのような花がチラホラ。

20110410_02

 暖かな陽射し。黄色いチョウが飛んでいくので追ってみる…。

20110410_03

 モンキチョウとは違う翅のカタチ。

20110410_04

 スジボソヤマキチョウのようだ。越冬した後の黒い点々、シミが見える。

20110410_05

 ちょっと翅も傷んでいた。頑張って冬を乗り越えた個体だ。

20110410_06

 カタクリも咲いていた。ヒメギフチョウとか居ないかなぁと林内を彷徨う…。

20110410_07

20110410_08

20110410_09

 結局、見られたチョウはスジボソヤマキだけ。あとはカタクリ鑑賞散歩で山を下りてきた。

20110410_10

 小一時間の彷徨いで春を堪能。カシラダカもさえずる。

20110410_11

 動植物で感じる春の息吹に、久々に震災のことを忘れる一時を過ごせた。

20110413_01

 その後、震災で遅れている仕事を取り戻すべく地味に残業を重ねる日々。

20110413_02

 避難している福島県人を差別するような世の出来事に心を痛めたり腹を立たせる日々。

20110415_01

 出荷規制されてても出荷される野菜たち。そういうことをしちゃうから変にまた不安が広がるってもので、風評被害が収まらなくなったりする。某県では福島県人の差別事例が散見されたにも関わらず出荷規制野菜を確信犯的に出荷していた農家が数軒あったようだから、なんだか某県全体の印象が悪い…。某県民性を疑ってしまうではないか。

20110415_02

 現在、福島の原発では放射性物質の拡散は続いてはいるのだが、落ち着いている。落ち着いているのだが、続いている。これをどう捉えるか。中~長期的に、どれほどの範囲にどの程度の影響を与え、暗い影を落とすのか。

20110415_03

 隣県宮城は風向きなどに助けられ、著しい影響下にはないものの、今後少しずつ何かしらの影響は出てくるのだろう。

20110415_04

 今回の原発事故は天災の副次的な状況ではなく、人災要因が大きいと受け止めている。あれだけ安全を謳っていたし、数年前には大津波の危険性も指摘されてたし、それで今回の状況だとすると、何も対策が進んでいなかったようにも思えるし。津波の高さが想定外ってだけで済まされるのかな…。想定されてても防げないような隕石の落下やミサイルでのピンポイント攻撃による破壊なんかだったら分かるんだけど…。原発炉心直下が数mの地割れや隆起・陥没が起きたとしても問題無いような対策(建屋水平維持倒壊防止構造?)まで、本当は必要なんじゃないの?とか思ってしまう。

20110415_05

 至った状況は変えられず。今現場で尽力している多くの人々には敬意を表するに値する。取り戻すべきことと取り戻せないものが混在する中、最善を尽くそうとしている人々は称えられて良いではないか。最小限の関わりで済まそうとしている関係者には閉口してしまうことも多いが…。

 混沌としている部分はまだまだ多い世の中だが、いろんなことを思いつつ、そんな感じで4月中旬まで過ごしていた。

(つづく)

|

« 閖上までの道(5) | Main | 続:その後、いろいろ。 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/155453/51552925

Listed below are links to weblogs that reference その後、いろいろ。:

« 閖上までの道(5) | Main | 続:その後、いろいろ。 »