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April 07, 2011

閖上までの道(3)

 祖父の生まれ故郷、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)までの道程は続く。

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 海岸線に近いところの住宅地。比較的家屋が残っているが、津波に対して干渉物となった構造物や地形が海側にあることや、ほんのちょっとの流れ方の違いで、残るか残らないかの分かれ目があったのだと思う。

 その分かれ目が、命に関わっていたのだと、痛感しながら歩みを進めた。

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 仙台市街が霞んで見えた。これだけの距離なのに、心の距離がとてつもなく遠いところにある人が一部には存在する。現実の距離感とその距離感。どんな距離感でも個人の内面のことなら構わないが、家や身内、近しい人を失った人の前では、その距離感を露呈するようなことにつながらないよう配慮してもらいなと思うことが目に付いたり、耳にしたり。

 無論、ここへ赴いて何かを感じてくれ、という意味ではない。むしろ、配慮のできない人がガソリン事情の回復により現地を訪れて(特に県外ナンバーの車が目立ち始めたという)、あれやこれやと物珍しく騒いで行く、見物車両渋滞が発生して避難所への物資搬送に滞りが生じるということで、被災地への通行規制(許可証制)を開始した町も出てきた。珍しいことだから、滅多に見れない光景だから、という程度のことだけを動機に行こうとしている人が近くに居るなら制止してほしい。

 被災地域にはまだ避難所から身動きがとれない人々が多い。そして半月前まで、木に引っ掛かった遺体や、水面に浮いた遺体や身体の一部が一週間以上も手におえない状態の場所だったのだから…。騒ぐようなことのためには行かないでほしい。

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 流されてきた屋根があった。

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 重いピアノも。

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 基礎と、その上の材しか残っていない家屋も多かった。

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 残った家屋も、流されてきた車両や瓦礫に埋もれていた。

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 一様になぎ倒されている電柱。ここは比較的住宅が集まって建っていたところなのだが。

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 玄関付近。家屋の建具としては、引き戸のレールだけが残っていた。

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 しっかりと残っているような家屋も、一階部分の中は完全に破壊されているような状態。

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 溜め息しか出ない光景が続く。

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 街は近いのか、遠いのか。

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 間もなく閖上大橋というところまで南下してきた。

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 地震後、広場や学校のグラウンドに避難したまま津波に、という話は仙台でも聞かれたが、それを思い出す。

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 自動車整備工場。

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 波を受けた側。

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 波は左側に抜けていった。

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 見渡す限りの瓦礫。

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 補修工事が始まって通行止めとなった閖上大橋を少し先に、西方向へと進路を向けた。

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 至るところに屋根だけが流れ着いていた。

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 北側へと延びる道。左右の水田と思わしき場所は冠水したままだった。

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 細かい残骸は水に隠されているが、車両などはこれまでの何所とも変わらず存在していた。

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 閖上大橋方向を見る。

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 捜索はまだまだ続いている。

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 厚く堆積した土砂の下にもまだまだ…と思うと、言葉が出てこない。

 ブログを時々見ていただける方で、いずれ宮城にも行ってみたいと申されていたこともある方の旦那様が消防勤務をしており、遥々東海地方から応援隊として宮城入りするというご連絡をいただいた。旦那様には、少しでもお役に立てるようしっかり頑張ってきてもらいたい、と。

 ただ、ただ、ありがとうございます。

 落ち着いて、地域に前向きな歩みが見て取れるようになったら、是非、仕事ではなくて宮城にいらっしゃってほしいと思っています。

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 閖上大橋の北側付近の冠水はしばらく残りそうな感じだった。

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 臨機に排水路を設けられないのは、おそらく既存の道路を何箇所も削る等しなければならなくなるからなのかもしれない。

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 自衛隊が調べたのは3月19日。いや、調べることができたのは3月19日、ということなんだろう。

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 全自動洗濯機の中身だけと、赤いゴルフバッグ。

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 やや内陸寄りに進むも、相変わらずの光景。

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 名取川河口の北側付近では、東部道路に近付くにつれて堆積した瓦礫の量は増していっていた。

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 東部道路と名取川の交差地点より東側を。

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 東部道路の築堤は、付近の住民などが津波から逃れることができた、小高い僅かな場所になった。

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 東部道路の下を通り、名取川左岸を遡る。東部道路を越えた先にも大量の瓦礫が流されてきていた。

 この後、国道4号バイパスまでの大迂回を試みたのだが、強い西風に押されて前進することに時間を要してしまい時間的な都合がつかなくなったために、この日は先祖代々の地である閖上へ入ることを諦める結果となってしまった。

(続く)

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