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April 10, 2011

閖上までの道(4)

 名取川河口、閖上大橋を仙台側から南に渡ることができなかったために大迂回、しかし時間切れということで閖上入りを諦めた2日。その翌日午後、閖上入りを果たした。

 国道4号バイパスから東進し、東部道路が見えてくると周辺には津波による浸水の痕跡と漂着物が目立ち始め、東部道路より海側に入ると道路脇に漁船などが漂着していた。民家やコンビニに突っ込んだままの車両などを見ながら、閖上の生協前まで辿り着いた。

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 生協前から漁港方向を見る。海岸線より1km強。もうこの辺りだと流失した家屋が散見され始め、流され引っ掛かった瓦礫などが相当量存在している場所となっていた。

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 生協向かい。ボートがひっくり返っていた。

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 生協前から内陸方向を見る。まだこの風景だと、なんとなく閖上の町並みをほんの少し残しているようにも思えるが…。

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 そこから一歩、海側へ足を運べば風景は一変。僅かな家屋は残っているが、「何も無い…」という言葉が思わず出てしまう。ここから徒歩で海岸方向へ進むことにした。

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 南方向を見る。津波は左から右へと過ぎ去った。

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 フローリングと縁台を残すだけの宅地(右側が海)。正面の家屋前には何人か人が集まっていた。おそらく家主一家なのだろう。その家の背後に二階まで及ぼうかという瓦礫の山があった。

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 鉄筋コンクリートの建物は残っているが、一階はとてつもない状態。(右側が海)

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 残った家も、修繕は困難なほどに傷んでいるものがほとんど。(左側が海)

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 閖上郵便局のものと思われる点字ブロック(左側が海)。奥には水田だったと思わしき場所が広がり、水が溜まっていた。名取川河口北側でも見受けられたが、沿岸部の水田の排水は自然排水できないらしく、ポンプ排水なのだという。そのポンプ施設が復旧しないので、排水路を設けようが何をしようが、最終的には一番低い水田部分に多くの水は残るようだ。

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 郵便局の隣の葬儀社。この裏の建物に逃げ込んで助かった人も居るという話を聞く。

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 流れに一階部分が削られた家屋。右奥から津波は来ている。

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 公民館と働く婦人の家が近隣の復旧対策本部なのだろうか。関係車両が多く出入りしていた。

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 消防出張所前。

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 左方向を見ると、東禅寺という寺が見える。それよりも海側はほとんど壊滅していた。

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 その、海側を見る。たまたま、何かの偶然で流失を免れた家屋が数軒あるのみ。

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 祖父の生まれ故郷も変わり果ててしまった。遠縁に当たる盃の本姓一族の人たちも多く命を落とし、生活を奪われた。更地と化した土地のように、悲しみと虚しさが広がる…。

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 看板は本来、どこにあったものだろう。

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 更地となった瓦礫の原で、何かを探す人の姿もあった。

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 車両。ただ大破しているだけでは何も言葉が出てこない、当たり前の光景と化していた。

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 アパート(奥側が海)。なんとなくしっかり残っていそうだが…。

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 やはり津波の流れと瓦礫の流れに破壊されていた(南面)。

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 捜索ヘリは水の存在する場所の上空を低空飛行していた。写っている家屋は津波や高潮を意識したのか一階部分は駐車場か何かにしていた高床式としているが、左面を見ての通り二階と三階部分に損傷が見受けられる。津波に流された家屋がぶつかったりした痕跡なのだろう。

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 シーサイドハウスという建物だろうか。港近くでは二階付近まで津波は到達し、建物内を抜けているようだった。

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 北に延びる、変わり果てた道。いや、道は変わらず、それ以外が変わった。溜め息しか出ない。

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 日和橋の袂の貞山堀沿いの道路は寸断されていた。

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 捜索ヘリが急旋回。手前の貞山堀の岸には、何かを発見したのか捜索隊の人が立ち止まったままだった。

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 日和橋より漁港方向を見る。

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 同じく、進行方向、日和山をやや左に見る。

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 同じく、南方向を見る。海側から見て鉄筋コンクリートの集合住宅の裏手に存在した家屋は比較的残っているようだった。

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 同じく、貞山堀沿いを南に見る。

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 同じく、やや振り返り気味に西側を見る。

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 同じく日和橋より、進んできた方向を振り返る。「何も無くなった…」という以外に言葉は出ない…。ほかに出るものと言えば溜め息…。去来するものは虚しさと悲しさばかり。

(続く)

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