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April 03, 2011

閖上までの道(1)

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 4月2日。地震後2日目となる完全休日だったため、自宅から自転車で沿岸部を走り、祖父の生まれ故郷である名取市閖上(ゆりあげ)を目指すことにした。

 私の本名を知っている人なら思うことがあるだろう。全国区として考えると珍しい姓であることに。この姓は仙台発祥で、総本家は宮城野区小田原にあった。閖上は我が姓の一族でも発展した分家の一つがあり、同じ姓の人々が多く暮らす。そこから祖父は仙台市内に移り住み、現在の私の親戚関係を構築している。(仙台小田原より以前の一族は千葉県木更津市にルーツがある。それ以前は落ち延びた平家方の某一族のようである。)

 今ではかなり遠縁の人々が暮らす閖上。祖父母のことを知っている人は居るかもしれないが、私を始め私の両親や伯父伯母を知る人は居ないかもしれない程度の遠縁関係。されど、閖上に住む同じ姓の人々が県警の死亡者リストに次々に載るのを見続けていると、現地に行き、被災状況を見、思い馳せておかなければと気が済まなくなった。

 2日は早朝に出発するつもりだったが、そんなに早くに起きることができず、結局は午前9時前に自宅を出た。仙台市街地を抜け、若林区新寺から卸町の南側を抜け、六丁目交差点より真っ直ぐ東進、宮城野区蒲生へ。その後南下して閖上大橋を渡るというルートを考えた。今の私の地元である仙台市という地域の被災状況も見ておく必要が個人的な気持ちの中にあったからだ。

 出発後、若林区内で朝食を済ませ、飲料を購入。六丁目交差点を過ぎ、東進して仙台東部道路の下をくぐった先の道に入ると…。

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 そこには冠水した跡があった。歩道や路肩に堆積した乾いた泥は、場所にもよるが厚さは3~10cm。おそらく海岸線から直線で約4kmくらいの場所なのだが、ここまで海水は迫っていた。

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 会社の敷地の泥ホコリを掃き掃除している人たちが居た。粒子は限りなく粉のような細かさのホコリ。車両が通過するたびに舞い上がる土煙。マスクを装着することにした。

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 僅か数百m進んで、歩道は流れ着いた瓦礫などで走行不能に。

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 周囲の水田だったと思わしき一帯には、厚く堆積した泥と、流木を始めとする流されてきた残骸。油分の多い泥なのか、オイルの臭いが混じったような泥臭さがあった。

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 更に少し進むと、周囲には流されてきた車両が目立つようになってくる。

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 横転している車両はまだ無く、浮いて流されてきた、という印象が強い。

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 更に少し進むと捜索隊の姿が目に入った。多くの車両が流れ着いた(引き波の時にまとまって取り残された)場所のよう。遠くでも頻繁にヘリが行き来していた。この道に入って、まだ500mくらいしか進んでいないのだが…。

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 しばらく進むと車両がまとまって残っている。(画像は進行してきた方向、内陸側に振り返って撮っている。)

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 遠くまで、車両は散見される。(左が沿岸方向)

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 海岸線から2km強くらいのところの住宅(左が海側)。外壁に何重にも残る水面の痕跡。最も高いところでは、私の胸の高さくらいまで水に浸かったようだ。家屋内検索済みの貼紙がされていた。

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 進行方向の海側を見る。左右の田畑は瓦礫が散らばる泥湿地や荒野のようになっていた。

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 蒲生に入る。タンクらしい残骸が転がっていた。(右が海側)

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 ひたすら泥が堆積した場所が広がる。泥の多さは、周辺の田畑から津波により巻き上げられた土に要因しているのか…。

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 海方向を見る。海岸線までは1km強という地点。

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 来た道を振り返る。路肩の地盤は場所によっては津波に削られている。

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 津波を受けた住宅は全壊か半壊、その姿を留めても一階は相当な損傷。(左が海側)

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 クレーン付きのトラックのようである。荷台部分は無く、原形を留めていない。

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 折り重なって大破している車両。

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 自衛隊や米軍の大規模捜索が行われているからなのか、とても頻繁にヘリが行き来していた。

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 北向きに遠くを眺める。広大な土地を巨大な津波が一様に駆け抜けたことを考えると、その場に立たないとスケール感が得られない。スケール感を得ても、現実感が得られ難い。現実感が得られ難くても、それは現実として起きたこと。

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 その現実が残した光景だけが広がっていた。

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 右から波を受けていた住宅。一階部分は波が抜けている。

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 トヨタ車であることは辛うじて分かった。

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 車椅子があった。

 浄化センター付近は工事のために通行規制のロープが張られていたので奥には行かず、その後、進路を南に移した。

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 南北に通る農道は、画像で言うと左からの津波によりアスファルトが流されている部分が相当あった。

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 転がるショベルカー。周囲の地面が水の流れで侵食されていた。

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 電柱は倒れるか傾くとき、ほぼ決まって内陸方向に向いていた。

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 ビニールハウスか何かの支柱も、津波の流れた行き先を指し示していた。

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 何かの農業倉庫。一階部分は完全に波を被っている。

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 豊かで広大な水田が広がっていた景色は、砂と泥と水と瓦礫が散らばる荒野に変わっていた。

(続く)

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