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November 16, 2010

晩秋の蕃山歩記(前編)

 平地の紅葉もかなり進んだ11/14、仙台市西部に位置する蕃山を歩いてみることにした。蕃山の麓にある大梅寺には昨年秋にも訪れている(説明なしで画像だけ3枚UPしてました^^;リンク先記事の5~7枚目画像)が、今回はその先、蕃山の山頂にある蕃山開山堂を目指して歩き、身近な山で秋を堪能しようという目論見である。(運動不足を解消しようという副目的もある…。)

→蕃山・大梅寺付近の地図(Google Map)

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 10年近く前は折立団地内から入山したことがある蕃山だが、今回は大梅寺の参道からアプローチする。黒子甘党氏同行にて、午前10時半に入山。

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 まず参道入口に立つ延命地蔵さんの前を横切り、階段を目指す。が、その前に…ここに設置されている蕃山の説明看板の内容をご紹介して、どんな山であるのかをお伝えしておこう。(以下、●~●範囲内が看板記述の引用)

●蕃山(標高357m)について

 蕃二蕃三郎兄弟の伝説に因んで蕃山という。盤山とも書く。山腹の竹薮の巨岩の下から、滾滾と清澄な泉が豊かに湧いていた。その美味に、この山の白鹿を巻狩に来ていた藩祖伊達政宗が、唐の詩人韓愈の詩の一節「盤谷の間、泉甘くして土沃ゆ」から、「盤山」甘泉筧」と名付けた。以来、茶の湯として有名であったが、折立団地の造成で惜しくも涸れた。

 蕃山は昔から信仰の山、御野掛け(ハイキング)の山として、権現森や太白山と共に仙台市民に親しまれてきた山である。

 山腹の臨済宗大梅寺は、松島瑞巌寺を退山した雲居国師が此所の白鹿堂跡に来て庵を結び終焉の地に定めた寺で、慶安三年(1650年)に創建された禅宗の古道場である。

 尚、平安時代に弘法大師が、蕃山に霊場を開こうとして天狗に妨げられ、高野山へ去ったという伝説も残っている。●

 看板記述を少し補足する説明としては、平安時代に弘法大師はこの地を訪れ、蕃山の姿が蓮華の葉に似ているということから霊場にしようとし、九十九谷まで開いたが、最後の一谷を天狗の群れに邪魔をされて開けず、紀州高野山に去って金剛峰寺を開いたとされる伝説がある。

 この山に白鹿が居るとかつて聞いていた伊達政宗が、その鹿を将軍に献上しようと勢子(獣の追い立て役。狩子)に命じて追わせたが、誤って傷つけて鹿は死に、それに激怒した政宗は勢子を罰しようとしたが、側近がなだめて、代わりに鹿を供養するための白鹿堂を建てることで許されたという。雲居がこの地に来たのはその33年後と言われており、瑞鹿堂という庵を建てた。

 希膺雲居(1582-1659年)は政宗により瑞巌寺へと呼ばれた京都の高僧で、号は把不住軒。俗姓は小浜氏。土佐出身である。政宗は瑞巌寺創建の際の開山を雲居に懇請したが雲居は固辞した。政宗没後、二代藩主忠宗が父の遺志を継ぎ、洞水(後に雲居の後を継ぎ瑞巌寺第100代住職となる名僧。政宗の孫・光宗の菩提寺円通院の開基)と片倉小十郎を雲居の下へ派遣、27年間も待ち続けたという政宗の遺言に雲居は心を打たれて無住となっていた瑞巌寺へと来て、第99代住職となった。このことで瑞巌寺は天下に名を知られることとなった。

 雲居が瑞巌寺を退山し、蕃山を開こうとした際にも、弘法大師と同じように最後の一谷を天狗に邪魔をされて開けずに居たという。この天狗を雲居のために追い払ったとされるのが蕃二蕃三郎兄弟(あるいは万二万三郎兄弟)だ。

 蕃二蕃三郎兄弟の伝説とは、二口の磐司岩に住んでいた万二と綱木の蕃山に住んでいた万三郎という弓矢の名手兄弟の伝説のことで、彼らは一帯の山谷で猟をして暮らしていたが時に山賊を働くこともあったとされる兄弟の話である。雲居の手助けをした兄弟は、雲居により山の鎮護として祭られた。雲居の徳にうたれた兄弟は山賊から足を洗い弟子となったという。

 蕃山は盤山と言われるほか、綱木山とも言われる。大梅寺の号は瑞雲霊亀山祥岩。臨済宗。京都の妙心寺末で、本尊は釈迦牟尼仏。開山は慶安四年(1651年)としている文献もある(その文献とは「宮城県百科事典(河北新報社:昭和57年刊行)」。補足説明の一部はこれを参考にしている)。明治中期には瑞巌寺住職の中原鄧州が瑞巌寺を追われた際、後に白石市傑山寺に移るまで一時この寺に住んだ。

 さて、話を戻して、そんな山を歩くわけです。

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 延命地蔵の先に、すぐに左へと上る階段が見えてくる。良い雰囲気♪(私としては)

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 階段を進むと、左側に夏目漱石の「草枕」の碑が見えてくる。『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』と彫られている。大梅寺は漱石の「草枕」中に『陸前の大梅寺へ行って、修行三昧じゃ』という一節として登場する寺でもある。その奥隣には小さい碑もあり、こちらは芭蕉の句『山路来て何やらゆかしすみれ草』が彫られている。こちらの句は直接大梅寺に関係ないと思われるが、蕃山は大梅寺~開山堂間を歩いていて句のような気持ちになることは大いにある山であり、とても相応しい句であろう。

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 更に参道を進む。古風な佇まいを残す参道はプチ・タイムトリップ気分を味わえる。

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 蕃山登山道と寺の参道との分岐。左側へと進めば蕃山登山道入口へとショートカットできる。今回は右の参道を進み、大梅寺内を通らせてもらいながら紅葉を見物することにした。

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 間もなく寺だというのに、この看板…。寺にクマが居るのか?みたいな。

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 金剛力士石像がお出迎え。さて、ここからは昨年撮っておきながら未UPだった画像も交えていきましょう。

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 金剛力士石像の後には暖簾塚がある(昨年撮影)。商売道具の一つである暖簾を大切にすると共に供養も行おうと平成7年に建立された塚である。

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 夏目漱石「草枕」の別バージョン碑(こちらが本家?)が登場する(昨年撮影)。昭和63年に立てられたようである。

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 石段へと進む(今年撮影)。左右にはユニークな羅漢さんが鎮座している。

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 左側(昨年撮影)。

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 右側(昨年撮影)。

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 石段を登り切るとこんな感じ(今年撮影)。右側の建物が本堂。左に進むと蕃山登山口方向だが…。

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 やはり、こんな羅漢さんが鎮座していたりする(昨年撮影)。

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 で、こんな小路を抜けて蕃山登山口へ向かうのだが…(今年撮影)。紅葉と青竹のコントラストが綺麗であった。

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 こちらの画像は昨年撮影。昨年はまだそんなに紅葉が進んでいなかったが、今年はピークだった。

 で、歩いていくと…。

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 こんな羅漢さんの前を通り…(昨年撮影)。

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 こんな羅漢さんに見送られ…(昨年撮影)。

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 お邪魔にならないようにしつつ…(昨年撮影)。

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 小さな橋の袂に何気に佇む河童を見つつ(昨年撮影)、直進して階段を登ると…。

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 右側に水子観音の祀られたお堂がある(今年撮影)。好い風情である。

 このお堂とは反対側、左に向かうことで蕃山登山口に辿り着ける。というところで次回へと続く。

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