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November 23, 2010

晩秋の太白山歩記(前編)

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 突き進む砂利道…。そして着いた先は…。

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 生出森八幡神社の駐車場。先週は蕃山を歩いたけれど、そこからも見えていたお隣の山、太白山を歩いてみることにしたのだ(11/21)。今回も黒子甘党氏が同行。

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 生出森八幡神社の駐車場からすぐ、鳥居をくぐるルートを進むことにする。なお、このルートの右側にはフラットな登り坂ルートもある。

 さて、散策時には恒例の?説明看板の内容を見てみることにしよう。(●~●間が引用文)

●太白山と生出森八幡神社

 標高321mのこの山は、生出森またはオトア森・オドガ森ともいわれ、山頂に貴船神社の石宮を祀る。

 昔、太白星が落ちてできたので太白山といわれるようになったとある。

 中腹の生出森八幡神社は、文治5年(1189年)源頼朝が藤原泰衡を攻略したとき、その功により先陣の河村秀清に名取郡の地を与えた。

 河村氏は茂庭に館をかまえ、城中に鶴ヶ岡八幡を祀ったが、元禄年中(1688-1703年頃)その子孫・茂庭義秀がこの地に再興したといわれている。●

 太白山は第三紀の火山活動で生じた古い火山であり、その成因は七ツ森と同じ、火山体が浸食によって消失し、溶岩の部分が小山体として残った火山岩頸である。太白星とは金星のこと。仙台富士や名取富士とも呼ばれる。オドガ森とは「生出が森」と記述する。ウドガ森と呼ばれることも多く「鳥兎ヶ森」と書く。

 生出(おいで)とは昭和31年まであった旧村名で、名取川の北岸の茂庭、南岸の坪沼から成り立っていた。その村の名の由来が太白山こと生出森であった。

 山の上に船にまつわる神社があるというのは一見すると不思議だが、これは太白山がはるか昔から仙台湾を航行する船舶にとって帰航の際などの良い目印となっていたことで海からの信仰の対象となったのである。なお、太白山の貴船神社は大同二年(807年)建立とされている。

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 さて、道は杉木立の中を抜けて行く。少しずつ勾配が急になってくる。

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 神社の参道であることから、石灯篭も点在する。古くて崩れているようなものから、極最近奉納されたような新しいものまで、いろいろ。

 あ、トレッキングシューズに履き替えてくるのを忘れた…。クルマに戻るのが面倒なのでそのまま行く。

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 運動不足の私には辛い傾斜となってくるが、まだ神社にすら到達していない…。多少息を切らしながら上っていくと…。

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 生出森八幡神社付近の平場に到着する。

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 比較的新しい舞台・神楽堂がある。ここでは神楽が行われるが、その舞は熊野系の流れを汲んでいるとされ、熊野三山とのつながりがある天台系の名残りがあるのではないかと言われている。生出森八幡神社が建立される以前から?雲道寺という寺があったとも言われており、先程の出発点である駐車場付近の杉林の中に楚石らしきものが植林前まではあったと言われていることから、そこが寺の跡ではないかとされている。これらの史実は明治の神仏分離策によって仏教系の記録は排除され、明確ではないという。何らかの歴史がたくさん埋もれている山、謎多き山として太白山は有名でもある。

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 神楽堂の横から生出森八幡神社を望む。やはりここにも熊注意の看板が。実際クマが出ることはあるし、カモシカなども結構出るようである。

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 通称?弁慶岩の横から神社を望む。後ほど神社側からの岩の画像をお見せするが、太白山は不思議な巨岩が転がっている山でもある。山自体が岩山ではあるものの、巨岩が剥落してきたような場所の特定が難しい。岩もある程度大きくなれば、落ちる前の場所も大きくえぐれていたりするものなのだが。

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 山頂・貴船神社へと向かうルートの鳥居。こちらへと進む前に左手の方向、神社のほうに寄り道をする。

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 神社裏から横を通り過ぎて、正面の少し離れた場所まで進んで振り返り撮影。こちら側が正面の参道となるが、石段は古くて凸凹、歩き難い。

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 で、神社の拝殿。

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 拝殿(左側の建物)の後ろ側には本殿。…だと思う。

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 神社より見下ろした弁慶岩と神楽堂。あの岩、どっから転がってきたんだろう…。勿論、転げてきたのは舞台が建てられる前ではあるのだが、いつから転がっているか定かではないようである。神社ができた後に落ちてきたなら、神社付近にも被害が出たかもしれないが…。それと、付近に石も数多く転がっているのも不可思議なこと。昔の石積みか何かじゃないかと推測される向きもある。

 太白山は、山の南側に多くの石や岩が転がっているという。それらには人為的とも思える切り出し整形されたような石の痕跡、石積み遺構と思えるような場所などが点在するそうだ。そういう点で、太白山には遥か昔に砦があったとも言われている。

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 さて、いよいよ山頂・貴船神社に向かおう。

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 いきなり斜度が急になる…。落ち葉が靴底を滑らせる。履き慣れているとはいえ、山歩き用ではないスニーカーでは少し気を遣う。

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 手掛かり用の鎖が登場。短い距離で一気に登る太白山には必需品。常にこれに頼ることまではしないで登るのだが、時々はお世話になった。

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 急坂をカニ歩きで降りてくる下山者。下手に転ばれたら自分のところまで転げ落ちてくる可能性もある…。

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 急坂は絶えることなく続いている。そんな足元の状態。鎖やロープが張られているからルートとして成り立っているが、それが無ければ単なる斜面だったりガレ場だったり思われても不思議ではない場所もある。

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 少し休憩していると初老の女性2人が降りて行き、親子が登ってきた。女性陣はステッキを使用してバランスを取るほどに、身軽なはずのお子様だって鎖を掴んで登ってくるほどに急斜面である。

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 天空へと登るかのような岩場地点。繰り返される腿上げ運動がキツイ…。先週の蕃山は適度なアップダウンで歩くに心地良かったが、太白山は登りっ放しで斜度も相当なもの。10月に歩いた定義森林軌道跡なんて傾斜という傾斜がほとんど無い道だったので比べ物にならないくらい体力を短時間で消耗する…。

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 ほんのちょっと平坦な場所があり、息を整えつつ、中山や葛岡方面を望む。

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 道は左に大きく曲がり、なお急斜面は続く。あと一息で頂上。最後の急斜面で、怖くて降りられなくなっている男児を見掛ける。男児のお祖母さんは手助けしようとしているが、両親は「甘やかすな!」と厳しい口調。私が父親だったら同じことを言うだろうな…。

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 頂上の鳥居が見えてきた!…ってところで、次回後編へと続く。

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