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November 2010

November 25, 2010

定義森林軌道跡探訪記:余

 先月中旬、大倉川右岸側に存在する範囲で歩いた定義森林軌道跡。現地の落葉が進んでいるようなので、大倉川対岸、一般車道から見える軌道跡はどんなものなのか、ドライブついでに見に行ってみた。(11/23)

※軌道跡を歩いたときの記事(序章)→こちら

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 到着したる所は、現在の定義林道出入口。林道を出てきた正面、大倉川の対岸に位置する山間を昔の定義林道、つまり定義森林軌道は走っていた。以前の記事で言うと、第4話第5話の範囲に相当する場所をここでは眺められるはず…。

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 降車して程なく、一般車道からでも第5話冒頭で歩いた絶壁路が木々の隙間に見て取れる。黒光りする絶壁岩盤が、山の中腹をベルトのように左右に延びて見えている。高さ的には一般車道よりやや高い位置を軌道は走っていたんだね。しかし、落葉したとは言え木々の枝が邪魔で視界不良だ…。

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 現在の定義林道出入口の前の林内には、上画像のように踏み入れられる道がある。ここを入って行けば、多少は対岸山腹の軌道跡との距離が縮まるし、視界がクリアな場所があるかもしれないゾ、ということで入ってみる。

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 岩山と川面が見えるポイントを発見。画像では軌道跡は明瞭には見えないが、白破線の位置を走っている。転げ落ちたら生きていられるとは限らない高さだなぁ…。なお、第5話の岩盤切通し付近を対岸から見ていることになる。

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 絶壁が見易い場所があった。木材を積んだ貨車があそこを走っていったのか…。

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 とりあえず林内の道を奥まで行き、第4話での失態地点(這いつくばり地点)を探すと…あった!画像のド真ん中!(広角じゃ分からないよね…)

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 レンズを望遠に換装して撮影。画像中心部分の黒ずんだところが苔生した石積み。その直上が軌道跡であり、斜面からの堆積物で埋もれてしまって今では人一人分の幅しかない踏み跡となっている区間だ。

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 踏み跡を最大望遠(400mm×35mm換算1.6=640mm)で撮影。枝で見え難いが、画像下半分が石積み。上半分が堆積物(であり、私が這いつくばった場所…)。中央左右に亘る踏み跡。

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 石積みを見易い位置から撮る。と言っても、結局は枝が邪魔で視界不良で困難を極めたが…。

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 少しだけ移動して別な位置からも撮影。苔生していて石積みの表情までは窺い知れないな…。

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 ちょっと引き気味で撮影。石積みと周辺の踏み跡の様子がよく分かる。というか、自分でもよくこんな場所を歩いたな、と思う…。対岸から見ると余計に心細い踏み跡に見えてしまうということもあるけれど…。

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 林内の道の最奥地点より見ると、大倉川(左下破線)と軌道跡(右上破線)、踏み跡範囲(楕円)の位置関係が分かる。あそこからは落ちたくないな…。きっともう行かないだろう(笑)。なお、林内の道も最奥は大倉川に落ち込む崖っぷちであるから、気を付けて歩く必要はある。

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 林内の道の最奥から車道方面へ戻りつつ、望遠レンズで絶壁を撮ってみる。どこもかしこも枝が邪魔。そう言えば、この絶壁地点の直前には軌道跡の第四架橋地点(当ブログ記事上、第四としている木橋。第4話に登場)があったはず。カメラを望遠鏡代わりにして、場所を変え姿勢を変えゴチャゴチャした枝の隙間を探し回ると…。

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 あった!第四の橋。橋も対岸からなんとか見えるんだ、ということが分かった。

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 朽ち行く橋。肉眼では枝が邪魔で見つけられないかも…。

 そんなこんなで、定義森林軌道跡を大倉川対岸から見てみるという行為を終了して、大倉ダム湖畔より泉方面へ抜けるドライブへ。

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 午前中は雨天だった空も、午後からは大回復の晴天。だけど、かなり西風が強くなった。泉ヶ岳方向の景色がクリアで、クルマを停めた。山の東側は湿った風が巻き込むからなのか雲が絶えず居座っていた。画像奥の左の山、後白髪山の西まで定義森林軌道は延びているんだよねぇ、とか思ってみたり。いつか行けるかしら。

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 あとそのうち、泉ヶ岳を普通に登ってみるかな、とも思いました。

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November 24, 2010

晩秋の太白山歩記(後編)

 11/21に仙台市西部に位置する太白山を登った記事の後編。生出森八幡神社の駐車場から歩き始め、息を切らしながら急斜面を登ってきた。そしていよいよ頂上の貴船神社の鳥居が見えてきた。

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 頂上部に到着する。ここまで寄り道しながら撮影しながらという具合にゆっくりと進んできたが、僅か40分しか経過していない。登ることだけに専念すれば15分程度の道程だろう。

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 到着時刻は午後0時20分。ちょうど昼食を楽しむ家族連れやハイカーで賑わっていた。とりあえず自分たちも昼食を開始。先週の蕃山を散策したときに見掛けたご夫婦の姿もあった。

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 貴船神社と三等三角点。登ってきて三角点を撫で撫でしている中年男性も居た。

 太白山頂は山体を成す岩盤上部が露出している場所でもあるが、割とゴロゴロと大きめの石が転がっている。人が居て撮れなかったがテーブル石と呼ばれるフラットな面を持つ不思議な石もある。そういう状況が、何らかの人為的なものの痕跡があるとする考えに至る根拠となっているようだ。

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 貴船神社脇に奉納?されている蛙の置物。なぜ蛙が…?というと、「無事に港へ帰るため」の目印として太白山は海からも信仰を集めたためだろう。

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 同じく、木彫りのクマ。(こちらはなぜ?)

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 北西方面に見える、先週の散策地蕃山一帯を望む。

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 手前の山、右側のピークが蕃山、左側の電波塔の辺りが西風蕃山。遠くの山は右が泉ヶ岳と北泉ヶ岳、左が三峰山と後白髪山。先週の蕃山散策では霞かかった風景だったが、この日は気持ち良い青空だった。

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 南東方向の住宅地と、遠くに海を望む。

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 南西方向、生出地区を望む。もう少し西の方向に不忘山を始めとする蔵王山麓が綺麗に見えていたが、思いっきり撮り忘れ(汗)。

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 心地良い風と陽射し、風景に抱かれて、しばしの時間を過ごす。11月も下旬だが、暖かな一日であった。

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 さあ、下山しながら少しまた散策しようか。

 足元に気をつけながら急斜面を降り、生出森八幡神社まで戻ってきたところで、岩がゴロゴロしている付近に鳥の姿を確認。望遠レンズを装着しているうちに見失ったが、黒子甘党氏が鳥の位置を追尾していた。

黒:「あの石のところに居るよ。」

盃:「石って、いっぱいあるんですけど…(汗)」

黒:「あの木のところの…。」

盃:「いっぱい木があるんですけど…(大汗)」

 そうこうしているうちに鳥の存在に気が付いた。岩場の中の、石と地面の隙間から顔を出してさえずっている。不思議な場所でさえずる鳥だな、と思っていたら石の上に出てきた。が、少し遠い…。

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 とりあえずシャッターを切ったが、400mm望遠ズームレンズ(35mm換算で都合640mm)でも小さくしか写らなかった。が、種の同定は可能なレベル。ミソサザイだった。日本の野鳥でも最小クラスの鳥。留鳥。学名(属名や種小名)のtroglodytesは、「岩の割れ目に住むもの」を意味するそうだ。

 ミソサザイは、これ以上の接近を許してくれずに飛び去った。さえずっていた場所はおそらく巣の入口。巣を確認しようかとも思ったが、それは鳥にとって迷惑、悪事であると判断しやめた。

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 せっかく望遠レンズに付け換えたが、ミソサザイ以外に遭遇する鳥は居ない。トボトボと下山の足を進める。足場が良くなってきたところで、油断した黒子甘党氏が頻繁に足を滑らし始める…。

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 生出森八幡神社の駐車場まで戻ったが、時間もあるので少し西側に散歩することにした。

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 名残りの紅葉もチラリ、

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 ホラリ。

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 11月下旬だというのに、比較的トンボの姿が目に付く。太白山頂にも居た。そういえばここまで、この秋は強い冷え込みも少なく来たなぁ…。

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 日当たりの良い場所に、テントウムシの姿を見掛けた。先週の蕃山でも見掛けたナミテントウだが、近くを探してみると日当たりの良い杉木立の幹に大量に付いていた。そして周囲をたくさん飛び回っていた。おそらく越冬場所を探して飛び回っているのだろう。

 で、見掛けたナミテントウの中から様々な斑紋をピックアップして撮ってみることにした。

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 問:上と下の画像の16頭のうち、ナミテントウではないテントウムシはどれでしょうか?

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 ナミテントウ・コレクターの人にとっては嬉しい場所だな…。ちなみにテントウムシと言ったらナナホシテントウを思い起こすことも多いが、1頭も居なかった。

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 テントウムシのほか、オオトビサシガメやツマジロカメムシ(上画像)などのカメムシの仲間もうろついていたり、飛んでいたりした。

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 夏の忘れ物も見つけた。

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 この時季としては、貴重な日光浴かな。トンボも私も。

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 飛び立とうとするテントウムシ。先程の問の答えは、上画像のほうの右側上から2番目の個体がヒメアカホシテントウ。それ以外は全てナミテントウ(のはず)。蕃山の記事でも言ったけれど、斑紋変異がたくさんあって面白いナミテントウです。

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 暖かな陽光も、あと僅か。それを知ってか知らずか、トンボたちは光の中を舞っていた。

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November 23, 2010

晩秋の太白山歩記(前編)

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 突き進む砂利道…。そして着いた先は…。

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 生出森八幡神社の駐車場。先週は蕃山を歩いたけれど、そこからも見えていたお隣の山、太白山を歩いてみることにしたのだ(11/21)。今回も黒子甘党氏が同行。

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 生出森八幡神社の駐車場からすぐ、鳥居をくぐるルートを進むことにする。なお、このルートの右側にはフラットな登り坂ルートもある。

 さて、散策時には恒例の?説明看板の内容を見てみることにしよう。(●~●間が引用文)

●太白山と生出森八幡神社

 標高321mのこの山は、生出森またはオトア森・オドガ森ともいわれ、山頂に貴船神社の石宮を祀る。

 昔、太白星が落ちてできたので太白山といわれるようになったとある。

 中腹の生出森八幡神社は、文治5年(1189年)源頼朝が藤原泰衡を攻略したとき、その功により先陣の河村秀清に名取郡の地を与えた。

 河村氏は茂庭に館をかまえ、城中に鶴ヶ岡八幡を祀ったが、元禄年中(1688-1703年頃)その子孫・茂庭義秀がこの地に再興したといわれている。●

 太白山は第三紀の火山活動で生じた古い火山であり、その成因は七ツ森と同じ、火山体が浸食によって消失し、溶岩の部分が小山体として残った火山岩頸である。太白星とは金星のこと。仙台富士や名取富士とも呼ばれる。オドガ森とは「生出が森」と記述する。ウドガ森と呼ばれることも多く「鳥兎ヶ森」と書く。

 生出(おいで)とは昭和31年まであった旧村名で、名取川の北岸の茂庭、南岸の坪沼から成り立っていた。その村の名の由来が太白山こと生出森であった。

 山の上に船にまつわる神社があるというのは一見すると不思議だが、これは太白山がはるか昔から仙台湾を航行する船舶にとって帰航の際などの良い目印となっていたことで海からの信仰の対象となったのである。なお、太白山の貴船神社は大同二年(807年)建立とされている。

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 さて、道は杉木立の中を抜けて行く。少しずつ勾配が急になってくる。

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 神社の参道であることから、石灯篭も点在する。古くて崩れているようなものから、極最近奉納されたような新しいものまで、いろいろ。

 あ、トレッキングシューズに履き替えてくるのを忘れた…。クルマに戻るのが面倒なのでそのまま行く。

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 運動不足の私には辛い傾斜となってくるが、まだ神社にすら到達していない…。多少息を切らしながら上っていくと…。

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 生出森八幡神社付近の平場に到着する。

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 比較的新しい舞台・神楽堂がある。ここでは神楽が行われるが、その舞は熊野系の流れを汲んでいるとされ、熊野三山とのつながりがある天台系の名残りがあるのではないかと言われている。生出森八幡神社が建立される以前から?雲道寺という寺があったとも言われており、先程の出発点である駐車場付近の杉林の中に楚石らしきものが植林前まではあったと言われていることから、そこが寺の跡ではないかとされている。これらの史実は明治の神仏分離策によって仏教系の記録は排除され、明確ではないという。何らかの歴史がたくさん埋もれている山、謎多き山として太白山は有名でもある。

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 神楽堂の横から生出森八幡神社を望む。やはりここにも熊注意の看板が。実際クマが出ることはあるし、カモシカなども結構出るようである。

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 通称?弁慶岩の横から神社を望む。後ほど神社側からの岩の画像をお見せするが、太白山は不思議な巨岩が転がっている山でもある。山自体が岩山ではあるものの、巨岩が剥落してきたような場所の特定が難しい。岩もある程度大きくなれば、落ちる前の場所も大きくえぐれていたりするものなのだが。

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 山頂・貴船神社へと向かうルートの鳥居。こちらへと進む前に左手の方向、神社のほうに寄り道をする。

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 神社裏から横を通り過ぎて、正面の少し離れた場所まで進んで振り返り撮影。こちら側が正面の参道となるが、石段は古くて凸凹、歩き難い。

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 で、神社の拝殿。

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 拝殿(左側の建物)の後ろ側には本殿。…だと思う。

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 神社より見下ろした弁慶岩と神楽堂。あの岩、どっから転がってきたんだろう…。勿論、転げてきたのは舞台が建てられる前ではあるのだが、いつから転がっているか定かではないようである。神社ができた後に落ちてきたなら、神社付近にも被害が出たかもしれないが…。それと、付近に石も数多く転がっているのも不可思議なこと。昔の石積みか何かじゃないかと推測される向きもある。

 太白山は、山の南側に多くの石や岩が転がっているという。それらには人為的とも思える切り出し整形されたような石の痕跡、石積み遺構と思えるような場所などが点在するそうだ。そういう点で、太白山には遥か昔に砦があったとも言われている。

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 さて、いよいよ山頂・貴船神社に向かおう。

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 いきなり斜度が急になる…。落ち葉が靴底を滑らせる。履き慣れているとはいえ、山歩き用ではないスニーカーでは少し気を遣う。

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 手掛かり用の鎖が登場。短い距離で一気に登る太白山には必需品。常にこれに頼ることまではしないで登るのだが、時々はお世話になった。

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 急坂をカニ歩きで降りてくる下山者。下手に転ばれたら自分のところまで転げ落ちてくる可能性もある…。

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 急坂は絶えることなく続いている。そんな足元の状態。鎖やロープが張られているからルートとして成り立っているが、それが無ければ単なる斜面だったりガレ場だったり思われても不思議ではない場所もある。

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 少し休憩していると初老の女性2人が降りて行き、親子が登ってきた。女性陣はステッキを使用してバランスを取るほどに、身軽なはずのお子様だって鎖を掴んで登ってくるほどに急斜面である。

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 天空へと登るかのような岩場地点。繰り返される腿上げ運動がキツイ…。先週の蕃山は適度なアップダウンで歩くに心地良かったが、太白山は登りっ放しで斜度も相当なもの。10月に歩いた定義森林軌道跡なんて傾斜という傾斜がほとんど無い道だったので比べ物にならないくらい体力を短時間で消耗する…。

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 ほんのちょっと平坦な場所があり、息を整えつつ、中山や葛岡方面を望む。

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 道は左に大きく曲がり、なお急斜面は続く。あと一息で頂上。最後の急斜面で、怖くて降りられなくなっている男児を見掛ける。男児のお祖母さんは手助けしようとしているが、両親は「甘やかすな!」と厳しい口調。私が父親だったら同じことを言うだろうな…。

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 頂上の鳥居が見えてきた!…ってところで、次回後編へと続く。

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November 20, 2010

晩秋の蕃山歩記(後編)

 11/14に歩いた蕃山の記事。前編では主に大梅寺まで、中編では大梅寺~蕃山開山堂手前までの道のりの記事であった。それもいよいよ?後編へ。

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 大梅寺から蕃山の尾根沿いの山道を西へ歩くこと約1.7km。間もなく蕃山開山堂というところで太白山方面をスッキリ望めるポイントがある。木々に葉が残っている季節は基本的に眺望の利かない山道なのだが、この場所だけはいつでもスッキリ見渡せる。空の薄雲が無ければね、もっと気持ち良い風景なんだけど。

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 その眺望ポイントの背にはお地蔵様が佇んでいる。しかし、このお地蔵様は顔無し。遥か昔に欠けたのか割られたのかは定かではない。

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 そして到着した蕃山開山堂。蕃山の頂上部でもある。案内看板によれば大梅寺より1.86kmを歩いたことになる。大梅寺の麓からだと2km強というところか。

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 開山堂前からの眺め。先程の眺望スポットに比べれば手前の木々の影響で眺めはそんなに良くはない。

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 蕃山開山堂は常寂光塔と言い、大梅寺奥院である。説明看板があったので、その内容を以下のとおり。(●~●の間が引用)

●常寂光塔(大梅寺奥院・蕃山開山堂)

 大梅寺の開山雲居禅師の塔所。禅師は諸国の山野を行脚し、全国に173ヶ寺を開山。天皇にも禅を講じ、後に朝廷から大悲円満国師と諡名された京都妙心寺の禅宗の高僧である。

 藩祖伊達政宗が瑞巌寺を創建し開山に懇請されたが固辞して請けず、27年間も待ち続けた政宗の遺言に心を打たれ、遂に松島に来て瑞巌寺の開山となり、その誠意に報いた。

 慶安3年(1650年)の冬、蕃山の麓に来て庵を結び終焉の地と定めた。この蕃山をこよなく愛で何時も大梅寺より登って来ては此所で座禅を組んだ。「熊や鹿がよく遊びに来て呉れた。」と自ら漢詩に書き残している。

 万治2年(1659年)入滅。78歳。この山頂に葬る。遺命により墓石を建てず。元禄13年(1700年)四代藩主伊達綱村によって、その上に堂を建て常寂光塔と称す。現在の堂は嘉永6年(1853年)の建立。

 堂内の正面は雲居国師、右は蕃二、左は蕃三郎の像である。●

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 その堂内。堂の戸は普段は閉められているが、開けて中を覗き込むことはできる。

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 一息ついていると、杖を突いて初老の男性が息を切らせながら登って来た。地元の人のようだが、年金暮らしで金が無くて何もできない、山を歩けば金が掛からない、これからは共○党だ、若い者はこんなところに来ないで街で金使って資本主義に貢献しなさいetc、etc...

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 蕃山開山堂を最終目的地として飯を予定していたが変更。西風蕃山(ならいばんざん)を目指すことにする。そっちのほうにも眺めの良い気持ち良い場所がある。開山堂の裏手には古ぼけた石碑があり、その脇を抜けて尾根沿いを更に西へ進む。

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 晴れていれば木々の隙間から見える景色も良い道だろう。この山の尾根は青葉区と太白区の境界でもある。右が青葉区、左が太白区ということになる。

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 秋も終わりを迎えた尾根道を進む。時折多少のアップダウンはある。

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 電波塔が見えてくる。その脇を抜けて行く。

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 西風蕃山山頂に到着。三等三角点がある。三角点とは地図や地形図を起こす時の三角測量の基準点で見晴らしの良い山頂などに設置される。宮城県内には2532(+2)の三角点があるようで、一等が14(+2)、二等が107、三等が731、四等が1680となっている。+2とは船形山と栗駒山の一等三角点のことで、厳密には山形県や岩手県に所在していることになっているようである。この三角点を探すことを目的に山登りをする人も多い。

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 更に西へ進み、もう一つの電波塔脇を抜けて行く。2本の電波塔、どっちがどっちだか忘れたが、国土交通省のものと警察無線のものである。蕃山開山堂からは約1km西に位置する場所だ。

 昔、この辺りで道端に転がっていた朽木を蹴飛ばしたら、中からクワガタムシの幼虫が出てきたことがあった。羽化させたらアカアシクワガタの♀となった。もう10年近く前の話。

 で、このちょっと先に眺望ポイントがあり…。

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 古典的な方法で精度悪いけど、パノラマ合成してみた(画像をクリックすれば別窓で大きく見ることができます)。北を中心に東西約160度ほどの景色が堪能できるだろうか。倒木をそのまま転がしたベンチがあり、休憩にも良い。午後1時到着。ここで昼飯にした。

 上のパノラマ画像に写っているものを説明すると、右側(東側)奥から仙台市街、その手前に青葉山や放山界隈、更に手前に郷六や折立交差点付近が見える。正面には権現森。その左奥には七ッ森が見え、権現森の手前(蕃山丘陵の北側麓でもある)には落合や栗生地区が広がる。左側(西側)には芋沢地区や大沢地区が見渡せ、奥には泉ヶ岳や北泉ヶ岳、その西側におそらく三峰山、後白髪山などが見えている。

 私の職場から蕃山見えるからなぁ。私の職場もここから見えるはずなんだが。霞んでてよく分からなかった。

 気持ち良く昼食を終え、周辺の景色を楽しんでいたら…。

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 カメラバッグに潜り込んできたナミテントウ。越冬場所でも探していたんだろうか。

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 私のカメラバッグでは越冬できないよ?ということで、悪いんだけどその場に置き去り。ナミテントウは斑紋の変異が多様で面白いね。

 午後2時前、下山を開始。カメラレンズを広角から望遠に換装して、鳥や紅葉など撮りながらゆっくり帰ろうかと。

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 コガラかな?ちょっとピン甘…。

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 ヤマガラ。顔撮れず…。

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 陽射しが欲しいなぁ…。

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 コゲラ。やっぱりピン甘…(テレコン付けてマニュアルフォーカスだとピント合わせるのに時間がかかる未熟者…)

 他にもオナガ、シジュウカラ、ホオジロなどを見掛けたけれど、いずれも素早く飛び去ってしまい満足に撮れず(汗)。

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 薄日が差して来た頃に大梅寺へ下山。往復6kmの散策路、久々の蕃山散策もお終いとなった。

 またいつか、気持ち良い季節に歩いてみることだろう。

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November 17, 2010

晩秋の蕃山歩記(中編)

 さて、11/14に仙台市西部の蕃山を歩いたことの続き。大梅寺の参道~境内経由で進んできて、折立団地内からも来ることができる寺の裏側の道に辿り着いた。

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 寺の境内から水子観音のお堂脇を抜け出て裏道へ。左に向くと下り坂で上画像のような景色となる。

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 道端に泉が湧いている。しかしこれは再現?(帰り道の際には水が流れ落ちていなかった…。)

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 下った道は少し右へ、ちょっと上ったところで登山口が見えてくる。羅漢さんが山歩きの人々を出迎えているような感じで面白い。

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 尾根筋に出るまでは少し急な階段道。この階段を上るだけで息が切れた…のは運動不足の証拠(笑)。同行の黒子甘党氏は手にしていたデジカメを仕舞い、「歩くことに専念する」と宣言…。この最初の階段道くらいなんだけどね、キツイのは。

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 階段を登り切ると蕃山について記された看板があるが、内容はゴルフ場建設に反対する内容のもの。奥羽山脈から蕃山まで往来する動物たちの障害となり、山の自然が失われる、と。杉林もだけど、ゴルフ場も今以上は要らない気がする。

 ちなみにこの看板の右隣にお地蔵さんがあるのだけれど、首欠けなので撮影せず。

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 しばらくは尾根筋を目指して上りが続く。最初の階段ほど急なものではなく、急ぎさえしなければ運動不足の私でも息が切れるようなことは無い。

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 まだまだ続く上り道。紅葉はまずまず良好だったが、雲天だったのが少々残念。太陽の光が欲しい…。

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 大梅寺から蕃山開山堂へと続く道端には、お地蔵さんのほか、歴代住職のものと思われる墓石も点在している。道の右側奥に小さな手洗い場(上画像)が見える場所があり、その奥へと行ってみると…。

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 墓石が佇んでいたりする。

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 正源院法菴崇喜居士、とある。寛文九年十月十三日。1669年か…。開山19年後。雲居禅師没後10年に当たる。

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 近くの林内にもう一つ。嶽法院…。元号は元禄。1700年前後か。

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 緩やかになった上りを終え尾根筋へ出ると気も楽になる。夏は鬱蒼としているが、新緑の季節や紅葉の季節は心地良い道となる。

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 時折アップダウンする箇所もあるが、尾根の谷間になる場所には盛土である程度道の高さを確保しているようなところもあり、必要以上に地形に合わせて上り下りすることはなくなっている。雲居禅師は日頃、寺から開山堂へ行き坐禅を組んだといい、このルートを歩いたはず。そんな道だからこそ古くから整備されたのかもしれない。

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 お地蔵さんは所々に。奥から4人家族が歩いてきた。散歩レベルの服装だったが、脇道に逸れるようなことをしないのであれば充分でもある。そんな身近な山なのだ。

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 首や顔の無いお地蔵さんもあるのだけれど、普通ならこの場所で割れないんだよね、地震とかあったとしても。それも首や顔に限って割れるっていうのはおかしいし。昔々の不届き者の仕業ってヤツかもしれません…。顔の部分には石ころが置かれてました…。

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 たまにロックセクション?なんかもあり、足の置き場を気にしながら歩を進めることもある。

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 墓石らしきものとお地蔵さん。この山には仏教的な意味合いがあるんだな、ということは誰でも感じることができる雰囲気がある。

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 そんな山の奥の尾根筋に貸し看板?みたいなものが突然現れるが、これは連絡手段の反射板という建設省の説明看板があった。反射させるものが電波とも光とも説明はされていなかったが…。説明看板には卑猥な落書きの跡があったのでUPしません。落書きした者に天誅を…。

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 大梅寺から進んでくると、お地蔵さんはほとんど左(南側)を向いている。その方向には太白山が。

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 ちょっとしたお散歩程度の人から、ハイカーレベルの人まで行き来する道。大梅寺から蕃山開山堂まで2km弱の道程も終盤へ。

 というところで次回後編へと続く。

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November 16, 2010

晩秋の蕃山歩記(前編)

 平地の紅葉もかなり進んだ11/14、仙台市西部に位置する蕃山を歩いてみることにした。蕃山の麓にある大梅寺には昨年秋にも訪れている(説明なしで画像だけ3枚UPしてました^^;リンク先記事の5~7枚目画像)が、今回はその先、蕃山の山頂にある蕃山開山堂を目指して歩き、身近な山で秋を堪能しようという目論見である。(運動不足を解消しようという副目的もある…。)

→蕃山・大梅寺付近の地図(Google Map)

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 10年近く前は折立団地内から入山したことがある蕃山だが、今回は大梅寺の参道からアプローチする。黒子甘党氏同行にて、午前10時半に入山。

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 まず参道入口に立つ延命地蔵さんの前を横切り、階段を目指す。が、その前に…ここに設置されている蕃山の説明看板の内容をご紹介して、どんな山であるのかをお伝えしておこう。(以下、●~●範囲内が看板記述の引用)

●蕃山(標高357m)について

 蕃二蕃三郎兄弟の伝説に因んで蕃山という。盤山とも書く。山腹の竹薮の巨岩の下から、滾滾と清澄な泉が豊かに湧いていた。その美味に、この山の白鹿を巻狩に来ていた藩祖伊達政宗が、唐の詩人韓愈の詩の一節「盤谷の間、泉甘くして土沃ゆ」から、「盤山」甘泉筧」と名付けた。以来、茶の湯として有名であったが、折立団地の造成で惜しくも涸れた。

 蕃山は昔から信仰の山、御野掛け(ハイキング)の山として、権現森や太白山と共に仙台市民に親しまれてきた山である。

 山腹の臨済宗大梅寺は、松島瑞巌寺を退山した雲居国師が此所の白鹿堂跡に来て庵を結び終焉の地に定めた寺で、慶安三年(1650年)に創建された禅宗の古道場である。

 尚、平安時代に弘法大師が、蕃山に霊場を開こうとして天狗に妨げられ、高野山へ去ったという伝説も残っている。●

 看板記述を少し補足する説明としては、平安時代に弘法大師はこの地を訪れ、蕃山の姿が蓮華の葉に似ているということから霊場にしようとし、九十九谷まで開いたが、最後の一谷を天狗の群れに邪魔をされて開けず、紀州高野山に去って金剛峰寺を開いたとされる伝説がある。

 この山に白鹿が居るとかつて聞いていた伊達政宗が、その鹿を将軍に献上しようと勢子(獣の追い立て役。狩子)に命じて追わせたが、誤って傷つけて鹿は死に、それに激怒した政宗は勢子を罰しようとしたが、側近がなだめて、代わりに鹿を供養するための白鹿堂を建てることで許されたという。雲居がこの地に来たのはその33年後と言われており、瑞鹿堂という庵を建てた。

 希膺雲居(1582-1659年)は政宗により瑞巌寺へと呼ばれた京都の高僧で、号は把不住軒。俗姓は小浜氏。土佐出身である。政宗は瑞巌寺創建の際の開山を雲居に懇請したが雲居は固辞した。政宗没後、二代藩主忠宗が父の遺志を継ぎ、洞水(後に雲居の後を継ぎ瑞巌寺第100代住職となる名僧。政宗の孫・光宗の菩提寺円通院の開基)と片倉小十郎を雲居の下へ派遣、27年間も待ち続けたという政宗の遺言に雲居は心を打たれて無住となっていた瑞巌寺へと来て、第99代住職となった。このことで瑞巌寺は天下に名を知られることとなった。

 雲居が瑞巌寺を退山し、蕃山を開こうとした際にも、弘法大師と同じように最後の一谷を天狗に邪魔をされて開けずに居たという。この天狗を雲居のために追い払ったとされるのが蕃二蕃三郎兄弟(あるいは万二万三郎兄弟)だ。

 蕃二蕃三郎兄弟の伝説とは、二口の磐司岩に住んでいた万二と綱木の蕃山に住んでいた万三郎という弓矢の名手兄弟の伝説のことで、彼らは一帯の山谷で猟をして暮らしていたが時に山賊を働くこともあったとされる兄弟の話である。雲居の手助けをした兄弟は、雲居により山の鎮護として祭られた。雲居の徳にうたれた兄弟は山賊から足を洗い弟子となったという。

 蕃山は盤山と言われるほか、綱木山とも言われる。大梅寺の号は瑞雲霊亀山祥岩。臨済宗。京都の妙心寺末で、本尊は釈迦牟尼仏。開山は慶安四年(1651年)としている文献もある(その文献とは「宮城県百科事典(河北新報社:昭和57年刊行)」。補足説明の一部はこれを参考にしている)。明治中期には瑞巌寺住職の中原鄧州が瑞巌寺を追われた際、後に白石市傑山寺に移るまで一時この寺に住んだ。

 さて、話を戻して、そんな山を歩くわけです。

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 延命地蔵の先に、すぐに左へと上る階段が見えてくる。良い雰囲気♪(私としては)

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 階段を進むと、左側に夏目漱石の「草枕」の碑が見えてくる。『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』と彫られている。大梅寺は漱石の「草枕」中に『陸前の大梅寺へ行って、修行三昧じゃ』という一節として登場する寺でもある。その奥隣には小さい碑もあり、こちらは芭蕉の句『山路来て何やらゆかしすみれ草』が彫られている。こちらの句は直接大梅寺に関係ないと思われるが、蕃山は大梅寺~開山堂間を歩いていて句のような気持ちになることは大いにある山であり、とても相応しい句であろう。

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 更に参道を進む。古風な佇まいを残す参道はプチ・タイムトリップ気分を味わえる。

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 蕃山登山道と寺の参道との分岐。左側へと進めば蕃山登山道入口へとショートカットできる。今回は右の参道を進み、大梅寺内を通らせてもらいながら紅葉を見物することにした。

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 間もなく寺だというのに、この看板…。寺にクマが居るのか?みたいな。

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 金剛力士石像がお出迎え。さて、ここからは昨年撮っておきながら未UPだった画像も交えていきましょう。

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 金剛力士石像の後には暖簾塚がある(昨年撮影)。商売道具の一つである暖簾を大切にすると共に供養も行おうと平成7年に建立された塚である。

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 夏目漱石「草枕」の別バージョン碑(こちらが本家?)が登場する(昨年撮影)。昭和63年に立てられたようである。

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 石段へと進む(今年撮影)。左右にはユニークな羅漢さんが鎮座している。

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 左側(昨年撮影)。

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 右側(昨年撮影)。

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 石段を登り切るとこんな感じ(今年撮影)。右側の建物が本堂。左に進むと蕃山登山口方向だが…。

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 やはり、こんな羅漢さんが鎮座していたりする(昨年撮影)。

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 で、こんな小路を抜けて蕃山登山口へ向かうのだが…(今年撮影)。紅葉と青竹のコントラストが綺麗であった。

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 こちらの画像は昨年撮影。昨年はまだそんなに紅葉が進んでいなかったが、今年はピークだった。

 で、歩いていくと…。

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 こんな羅漢さんの前を通り…(昨年撮影)。

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 こんな羅漢さんに見送られ…(昨年撮影)。

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 お邪魔にならないようにしつつ…(昨年撮影)。

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 小さな橋の袂に何気に佇む河童を見つつ(昨年撮影)、直進して階段を登ると…。

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 右側に水子観音の祀られたお堂がある(今年撮影)。好い風情である。

 このお堂とは反対側、左に向かうことで蕃山登山口に辿り着ける。というところで次回へと続く。

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November 03, 2010

BE KUWA No.37を読み

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 11/3、文化の日で仕事は休みだったけど、朝までの天候不良の余韻と、最近までいろいろあった疲れから、何もしない一日と決めて休養に専念。それでも体を動かさないのは良くないということで、夕方前に近所の河川敷をカメラ持ってブラブラ散策。

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 意味も無く、川上を行ったり来たり飛行しているユリカモメを撮ってみたり。広く草が生い茂る河川敷にも昆虫の姿は乏しく、可憐な花なども少ないもの。屋外でのんびりと過ごすというには寒い季節が目前に迫ってきていることを感じる散歩となった。

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 小一時間ほど歩き通し、帰宅して少し昼寝。その後、少し前に買っておきながら読んでいなかった(という状況が最近は多い)BE KUWAのNo.37秋号を読んだ。クワガタ飼育ギネス10周年を祝した大特集号。

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 最近専ら夏季の採集ばかりになってしまっている私のクワガタ・ライフから見れば、今号のBE KUWAに読む部分は少なし。というか、最近のBE KUWA全般にも言えることだが…。でもまあ、最近のクワガタ事情っていうのを垣間見るには良い資料。

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 私もクワガタ熱が再燃してから10年以上となったけれど、落ち着くところに落ち着いたって感じなんだろうか。今では外国産クワガタを飼育したいなんて気持ちは微塵もない状態になってしまった。まあ、今後絶対に飼育しないという話ではないが。

 私にとってクワガタは、幼少期からの良き遊び相手であり、それは自然界に存在するものだった。外国産クワガタとて自然界に存在するものであるが、外国産クワガタが存在する自然環境を体感してもいなければ親しみも無い。どうやら私はクワガタなど昆虫に対しては、親しみある身近な場所、地元に存在してもらわないと関心が向かない、続かない傾向にある。ということがこの10年ちょっとの期間で得た結論でもある。

 だからって、身近な山に外国産クワガタが放たれても困るのだけど。それは不自然なことであるし。

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 季節は冬へ向かう。

 来夏もローカル色強く行く。

 そう思わされるに充分な、BE KUWAの内容であった。

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