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October 2010

October 31, 2010

5年目の車検

 早いもので、我が愛車JB23も5年目の車検を迎えた。車検整備を迎えるに当たって、修理をしておかなければならない箇所が一つ…。

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 右前輪のハブナックル周辺。おそらくキングピンベアリングがイカれていて、シールが緩んでハブナックル内に封入されているグリスが漏れている。ここにガタが来ると前輪も少しガタつくことになるので、直進安定性などに難が出るとされている。同様のことが2年ちょっと前にも左前輪で起きており、その時はハンドリングにも影響が出ていたのでディーラーですぐに直してもらった。今回の右前輪では影響というほどのものは感じられなかった。

 今回この分、工賃が高く付くなぁという思いを抱えながら、車検を前に車外マフラーを取り外してノーマルに換装。2年前、前回の車検の時はボルトが固着して自力で外せなかったマフラーだが、その後ボルトをステンレスに替えていたため今回は難なくスムーズに取り外すことができた。

 ボルトをステンレスにしたほか、ガスケットを高密着タイプのカーボン製にもしていた。マフラー購入時に付属していたノーマルガスケットは、当時3年近く経過して完全腐食し、マフラー側のフランジに固着していて除去するのに手間がかかった(というか完全に除去するのが面倒になってある程度の除去でマフラーを再装着してしまっていた)ので、今回はどの程度腐食しているかが多少気になっていた。マフラーを外してみると…。

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 画像右の状態であった。左側は新品のカーボンガスケット。2年使用して、取り外しの際に割れてはいるが、原形は残っておりフランジへの固着も前回より少ない状態だった。

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 オートバックスで630円也。ノーマルと100円程度しか違わない。

 マフラーのほか、エアクリのフィルターを純正に戻して、エンジンルーム下の自作マッドガードを取り外し、車内清掃して、前回車検時と同じ整備工場行き。右前輪ハブナックルの修理を経て3日後に車検から戻ってきた。整備状況の説明を前回同様、工場の部長さんと主任さんから受ける。

部「修理で取り外した壊れてた部品、見ます?」

盃「ええ、是非。」

主「これ、全部部長が(作業)やったんですよねぇ」

部「これがシール部で、これが上のほうのベアリングで、これが…」

主「おれ、全然(面倒な作業は)やってないし…」

部「下のほうのベアリングがこんな感じで、もうガタガタで…」

 シール周辺の部品に腐食部分も見受けられたので、少し削って錆を落としたとのことで、今後はその部分から正常でも僅かなグリス漏れがあるかもしれないとのこと。封入するグリスはその関係で少し硬めのものを使ったという説明も受けた。

 その他、エンジンオイルとデフオイルの交換、あとは点検整備や調整等でおしまい。エンジンはオイル滲みなど見られず良好。ジムニーではかなり綺麗な状態のほうだという。走行6万km弱を迎えたエンジン、まだまだ走ってもらいたい。

 また、ブレーキ等も次回車検まで問題ないだろうという状態のようだ。気掛かりなのはバッテリーの消耗状況だが、調子崩してからでも交換は良いんじゃない?ということではあった。

 そんなこんなで5年目の車検を終え、また懲りずに?マフラーを戻すわけだ(笑)。新しいマフラーが欲しいところだが、お金が無いのでもう少し古マフラーに頑張ってもらおう。私のアクロスマフラーは、装着後2年くらいまでは劣化で音量が上がっていっていたが、3年目以降は歯止めが掛かっている感じである。「猛爆音」的な感じまでは劣化しないようである。

 さて、それじゃあ古マフラーをお掃除しようか。

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 取り外した直後のキチャナイ状態。

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 簡単マイペットで汚れを拭き取り。

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 金属磨きピカール仕上げ。強靭な焼き付き汚れの一部は落とし切れたもんじゃないので、その点は妥協(というか手抜き)。

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 フランジの状態。腐食部分や固着したガスケットで凸凹ザラザラ。再利用を前提に丁寧に処理するなら本来、金ヤスリなんかで地道に削って面をフラットにするところだが、私は…。

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 腐食部分と固着汚れのほとんどを除去した状態。使わなくなったナタの刃先をコツコツ当てて剥離除去した。丁寧じゃない横着な?方法でオススメはできない…。その後、CRC556を塗布してワイヤーブラシで洗浄。

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 古マフラーの準備が整ったところで、ノーマルマフラーを取り外す。ノーマルマフラーはやっぱり、中~高速域が鈍くなっちゃう感じでレスポンスダウン感が否めなかった…。

 テールランプユニットを外し、バンパーを外し、ノーマルマフラーを外し…。

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 ちょっと前から気になり始めた、マフラー取り付け箇所の上部(荷台の下部)にあたる部分の腐食。鉄板が袋になっているような場所なので水が溜まり易く、腐食し易い場所のようだ。

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 カーボンガスケットを挟み、マフラー再装着完了。この作業中、2匹の野良猫が見物しに?やってきた。

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 目指せ10年12万km、という我が愛車の走行ペースかな。マフラーは近々新品に交換するかもしれないが、車両としては最低あと5年は大きなトラブル無く満足に走ってもらいたいっす。

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October 28, 2010

定義森林軌道跡探訪記:10

 定義森林軌道跡を起点側より辿り、一度実際に見ておきたかった大きな木橋を眺めるに至った。その姿は感慨深く、地元の山間に残る歴史遺構としては大きな存在に感じられた。橋を眺め終わり、せっかく来たのだからと周辺探索を始めたところからが今回の記事であり、暫定最終章。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 本来の渡渉ポイントではない低いほうの砂防ダムを渡り、藪中の川岸を少し下流側に下ったところから斜面を上がり、軌道跡に出る。そこには橋から続く軌道跡が整然と美しい石積みの上を走っていた。なお、これまでの進行方向とは逆、今は起点側を向いて進んでいる。

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 玉石積みの軌道跡崖側。この石積みの上を木材を積んだ貨車が画像奥の方へと走り去り、橋を渡って行ったのか…。林鉄廃止直前の50年前のこの場所は、今とどれだけ違う雰囲気だったのだろうか。当時を知るようなお爺さんが定義あたりに住んでたりしないのかな…。

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 石積み上の軌道跡を起点側に向けて進み、橋の袂へと近づく。結構落石が散乱していて、柱状節理の岩盤がそんなに強固ではないということを物語る。

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 木橋の対岸へ来た。森を抜けてきた軌道が広い宙空を横切る区間。橋の袂はキノコ採り男性曰く「渡ろうとするヤツが居る」ために数年前に落とされている。それまでは地続きだったのかと思うと、その光景を実際に眺めてみたかったというのが本音。

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 この老朽化橋(元々人用でもないし…)を危険を承知で敢えてひぃひぃ渡ったぞ、というようなレポート記事が無ければね、原状のままであったかもしれない。

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 もっと大切に。遺構も。命も。

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 さて、橋の袂に別れを告げる前に辺りを見る。軌道横の岩盤壁は脆々とした雰囲気が濃くなってきている。この地域の露出岩盤には多いことなのかもしれない。

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 軌道跡を進行方向(終点側)に見る。大きな木橋から先の軌道は大倉川左岸を進むこととなるため、この後は右が山側、左が川側という位置関係になる。木橋の袂は岩盤壁から剥離した石屑や崩落岩が堆積し始めていて、フラットな路盤のままというわけではなくなってきている。

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 石積みの下には切断された橋の袂部分の残骸がまとめて置かれている。このような結果になってしまったのは残念なことだが、今ではもう仕方の無い事実。

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 軌道跡を進行方向に進むと、小さな沢がある。そこで沢登りから戻ってきた御一行と出会う。沢には石積みと支承らしき材木が残っている。小さな橋か、暗渠程度の構造物があったのだろう。

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 さらに軌道跡を進むと山側に石積みがあった。ところでこの玉石積みは軌道跡の各所に橋台や崖面壁面の補強などとして見受けられるが、結構な量の玉石を用意しなければならなかったはずである。どこで集めてきたものなのかな。まさかすぐ近くの川原だけで集めましたってことはあるまい。

 沢登り帰りの御一行より声を掛けられ、何を撮っているのかと問われ、森林軌道の名残りを撮り歩いていたと返答する。御一行の中でも年配の男性より、登ってきた沢上でクマの足跡だらけ糞だらけの栗の木が生えた場所があったという話を聞かされる。栗の木の枝がバキバキに折られていたということで、今秋の山の実りが不作で必死なクマの様子までもが伝わってくる話振りであった。

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 沢登り御一行と別れる。画像は、軌道跡より高いほうの砂防ダムへと降りる左への分岐地点。沢登り御一行は砂防ダムのほうに降りていった。軌道跡は山側からの堆積物に覆われつつ、真っ直ぐに進んでいる。この日の探索はここまでが予定。さらに奥へと進む予定ではない。が、少し時間があるので進もうかな。どうしようかな。

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 路盤には埋もれるように枕木が…。じゃあ、ちょっとだけ…。

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 …進んだ先は、軌道跡が沢の流れにガッツリ削られていた。橋が架かっていたかどうかは定かではないくらいに荒れ放題。予定していた日没までの行動時間の残りは片道で30分間分。その分だけ奥に進めるが…。ここの沢も対岸に渡るルートは確保できる感じだが…。時間があるといっても余裕までは無いし、今日の目的は達成しているし、深追いはよそう。という判断で、この沢を最後に引き返した。

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 高いほうの砂防ダムへ降りる踏み跡脇には、軌道跡の石積みが見られる。玉石積みの隙間から生え出た木もあり、軌道跡はいずれ森へと還る光景なのである。

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 石積みを正面から。この上が軌道跡。

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 高いほうの砂防ダムを渡りつつ大倉川上流方向を望む。この先、約4km強ほど奥地まで大倉川左岸を軌道跡は進んでいる。これより先はもう人家も無ければ里山と言える領域でもない。単独行をするにはリスクの高いエリアと言って良く、山道を通りすがる人さえ極めて少なくなる。山菜やキノコのシーズンが終われば、誰かが来ることを期待するだけ無駄なことという印象が強くなるエリアだろう。

 なお、今回の木橋までの軌道跡を辿った後のこと、つまりこの先の軌道跡を巡る予定は未定である。いつかは行ってみたいな…。

 そうそう、宮城県内には他に新川、漆沢、花山にも森林軌道があったという。花山の軌道跡は自動車用林道に転用されていたりもして不明瞭な部分も多かったようだが、今では岩手・宮城内陸地震でズタズタになってしまっていたりする。それぞれの軌道跡、何かの機会に一端でも見掛けるようなことがあれば、またこのブログで取り上げることもあるかもしれない。

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 砂防ダムより木橋方向を望む。木橋は特に左岸側の袂が落とされている関係で、橋のメイン部分が落橋してしまう日もそう遠くはなさそうだ。

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 さようなら。

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 癒えることのない傷口(切断面)に背を向けて、木橋を去った。

 その後、十里平へ戻る途中の沢登り御一行に追いついてしまい、いろいろまた年配男性に話し掛けられているうちに、路盤がコンクリになっているところを撮りそびれた…。

 そして十里平へ。車を停めた近くに流れる沢でゴム長靴の泥を落とし、身に着けていた装備を解除し、車を発進させたのは午後4時過ぎ。降水確率0%だった空が路面を濡らし始めていた。

 最後に。

 クワガタ採集や観察、飼育を主たる楽しみにしている私。この軌道跡は、この地域の豊かなブナ帯が切り開かれ始め杉植林地が現れ始めた歴史の古い遺物でもある。廃れもの好きとクワガタ好きが同時内包する私にとっては、と~っても微妙な感覚になる探訪でもありました。

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October 26, 2010

定義森林軌道跡探訪記:09

 定義森林軌道跡。その路線中に架かる大きな木橋を実際に見ておきたい。そんな思いから歩み始めた軌道跡。個人的な第一目標であるその木橋見物となる前に、起点側の軌道跡を踏破して朽ち行く遺構に思いを馳せてきた。心身ともに、目的の木橋に辿り着く準備が(個人的プランとしては)整って、いよいよ目的地に到着することとなる。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 十里平の最奥地より徒歩で軌道跡を1km弱ほど辿り、落石や崩落の痕跡も数々ある道を抜けてきた。幾つ目かの切通しを迎えたとき、その先の一帯が明るく開けていることに気付く。いよいよ定義森林軌道で最大であっただろう橋の所在地に辿り着くのだね…。

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 切通しの右側(川側)の壁面。この一帯によく見られる柱状節理の岩壁だ。この柱状節理は、マグマが冷やされるときに冷却面に対して垂直に生じるという。その後の地殻変動などで上下左右の位置づけは曖昧だが、数々の柱状節理岩盤などを見ては冷却面があった方向を考えてみるのも面白い。

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 抜け出てきた切通し付近を振り返る。抜け出した場所は少し広めの敷地となっており…。

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 こんな看板が立っている。鳥獣保護区である旨を掲げたもの。ここが目的地だった。最寄まで車で来てしまえば比較的アッサリ来れちゃう位置にある(とは言え、山歩きに適した足元装備は必要で、気をつけながら進まなければならない場所ではある)ため、簡単には来たくなかった。起点側の軌道跡を辿ってきた後だからこそ感慨も一入。まあそれは個人的楽しみのための演出に過ぎない過程なのだが…。画像の左側に藪が一筋途切れ、奥に進める踏み跡があり、そこの藪を掻き分け入ると…。

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 先には、大倉川を対岸へ渡る大きな木橋が架けられている。ここに来たかった。この橋の存在について聞かされた出来事を思い出して2年が経過したか…。

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 しかしこの橋、数年前とは姿が異なる。ここまで来る道中で会ったキノコ採りの男性が言う「橋を渡ろうとする」危険行為防止のため、かつて手前まで地続きだった橋の袂を切断し落とされているのだ。インターネット等で橋の存在が広く知られるようになり、この橋を必死に渡ってみた(渡りたくて)という記事が散見され始めれば、人が造りし構造物(用済みで且つ老朽化物件)故に管理責任が及ぶ管轄は対策を講じなければならなくなる。その結果の姿が今の姿であろう。橋の手前にはしっかりとロープが張られていた。

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 大倉川上流部を望むと高低2つの砂防ダムが見える。あそこが川の渡渉ポイントで、川床に降りて行ける場所でもあろう。川の右岸崖上に細々と続く踏み跡を辿り、砂防ダムを目指した。

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 手前の低い砂防ダムの袂へ到着する。こちら側は渡渉ルートではないらしく、本来は高いほうの砂防ダムを渡るらしい。とりあえずここから川床に降り、橋の近くを目指す。

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 砂防ダムから橋を望む。この光景が一番見たかったのだ。

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 少しずつ接近。大小の石ころが散らばる川床は歩き易くは無い。

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 かなり接近する。左岸側の橋の袂も落とされているのが明瞭に分かる位置となる。右岸側は見事な柱状節理の岩盤を頼りにコンクリ製の橋脚を立てたことが窺い知れる。なお、コンクリ製の橋脚は画面中央から右に大中小と並ぶが、小さい橋脚(橋の袂で最初に手前に見えていたもの)は岩盤や木々の葉に隠れて、この時季は特に上流側からは見えない。

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 ここから先は淵があり接近不能。さて、広角レンズから望遠レンズに付け替える。

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 左岸側の袂。落とされた部分。元々斜めだった袂の橋脚だけで頼り無げに支えられている、というか引っ掛かっているというのが正直な印象。起点側からここまで軌道跡は大倉川右岸を進んできたが、ここより先は左岸進行となる。定義森林軌道では唯一この橋が大倉川を渡るもの、大倉川架橋ポイントということなるようだ。

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 橋中央部の下面。3本の主桁それぞれがバラバラな左右振動を起こすことを防止するためなのか、矢印マークのような「つなぎ梁」の補強が見て取れる。

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 右岸側。この橋が昭和13年生まれなら私の両親よりも年上だ。

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 コンクリ製の橋脚の途中には段差が設けられ、そこに木造の斜め橋脚(斜めの部分が橋脚という部分なのかは知らないけど)が据え付けられている。

→この地点の地図(Google Map)

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 橋の下から砂防ダムまで戻り、望遠レンズのまま撮影。イイ光景…。

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 縦位置で。望遠ではこれ以上、画が引けない。残った木々の葉が橋の左側の落とした部分を隠してくれているから雰囲気も良く感じるが…という今。

 その後、対岸を目指して高いほうの砂防ダム(本来ルート)ではなく低いほうの砂防ダムを渡ってみることにした。ジャブジャブと流れを踏んで行く。この日は足元の危険を感じさせない流量だったが、もう少し水量が増えれば足を流れに持っていかれてしまう。ここを渡渉した後にゲリラ豪雨なぞ降ろうものなら退却不能となるかもしれない。

 低いほうの砂防ダムを渡り終えるとそこは藪が深め。素直に軌道跡に上がらずに藪行進し、川岸沿いを下流側に進む。藪しかないようなので軌道跡がある辺りまで斜面を登り、橋の対岸部を目指した。

※次回更新へ続く。

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October 25, 2010

定義森林軌道跡探訪記:08

 定義森林軌道跡の定義~十里平間を歩き終え、いよいよ「目的の木橋」へ向かう(個人的な)準備は整った。時間は午後1時前。このまま徒歩で向かっても良かったが、帰り道はかなり無駄に時間を要してしまうだろうということで、定義の駐車場まで車道を歩いて戻り、車を拾って来ることにした。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 定義駐車場に戻る途中、大倉川を下流方向に望むと奥に岩山が見える。あの山の懐が絶壁の切通しなどがあったところだ。

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 さらに車道を定義方面に戻ると、例の岩山が目前に迫ってくる。現在の自動車用定義林道の出口の大倉川を挟んだ真向かいに位置する。完全落葉したら軌道跡が確認できるかもしれないなぁ。撮りに来てみようかな。など思いながら歩く。

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 定義に近づき、大倉川を再び渡る。今度は上流側を見てみる。紅葉の見頃まではまだ少し先のようだった。

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 定義の駐車場へ30分強で戻ってきた。それにしてもアスファルト道を歩くのには疲れる鉄芯スパイク仕様のゴム長靴。軌道跡を歩いているときは命も預けた?ピンスパイク故に、あまり文句を言えたもんじゃないが…。なお私は今回軌道跡を歩くに当たり、普通に選ぶならこのサイズというサイズより微妙に小さめのサイズを選んだ。長靴の中の足回りに余裕があると、足場が悪いところ(特に斜面)では踏ん張りが利き難くなりそうだったからだ。今回軌道跡(定義~十里平間)を歩いて、ピンスパイク仕様とサイズを余裕なしジャストフィットにしたことは大正解だったと感じた。ゴム底だったら危険と判断したかもしれない場所(特に第三~第四架橋地点間)もあったし、ブカブカサイズだったら軽快に足を運べなかったような斜面や這い上がり地点もあったからだ。

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 車を拾い、30分強かけて歩いてきた車道を4分で戻り、十里平地区へ右折する。右折してすぐの上画像の辺りだと、軌道敷きは画像右外側の見えないところを走っていたはずである(今は牧草地と化して判別できない)。画像の右側から林が道路に接近してきた辺りから、道路の右側にほぼ並走あるいは道路そのものが軌道敷きであった可能性がかなり高いと思われる。その後、軌道敷きは再び道路から右へ少しずつ逸れ、大倉川沿いの森林内から軌道跡として現れ始めている。1948年に米軍が撮影した航空写真(国土地理院のホムペで検索閲覧できる)で見ると、現在のこの十里平ストレートを3分の2ほど進んだ先から少しずつ川沿いに進路を変えているのが分かる。

1948年米軍撮影航空写真(国土地理院ホームページ)
※航空写真は200dpiで閲覧すると軌道線が明瞭にご覧になれます。大倉川の流れと軌道線の位置関係を、現在の地図に当てはめて見ると車道との位置関係が見えてくると思います。(航空写真の右下側が十里平地区です。)
→十里平地区の地図(Google Map)

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 この十里平、仙台市が「定義ダム」を完成させていたら水没してしまっていたのだろうか。宮城県が推し進めた(後に国の直轄になった)多目的ダム「大倉ダム」案と、仙台市が推し進めた上水道取水ダム「定義ダム」案とが対立した過去の政治問題の舞台である。定義ダムが完成していたとして、この十里平が水没しなかったとしても、これから向かう目的の木橋は水没した可能性が極めて高いんだろうな、という位置に橋はある。

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 さて、十里平ストレートの最奥地に到着。路肩に数台の駐車車両。そのうち一台には帰り支度をしている50歳前後の男性の姿があった。

盃「こんにちはー。」
男「はい、こんにちはー。ドコまで行くんだい?」
盃「この先の橋の袂まで行こうと思ってますー。」
男「それなら今日は何人か(山に)入っているようだし(単独でも)大丈夫だと思うよー。」
盃「ああ、そうですかー。」
男「滝も綺麗に見えてたよー。」
盃「そうですかー。それでは行ってきますー。」
男「クマがよく出てるらしいから気をつけてねー。」

 そんな会話を交わしつつ、歩を進めた。

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 有刺鉄線が張られた区画の間には人が通れるほどの小路が大倉川方向に続いている。ここを進んで行くと…。

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 看板がある泥濘広場に出る。ここはもう軌道跡であり、右側が起点(定義)側ということになる。

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 起点側を見てみるが、藪が酷過ぎて軌道跡がどのように続いて来たのか判然としない。画像に向かって左側に曲がって行っている箇所のはずだが…。まあ今回はこちらに進むのではなく、反転し、看板に向かって左側の方向を向くと…。

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 鉄ゲートが現れる。目的の木橋を目前にした私にとってはさながら「ヘブンズドア」?(笑)だが、このゲートは開けられるものではなかった(開けようともせずに右を回り込んだが)。軌道跡のこの部分に何故ゲートが置かれたのかは定かではない。数年前の画像だと「立入禁止」の看板もあったが今は無い。この先は山菜やキノコ採りに入る人が多いこともあるが、このゲートを通過しないでこの先の軌道跡に入って行けるショートカットコースが杉林内に存在しているため、この場所での立入禁止表示にも意味がなくなってしまっていたのだ。とは言っても、付近のドコにも以前に代わる看板は無い。立入禁止の看板があったのも軌道跡がまだ営林署管轄であった(今も山全体が、かもしれないが)ことを示唆するようなものだが、単にここが山だと考えれば、様々な営林署管轄の山に徒歩入山するのにいちいち営林署に断りを入れて立ち入るハイカーなども居ないだろうし、看板を付け続ける意味も薄らいだのかもしれない。

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 鉄ゲート横に立つ大倉川上流端の石碑。寒風沢との合流点がそれだと示している。大倉川の流れは船形山、楠峰、白髪山、後白髪山などに発し、これらの山々は雨量が極めて多量とされている。大倉川やその支流沿いを歩くときは降雨量、急な増水に注意しなければならないだろう。

→この地点の地図(Google Map)

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 ヘヴンズドア(まだ言ってる)を抜け、軌道跡は単なる山道のように続いている。左の土手や右の崖などには所々に石積みが見られるのだが、藪が酷かったりしてはっきりと確認できない。

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 それなりに岩も軌道跡へ転がってきている。

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 真っ直ぐな掘割が出てくるような光景になると、ああ、軌道跡なんだな、と思えてくる。

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 藪が迫って道が細くなる。左は土手、右は崖。右側は鬱蒼としていて分かり難いが、結構な斜度で落ち込んでいる。

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 木々の隙間から大倉川を見て進む。機関車の運転手もこの風景を眺めただろうか。

 ここで軌道跡の奥から、キノコ採りから帰ってきたらしい男性二人が大きな袋を担いで来るのが見えた。そして道端に「ひぃ~やれやれ」という具合に座り込んだ。休憩らしいが、その場所は軌道敷きにコンクリ路盤らしき痕跡を見ることができる場所。撮影ができないな…と思いつつ、その場所に差し掛かる。60歳くらいの男性と、50歳くらいの男性。

34盃「こんにちはー。」
50男「こんにちはー。(そのカメラは)紅葉かい?」
34盃「いえ、今日はこの先の橋を撮りに行きます。」
60男「あの橋はこの前、落とされたぞ。渡ろうとするヤツが居るからな!」
34盃「そのようですね。最近撮られた写真を見ると形が変わりましたね。」
50男「とるのは写真だけ?」
34盃「ええ、山菜やキノコは詳しくないので。それにしても凄い量のキノコですね!」

 男性二人で、スーパーのビニール大袋にパンパンに詰め込まれたキノコを計4袋。手に持つよりも担がなければならない量だった。

50男「今年はキノコがたくさん出てたね~。」
34盃「どのくらい奥まで行かれたんですか?」
50男「2つ目の…、奥の砂防ダムから沢沿いを2時間くらい登ったところかな。」
34盃「ああ、結構奥のほうまでですね。いっぱい採れてお疲れでしょう?」

 男性二人は嬉しい誤算とでも言うのか、笑顔ではありつつもキノコの詰め込まれた大袋4つを疲労感漂う目でチラリと見たりしていた。

34盃「それでは、行ってきます。お疲れ様でしたー。」
50男「はいどうもー。」

 なんとなく年配のほうの男性が、橋が落とされたことに強く反応したのが印象深かった。昔からの風景が変わってしまったことへの憤りがあるような口調。地元民ならではの反応なのかもしれないな…。

 コンクリの軌道敷きらしきものの撮影は帰り道にし、先へと進む。

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 軌道跡は右にカーブ。その先は泥濘区間になり、やはりここも最低限ゴム長靴は必要そうな場所が続く。

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 抜けてきた泥濘区間と切通し。振り返って撮影。昔から人道程度の道だったならこんな光景は生まれまい。軌道跡故に、フラットに道は切り開かれている。

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 相変わらず左に土手、右に崖が続く軌道跡。軌道跡、時々山道。そんな感じで周囲の様相が繰り返される。

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 周囲が落葉していないから、なんとなく右側にも壁的な存在があるように感じられ、また崖下を流れる大倉川を眺めることもできないこともあるため、ここが比較的高所であるような感覚は薄らぐ。だが、右側の斜面に転げてしまえばほぼ確実に大倉川にダイブしてしまうような場所も多い。その点では気が抜けない道である。

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 そして所々に落石の名残り。

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 そして所々に切通しの跡。

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 小さめの切通しだったが、振り返れば大倉川側(この画像では左)は崖で落ち込んでいたりする。

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 左側の土手付近を進んでいる踏み跡まで迫る路盤崩落部。画像の中心付近に右側から伸びている窪みのような部分があるが、これは崩落箇所の上部末端である。画像の外側右は崖で、この窪みに足を取られたりすれば崖下へ。落ちたら大変なことになる。藪や木の葉が周囲の景色を隠しているせいで、冬枯れの季節以外では何気なく歩いてしまうかもしれない。しかし、紛れも無く断続的に右側は崩落箇所が繰り返されているために、気の抜いた行進はできない。左側の土手を見れば分かるとおり、踏み跡程度の幅しか残っていない区間も所々にある軌道跡となっている。

 さて、もうそろそろだ。一度実際に見ておきたかった例の橋へ近づく。

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October 24, 2010

定義森林軌道跡探訪記:07

 定義森林軌道跡を起点である定義から十里平奥の「目的の木橋」まで歩む探索記は、第六架橋地点を過ぎて十里平の直前まで到達し、その十里平へ抜ける最終区間を迎えていた。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 第六架橋地点から進行方向を見る。軌道跡は右に大きくカーブを描いて行き、森の中へ消えている。その軌跡を追うように歩みを進める。

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 程なく、泥濘というほどでもないのに下草の無い地点に差し掛かる。第六架橋地点前の足跡と言い、獣の気配を感じる…。

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 表面は不自然に「耕されている」という印象。ただ、第六架橋地点前で見かけた足跡だらけ、掘り跡だらけのような荒れた感じではなく、均一な感じに耕し面は広がり、それでいて明瞭な足跡が存在しない。こちらはイノシシではなく、もしかするとニホンジカやカモシカが草を食べた跡なのかもしれない。

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 軌道跡はなお右へカーブして行き、その先の藪の中に送水管が見えてくる。第七の架橋地点へと差し掛かった合図でもある。

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 第七架橋地点は、大きめの沢というか小さな川というか、比較的幅のある場所に架かっている。起点側より望むと、中央の橋脚と橋脚台、橋台を残して、その他の残骸は見当たらない。

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 起点側橋台の上流側を降りて行く。この沢には起点側からは容易に降りられるが、対岸には付近に登れそうな場所は無い。上流側対岸(上画像の左側)にはすぐにコンクリートの護岸が壁のようにそそり立っており、その更に上流部は護岸に負けず劣らずの崖が続いている。

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 起点側橋台を下から眺める。送水管があるためか、砲台のように見えてしまう。それにしても崩れずに大きく立派な橋台である。川面側の中ほどに段差がある二段式。この地点の橋は起点側の袂に斜めの橋脚(本当の名称は知らないけど)が存在したらしい。段差はその足場であろう。

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 対岸を見るとこんな感じ。対岸の橋台は足元の地盤が削られてはいるが、橋台そのものはしっかり残っている。これだけ双方の橋台がしっかりしているのに橋桁が存在しないのは、やはり「渡られると危険」という判断の下、人為的に落とされたのかもしれない。これまで見てきた橋の中でも高い位置を渡っている橋だということもあるが、十里平側からは容易に入って来れる場所にあるということも要因しているだろう。

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 橋脚と橋脚台を起点側より。虚しく立つ橋脚が何となく物悲しい。

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 沢の下流側を望む。

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 橋脚台には大きなクラック。数年前にも存在していたが、この傷口が広がる日はそう遠くないんだろう。

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 対岸の橋台を下から仰ぎ見る。こちらも何だか砲台チックな眺めに見えてしまう。なお、こちら側は二段式ではない。

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 対岸の沢床から起点側を振り返る。昔、木橋が架かってて、木材載せた軽便貨物列車が走り抜けて行った場所なのだね…。

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 沢の下流側より眺める。

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 遠巻く。というか、沢の下流側に対岸へ這い上がる場所を探している。しばらく沢を下流側に歩いて行くと、踏み跡から這い上がりポイントなんだなと気付く場所があり、やや足元は悪かったが対岸上に立つことができた。

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 対岸上から眺めた第七架橋地点。木々の葉で見通しは悪かった。

→この地点の地図(Google Map)

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 第七架橋地点から進行方向を向くと、一瞬軌道跡がどちらを向いているのか分かり難い。数歩だけ先へ進んで見渡すと…。

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 右へカーブしていたらしい軌道跡が現れる。軌道跡だった掘割の中を排水路が通っており、先程の沢の護岸部分(画像で言うと手前側に位置する)にでも流れ落ちているようであった。

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 真っ直ぐ続く排水路。やがてこの掘割は森を抜けて…。

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 画像左、道端の笹薮(ちょうど笹の葉が太陽に反射して白い場所)から抜け出てくる。道路の奥には十里平の奥へ向かう直線道路との交差点が少し見えている。そんな位置関係だ。

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 軌道跡は道路を横断し、反対側の敷地の中へ緩く左へ弧を描きながら進み、やがて牧草地のような場所に消え入ってしまう。

→この地点の地図(Google Map)

 定義の駐車場からゆっくり歩き、時々軌道跡とは無関係のものも撮影しながら、数度の休憩を入れつつ十里平の入口のここまで約4時間の歩みであった。ただただひたすら歩くのであれば、もっと所要時間は短いだろう。この4時間で堪能した定義森林軌道跡序盤の素敵な光景を余韻に残しつつ、次は「目的の木橋」へ向かうこととなる。

※次回更新へ続く

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October 23, 2010

定義森林軌道跡探訪記:06

 定義森林軌道跡を起点側より歩き、第五架橋地点を過ぎ、定義~十里平区間の軌道跡も終盤に差し掛かったきた頃からが、今回の記事。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 第五架橋地点より軌道跡を進み、少し左にカーブした先は笹薮に覆われた直線となる。緑のトンネルが軌道跡であった道の存在を示し、進むべき方向を見失うようなことは無い。しばらくは笹薮行進となるが、足元が少しずつ泥濘と化し、笹が少なくなる。そしてその泥濘地帯に差し掛かったとき、ある存在に気付いた。

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 イノシシ…?ニホンジカ?カモシカ?何かの足跡であることに間違いは無く、蹄を持つ獣であることは確かだ。

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 やたらめったら足跡だらけの泥濘軌道跡と化す。所々、激しく地面が掘り起こされている。足跡は明瞭ではないが、周辺の様子から考えるとイノシシという感じが強まる。

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 そんな軌道跡。掘割の中、泥濘が続く。イノシシが泥浴でもしたのか?というような大きく掘られたような水溜りも点在していた。

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 そして、昨日か今日かという目新しい折られた低木に遭遇。泥濘には判然としないが獣の足跡が無数。シカとかだったら草や木の葉を食べたような痕跡も見受けられるだろうが、そんな感じのところは一切無い。イノシシなんだろうか…。思わず、クマ除け鈴を意図的に鳴らしながら歩いてみたりする。

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 鈴を鳴らし鳴らし進む軌道跡。浅い掘割の中を延々と歩む。

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 そしてしばらく、第六の架橋地点が現れた。一見、やはり先人たちの過去画像と比べると枕木が減り、左側の主桁が落ちている。人為的要因か獣なのか、積雪等によるものなのか腐食の進行か。理由は定かではないが、その崩壊は確実に進んでいる。

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 橋の架かる沢の下流側より眺める。右側の橋台は低い位置が崩れ始めている。時々差し込む木漏れ日が綺麗な場所で、しばし佇み眺めることにする。

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 上空の雲の影響でなかなか木漏れ日が差し込まなくなり、良い感じに撮れないまま時間が過ぎる。崩れ始めた橋台をズーミングして撮影してみると、玉石がコンクリから剥離した様子がはっきりと窺い知ることができた。

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 橋梁をやさしく包み込む蔓草。

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 橋を土に還そうとする蘚苔類。

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 第六架橋地点を沢の上流、進行方向左側より眺める。廃止後50年。静かに佇み続ける橋。

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 木材を載せた貨車が過ぎ去った架け橋は、間もなくその姿を消し、幻と化してしまうのか。

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 第六架橋地点を起点側に振り返り眺める。枕木を残す橋の存在が、歩道でも車道でもない、軌道であったことを物語る。いつまでもこの光景は残っていない。この数年でも随分と変わり始めている。完全に姿を消し去ってしまうその前に歩けた今回は、その色濃い様相を見るタイミング的にも終わりに近い頃合なのかもしれない。

→この地点の地図(Google Map)

 間もなく十里平。定義から十里平までの間にある最後の架橋地点へと歩みを進めた。

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October 22, 2010

定義森林軌道跡探訪記:05

 鉄道の日だった10/14、残っていた最後の夏休み一日を取得して歩くことにした定義森林軌道跡。起点側より歩き、第一~第四架橋地点を通過。定義から十里平へ抜けるルート中最大の崩落地帯はここ数年でも変化が見られ、軌道跡は少しずつだが確実にその姿が消え去る方向に時間を進めていた。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 第四の架橋地点より進行方向を見る。軌道跡は大きな岩山の懐を進む区間となり、左側は岩盤剥き出しの絶壁、右側は大きく落ち込む崖となり、下を大倉川が流れる。手前には数年前の画像などにも見受けられる抜け落ちた岩が見られるが、険しい場所であるにも関わらず最近の変化というものは無さそうな強固な地盤の上を軌道は進んでいたようだ。

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 歩を進める。古い崩落岩の存在は点在しているが、第四架橋地点手前のような現在進行的な崩落の痕跡は見受けられない。軌道跡の幅は木材を積んだ貨車が通るには必要最小限という感じ。通常現在の鉄道の旅客車両が通るには狭すぎる幅だ。

 左に圧迫感。右に空虚感。その感覚的コントラストは歩いていても体の歩行バランスに僅かながら影響を及ぼすようで、なんとなく右足に力みがあるように思いつつ、歩を進めていく。

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 岩山の懐を進んできた軌道跡は、その岩盤を深く切り通して進む地点に差し掛かる。絶壁に軌道敷きスペースを確保するために一筋の平坦部を造る工事も大変だろうが、このように掘り下げて切通しを造るのも大変な労力が強いられたことだろう。今でも奥から幻の貨車が走ってきそうな、そんな場所だ。

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 切通しの中で振り返り撮影。木材を積んだ幻の貨車が、奥へと走り抜けて行く…。

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 切通しを抜け軌道跡はまだまだ岩山の懐を進むが、右側の崖は緩斜面となってくる。軌道跡は緑のトンネルを真っ直ぐに進んでいた。

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 この先途中で極々小さな沢を横断する軌道跡だが橋も暗渠もない。沢の下流側から軌道跡を見ると僅かながら石積みが残っていた。暗渠があったのか定かではないが、沢の流れは築堤気味の軌道跡の下を浸透して下流側に向かっているようである。

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 しばし進み、軌道跡周辺の森林の様子に変化が訪れ、コナラを主体としていた森は杉の植林になる。間伐木が無造作に散らばっているここで大休憩を取る。軌道跡を進んで初めて水分を摂取。パンをパクつく。

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 軌道跡はこの通り、無造作に散らばった間伐木に埋め尽くされていた。こうなっていては軌道跡を歩くのが面倒になってきてしまい、掘割の右側上部を歩んで抜けて行くことにした。この区間、森林軌道が廃止された頃は既に杉林だったのだろうか。どうなのかな。

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 杉林を抜けると軌道跡は右側にカーブして行き、送水管が架かる沢が現れる。ここが第五の架橋地点ということになるが、気をつけなければならない場所だったはず…。

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 沢の右岸側下流に撮影ポイントを探して降りて行く。比較的深く幅のある沢だからなのか、落橋し沢床に散らばった橋梁の残骸の中に、橋脚を支えたコンクリート製の橋脚台が存在している。今はその下も沢に削られ、そのうち転げてしまいそうな状態になっている。上画像の撮影アングル地点から先には沢に降りられる場所が無い。沢へと降りる場所を求めて沢の上流側へ移動することにした。

 軌道跡から対岸を望むと、沢の上流側から踏み跡らしき痕跡が見て取れた。結構奥から来ているのか、沢の対岸に沢床から這い上がるような場所は見受けられない。ここは沢の上流部へ結構迂回するようになるんだな、と判断して杉林の中を移動するが、すぐに細いが深い別の沢に邪魔されて、本沢の上流部への移動もままならない。今度はその細い深い支沢の上流部へ向けて、間伐材などで荒れた杉林の中を移動して行く。やや山の斜面に差し掛かったかという地点に、間伐材を一本渡して橋のように足場にしている場所を発見して本沢上流部へ辿り着く。程なく本沢に降りられる地点を発見。その向かい側に木の根張りを利用して対岸へ上がる場所も見つけられた。まずは沢を下流側へ移動し、架橋地点を撮ることに。

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 で、第五架橋地点を沢の上流側より撮影したもの。散乱した木材や流木などに覆われて、橋脚台の存在は見え難い。なお、足元は岩盤が削られてできた小滝のようなところの上であり、それを降りられずこれ以上の接近はできなかった。

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 対岸から第五架橋地点を振り返る。軌道跡の起点側の橋台は崩れており、起点側から迂闊に橋の袂へ接近すると足元が崩落し沢に転落しかねない。それが「気をつけなければならない」という点だ。

→この地点の地図(Google Map)

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 第五架橋地点より軌道跡進行方向を望む。やや藪が濃くなってきているが、浅い掘割の中を確実に軌道跡は進んでいた。定義森林軌道の定義~十里平区間は、いよいよ終盤区間へと進んで行く。

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October 21, 2010

お知らせ?

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 定義森林軌道跡を歩いてきた記事を調子良く?連日連投中でしたが…。

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 この度、姉が再々入院することとなり…。

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 諸々ありまして長文記事のUPには時間を要すため、続編は連日のようにUPされないかと思います。あしからずご了承を。

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 画像は、10/17の桑沼の様子。今週末くらいが紅葉のピークとなりそう?この日は朝早く(というか夜明け)に行ったのだけど、時期的にも一歩早過ぎた。

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 泉ヶ岳スキー場より上では、今週末あたりから紅葉が見頃かも。行かれてみてはいかがだろうか?(私は諸々で行けませんが…)

 でも、今年の紅葉は綺麗じゃないかもしれない。なんだか黄色や赤になりかけつつ茶色に枯れ始めているような葉も多かったので…。

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October 19, 2010

定義森林軌道跡探訪記:04

 定義森林軌道跡を起点側より歩み、第一~第三架橋地点を通過してきた。崩落箇所付近の通行や深めの沢を横断するような際には細心の注意を払って歩みを進め、時に泥濘と化した軌道跡を前進することとなったが、各所に残る遺構には森林軌道が現役だった頃の名残りが色濃く見られ、また季節的にも紅葉直前の緑の木々が美しい中でのその光景は、往時の情景へとつながっているかのような感覚に囚われるほどであった。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 左へと曲がりつつ急速にその幅を狭める軌道跡。右側の斜面は低木生い茂る崖となり軌道跡に接してきている。水道局のものかコンクリ杭があり、僅か先に目線を置くと木々の葉の隙間から白いものがチラチラと見えている(○印内)。狭くなった軌道跡に立って見ていて不自然なほど低い視線の先にある白いものは崖下を流れる大倉川の川面の反射であり、軌道跡の右路肩幅が異様に狭く且つ急激に落ち込んでいる状況を意味している。落葉前の季節であるが故に視界が遮られて分からないが、紛れも無く崖っぷちに近い位置に立っているのであった。

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 数歩先に進むと軌道跡左側(山側)の斜面から岩盤が風化して崩れ落ちたらしい砂礫が堆積し始め、軌道跡をほぼ完全に埋め、藪化している。右側の路肩には崖に貼り付けられたような石積みの上部エッジを残す程度であり、そこには僅かな踏み跡しか見出せない。勿論、右側の石積みの向こうは急転直下となるような崖で、かなり高い。石積みの隙間などから生えた低木の葉が景色を遮っているが、その低木を越えた先には虚空があるのみ。エッジを見せる石積みは高さ1mくらいで、その下は引き続くかのような崖である。

 この地点は先人たちの記録で事前に承知していた。苔生して分かり辛いが橋台などとは異なるような精度の高い石積みで軌道路盤を確保している。そして歩む足元は堆積物で覆われたものとなることを。

 正直、自分自身が危険と判断して撤退する可能性があるとすれば、まずここになるだろうと想定していた。そこに差し掛かったのだ。ここに立ち、生い茂る木々の葉で石積みを撮ることが困難なのは分かった。足場は堆積した砂礫で崖側を下に傾斜していることを視認した。砂礫の堆積物はこの日の時点では程よく水分を含んでおり足を置いても締まる。水分を含み過ぎても乾き過ぎても流れ易くなる砂礫の状態はこの日ベストであると判断した。左手に生い茂る低木は手掛かりに使えると判断できた。右側の低木は保険というほどアテにはならないが無いよりはマシ。視界確保の観点から体勢を低くして進む必要性はあるが、突破可能と判断した。子供の頃にこのような砂礫の崖っぷちを通って遊んでいた裏山のことを思い出したからこそ、無理にではなく普通に判断できた。

 距離数mほどの区間。されど、慎重な前進が必要であることに変わりは無い。前屈みになり、左手で低木の根際を掴み、一歩ずつ、一歩ずつの慎重過ぎる前進を開始した。

 しかし、罠は私の足元に、ではなく背中に突き付けられていた。

 進み始めて何歩目か。上画像の奥へと入った時だった。

 体勢は左斜めに前傾し、左手は低木を掴んでは探るの繰り返し。

 そして、ある一歩。

 背にしていたはずの重さ10kgのザックが急に軽くなり体が浮いた。

 左側からの低木の枝が頭上を越え背にしたザックにザックリと突き刺さっている。

 これ以上、歩を進めれば枝の反動で崖側に押される。

 今、直立姿勢になっても同じようにバランスを崩すだろう。

 後退しようにも大きなザックが邪魔をして後方視界は悪い。

 何より、足場が悪い。

 唯一の逃げ場、か?

 バランスを崩されてしまう前に、自ら崩す。

 左側の砂礫傾斜面に体各所の全重心を持って行く。

 体重を掛け、ザックに刺さった枝をしならす。

 そして砂礫傾斜面に両手両足4つ足状態で腹這いになった。

 ゴム長靴の底を大倉川の上空に向けて。

 爪先を石積みのエッジに乗せる状態で。

 …。

 ザックに枝が刺さってから腹這いになるまで、5秒弱。

 いろいろ考え、全身の感覚が隅々覚醒された、5秒弱。

 ここで崖に靴底を向け自ら腹這いになったヤツは私くらいか?

 ザックに刺さった枝は、低木2本からそれぞれ伸びるそれぞれの枝だった。

 1本の枝だったら折れるなりして、足止めは食らわなかっただろうに。

 突き刺さる枝を後ろ手に引き抜く。

 なかなか1本だけ抜けない。

 身をよじり、両足と左手の3点で腹這い体勢から右横向きに体勢を変える。

 枝を掴んだ右手に力を込めて。

 おりゃ!

 バササッ。

 枝はザックから離れた。

 …。

 俺は何をしに来たんだ…。

 今回の予定ルートの中の難所という場面で…。

 プチ・スペクタクルな演出をしてしまった…。

 そんな予定は無かったのに。

 撮影機材用の大きなザックと枝の相性が良過ぎた上、背中の空間処理を誤った結果だった。枝の障害を取り除いて再び中腰で立ち上がり、前進を再開。足場が落ち着く地点まで辿り着き振り返ったが、石積みは藪で見え難かった。振り返りつつ、ここを再び大きなザックを背負っては通りたくはないなと、そう思った。

 またこの地点は低木の根張り等による影響で、今後石積みの崩壊が進む可能性がある。クラックが路盤及び石積みに見られるような場合には引き返したほうが良い。勿論、石積み下の崖斜面にも慎重に目を向けるべきだろう。

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 砂礫が埋めた軌道跡を過ぎて進行方向を望むと、もうそこは崩落地。枕木なのか何なのか、材木が急斜面に引っ掛かっている。左上に高巻くように踏み跡があり、行くべきルートは見える。しかしこの高巻きルートは数年前までは無かったルートである。先人たちの記録では画像の白破線部分、軌道跡路盤とほぼ同じレベルの高さを維持してルートがあったはず…。ここ数年での崩落でルートが変わったようだ。誰かが行き来しているからこそ明瞭に残っている踏み跡がある故に進めるが、これまでより慎重に進むことになる。(踏み跡が無かったら私の判断では撤退確実…。)

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 高巻き踏み跡のピークから崖下を望む。緑のトンネルの中を茶色の滑り台がブラインドコーナーを右に抜けて遥か彼方まで続いている。今、震度5弱以上の地震が起きたら、揺れでその場(傾斜地)に留まり切れなくて落ちるだろうな、と思った。ちなみにゴム長靴の靴底はピンスパイク仕様のものであるために、その場に留まってファインダーを覗き撮影していられる。普通のゴム底だったらいつ滑るか不安だし、歩くのも危険と判断したかもしれない。

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 数歩進んで進行方向を見る。正直、軌道跡のことを忘れる風景である。足元は軌道跡の路盤ではない。上部からの崩落土砂の上である。崖下は深く、下手な動き、無用な一歩は危険を意味する。足元の装備を間違えずに且つ下手な動きをしなければ良い。ただ、雨量の多かった後や地震の後のような場合には進むべきところではないだろう。ここはこの数年という短い期間で姿を変えている地点と言っても良いだろうから。
 そして、それでも踏み跡は確実な線を結んで左側の壁近くを先に進んでいた。それ故に慎重になら前進できる。

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 崩落地を乗り越える最後の足場の様子。踏み跡であって道ではないよな…。最後に昔々の崩落岩を越えて…。

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 軌道跡の平坦部へと辿り着いた。先人たちの過去画像のようには余裕を持っては歩けない崩落区間と化していたな…。荒々しい山岳地帯の一部にでもなってしまったようなこの崩落区間に踏み跡が付けられなくなる日も近いかもしれない。くれぐれも雨後、地震後、足元装備不足では立ち入らないということが賢明だ。晴れ続きの日に来ても気安さは無い。石積みエッジ部分の砂礫や低木もその一端なのだろうが、今現在、風化侵食の進行が著しい区間であろう。

→この地点の地図(Google Map)

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 平坦部に入り少し先に進むと、軌道跡は深めの切通しを通る。美しいな…。

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 しかし、山側(進行方向左手)の土手はこんな感じに脆々っとしている。下方通過時には気が抜けない。そして…。

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 切通しの先には第四の架橋地点が待ち構えていた。右側は崖である。

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 主桁は3本平行に整然と並ぶが、その高さにはズレが生じている。橋台があっても良さそうな橋だが見当たらない。もしかすると崩壊済みなのかもしれない。また、先人たちの過去画像と比べれば著しく枕木が減っている。この数年でかなり荒れた印象だ。落橋していない橋であるだけに、ここで遊んだ人も多いのかもしれない。荒れた要因に人為的なものが含まれるとすれば残念な限りだ。

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 僅かに残る枕木に釘。

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 第四架橋地点を振り返る。この地点の沢は小さいものだが岩盤を削るように流れやや傾斜があり、多少気を付けて渡った。

→この地点の地図(Google Map)

 さて、定義から十里平へ抜ける区間の軌道跡は後半セクションを迎えていく。

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October 18, 2010

定義森林軌道跡探訪記:03

 定義森林軌道跡を起点側より歩いてこの森林軌道遺構を知り、思いを馳せたところで一番見ておきたい「目的の木橋」を拝みたいという個人的な巡礼ルートを勝手に設定し歩いた記事は今回、第二架橋地点を抜け、小休憩を入れ、少し歩いたところから始まる。

※この探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 枕木が点在して残る森林軌道跡を歩む。ここまで撮影をしつつ、周囲の雰囲気を楽しむことを大前提(最も大前提なのは無傷の生還だが…)にしながらゆっくりと歩みを進めてきた。もちろん最後までそれを貫徹しようと歩みを進める。

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 しかし、忘れてならないのは危険性の問題。判断を誤れば滑落してしまうような架橋地点の沢横断、注意を怠れば転落しても不思議ではない数ある崩落断崖付近の歩行、運が著しく悪ければ落石や新規崩落などによる事故に遭遇しかねない。上画像の岩も軌道跡の山側に存在し、割れた状態で木の根に引っ掛かっているというだけのもので今後自然に自重落下してしまいそうな臭いがしていた。平坦なところを歩いている時でも気は抜けない。

 常識的に考えて当然だが、ここは対人安全対策は一切行われていない単なる山の中であり、何かが起きて死傷事故に至っても誰も責任を取ってくれない場所である。勿論、当記事を見て興味が湧いたので当地を見に行ったらケガしたとか死んだとか言われても、私が責任を取れるものではない。私自身も自己責任で歩んでいるし自分であれば歩める場所だと適宜判断の上で進んでおり、ここが万人向けの遊歩道などではないことをご承知いただきたい。

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 軌道跡は平坦に真っ直ぐ伸び、所々に取り除かれて寄せられた枕木が朽ち果てる日を待っている。右手には大倉川がかなり下のほうを流れており、その対岸には定義と十里平をつなぐ車道が併走している。時々、通行する車両の音が明瞭に聞こえてくるが、その様子は木々の葉で遮られて窺うことはできない。

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 しばらくするとパイプのようなものが藪から突き出て見えているところが前方に現れ、それが第三の架橋地点となっていた。辛うじて橋の様相は残しているが、手前側の橋台は崩壊している。

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 進行方向左手、山側から沢下のほうを見て橋を眺める。画像の右側の橋台が崩壊したことで主桁3本のうち2本が大きく傾いている。

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 崩れていないほうの橋台。往時からその姿を変えているのだろうか。基部の盛土にコンクリートを厚塗りして玉石を整然と積んで造られている。玉石積みがこの軌道橋台のスタンダードのようだ。

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 沢を少し降りて見上げたショット。崩れた橋台が無事で且つ橋桁もしっかり水平だったなら、かなり良い雰囲気だったのかもしれない。パイプは邪魔だが…。この場所、少し気に入った。撮りたい場所を探してウロウロしてみる。

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 かつて、山の斜面の森の中を貨車が走り抜けたこの空間。

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 どんな音を響かせて走り抜けていたのだろうか。

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 もう一度沢上より。全景を撮っておく。

→この地点の地図(Google Map)

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 進行方向に進んで振り返る。木材を積んだ貨車が向こうに走り去っていったのか…。脳内プチタイムトリップを終え、先へ進むこととする。

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 第三架橋地点から進行方向を見る。軌道跡は真っ直ぐ進み、遥か彼方の森の中へ消え入るかのように進んで行く。

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 無造作に散らばる枕木。廃止後のレール外し以外に何もしていないならこうはならないだろうから、やはり送水管の敷設か何かが影響しての顛末だろう。

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 更に進むと軌道跡は川側の斜面が急になり、山側から落ちてきた堆積物などで急速に幅が狭くなる。そこに水道局のものらしきコンクリ杭がある。

 …この後、ここまで慎重に進んできた我が身にアクシデントが襲う。

※次回更新に続く。

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October 17, 2010

定義森林軌道跡探訪記:02

 定義森林軌道跡を起点側より歩き、第一の架橋地点を通過したところから今回は続く。

※本探訪記を最初から→こちら(次回予告画像)

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 第一架橋地点より進行方向の軌道跡を見る。これまでは軌道跡と併走して水道施設管理道が走っていたので軌道跡も比較的日光が差し込み明るめの感じであったが、ここからはひっそりとした面持ちで軌道跡は掘割の中を進んでいる。

 先程這い上がってきた土手や画像の軌道跡(泥濘)には目新しい足跡などは無く、ここしばらく誰も訪れていない様相である。まあ大雨降れば足跡なんて消えてしまうので案外最近誰かが歩いたりしたのかもしれないが、足跡が無いっていう状況がアドベンチャー感を引き立ててくれたりもする。

 必然的に導かれるように、この軌道跡へ吸い込まれるように足は向かう。そして程なく。

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 軌道跡の左側に送水管が露出している場所が見えてきて、小さな沢が現れる。そこを極自然に道が渡っている。ここは軌道跡なんだ、という意識で歩かないと本当に極普通に渡ってしまいそうなこの場所は…。

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 う~ん、これ、橋?蓋?小さ過ぎ…。何れにせよ遺構の一つであり木造である。先人たちの記録では橋とする場合もあれば暗渠とする場合も見られる。私はどうしようか…。鉄道遺構という観点から考えれば暗渠程度なんだろうなぁ。遊園地にあるミニSLなんかの軌道なら、橋と扱っても全く問題ないのだが。人一人でも動かせそうな大きさなので、暗渠としておこう。

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 苔生した枕木。そう言えばこれまでも軌道跡の所々で枕木を散見してきたが、下草が邪魔で撮影せずにスルーしてきてしまっていた。

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 暗渠を過ぎて軌道跡を進む。右側へ落ち込む斜面に掘割を通して、可能な限り軌道の勾配を無くして跡は続いていく。そういう点では、歩いていて疲れるものではないのだが。

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 掘割を抜けると右側に断崖が迫る地点となる。その下は大倉川に注ぎ込む沢で、大倉川からはかなりの高さを軌道跡は進んでいる。高さ的には「落ちたらどうなるの?」と考えれば「こんな感じで落ちてってあそこ辺りに落下する」とは想像し難い高さ(崖下までの距離)で、藪や地形で視界不良の部分もあるが、まあ助かるよりも死ぬ確率のほうが箆棒に高いことは確実な感じ。高所恐怖症の人は来ないほうが良い。

 断崖沿いを軌道跡は直進し、やがて左に回り込んで斜面へと戻って行く。そして。

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 第二架橋地点が現れる。崩れた橋梁の残骸が転がる。

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 左手山側から見る。朽ち果てたという言葉が相応しいほどの状態だ。と、ここで軌道跡に併走して敷設されている水道送水管(林鉄廃止後に敷設だろう)が気になった。ここには2本の管が露出しているが…。

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 うち1本に真新しい感じの噛み跡のような損傷がある。左側には何やら爪が刺さったような連なった3つの穴傷もある…。クマ?(汗)なのかな…。猛暑等の影響で今年は山奥に食糧が少なくクマが里に下りてくる事例が全国的に報告されており、ここ宮城も例外ではない。あまりに腹を減らしたクマが齧り付いてみた名残りなのだろうか?それとも人為的か?何なのか。地面にはそれらしい足跡は無いのだが、足跡が残るような地面の状態でもなかった。

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 奥側の橋脚。この橋脚は、何度の車両通過を支えてきたのだろうか。

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 第二架橋地点を通過し、振り返る。斜面を削って平坦部を造り軌道を通したことが伺える。

→この地点の地図(Google Map)

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 第二架橋地点より進行方向を見る。大岩が転がっていたりするが古いもの。軌道跡はなおひっそりと緩やかに弧を描き進んで行く。

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 犬釘が残る枕木も埋もれながらチラホラ。

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 何かの理由(送水管敷設?)で外された枕木が軌道跡の横にまとめて置かれていたりもする。

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 やや切り通し気味のところを抜け、日当たりの良い場所が…。ここで休憩を入れた。

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 休憩地点より先はやや左に曲がり、少し藪が濃くなる。それでも軌道跡を見失うような濃さではないし、地形でもない。

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 藪を掻き分け軌道跡を進むと小さな沢が横切るポイントがある。第一架橋地点の直後にあった橋的な暗渠でもあるのかと思えば、軌道は築堤上を進んでおり、沢の流れは一度堰き止められて軌道上へ溢れることなく斜面下へ染み出しているようである。画像では右から中央上へ軌道跡は進んでいて、左手前の平坦な場所は沢の水が溜まる場所である。今は埋もれて見えないだけで小さな暗渠が存在した可能性も考えられる。

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 軌道跡はなお、やさしい弧を描いて森を抜けて行く。

※次回更新へ続く。

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October 16, 2010

定義森林軌道跡探訪記:01

 幼き頃より慣れ親しんだ地域の山奥に残る森林軌道の木橋を見るべく、まずは起点側から可能な限り軌道跡を辿ってから目的の木橋へ行き着こうと巡礼ルート?を定め、その日を迎えたまでの過程は前回記事を御覧いただくとして…。

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 午前7時半に自宅を出、向かうは定義地区。途中、大倉ダム、大倉湖右岸を通過する。天気は上々、降水確率は午後6時まで0%の予報。気持ちの良い朝となった。

 実はこの大倉ダム、今も残る目的の木橋の存在に一役買っている。そんな話は後々として…。

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 途中何箇所かで撮影のための時間を割きながら到着した定義地区。ここが森林軌道の起点だった場所で、画像から見て右側駐車場敷地が貯木場、奥の左側にもある駐車場敷地が林鉄の(営林署の)管理事務所があったという。今は定義のバス停がある辺りが定義森林軌道の起点だったということになる。

 ここの大きな駐車場に車を停め、身支度を整えて徒歩での単独行軍を開始することになる。一眼レフの撮影機材(交換レンズや三脚等)を詰め込んだザックの重さは事前計量で10kg。そのうち飲料水や食料合わせた1kgちょっとはいずれ自分の体内に取り込まれることを考えたとしても、撮影機材が占める重量比率が圧倒的に多い。

 クマとの格闘戦を想定して携行しようとした手斧は、ウチのどこかに仕舞い忘れてしまったため、結果的に鉈を携行することにした。防御には役立つかもしれないが、勝機は見出せない(見出さなくても回避行動に徹するべきなんだろうな)。

 で、午前8時半に駐車場を出発。

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 駐車場から奥に進むと、雪が多い所だからなのか棒杭の先に路肩標識が刺さっている。既にここは森林軌道跡であり、緩やかな勾配と右へのカーブが往時の様相を残したものとなっている。

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 少し進むとコナラ林の中を道は通る。林鉄廃止後50年。50年前の林鉄の様子を知っていると思わしき比較的大きなコナラの木が多い。

 道は緩やかな蛇行をしながら大倉川右岸へと近付いていき、それと接した崖上を抜けて行く。右手には柱状節理岩盤の名勝地:材木岩が見えるポイントがある。この時季は下草の影響で眺望は良くない。

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 さていよいよ一般車道からオサラバという所で、ヒラ~リヒラ~リと、アサギマダラがお出迎えしてくれた。関東以西に土着するチョウで、北は北海道まで旅をする。しっかりとした撮影機材を持ち合わせている機会に巡り会ったのは初めてだったので、林鉄そっちのけで撮影を試み、タイムロスする(笑)。このチョウは今日の私を何処に誘うのだろうか。50年前への時空の旅だろうか。黄泉の国という別次元への旅に誘われるのだけは避けたい(笑)。今回このチョウ、とにかく頭上をヒラ~リヒラ~リと舞うのだが、これは私が頭に巻いた薄ピンク色のタオルに反応しているようであった。

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 車道は右へと勾配を急にして降りていくところに、左手に車道の入口が見えてくる。こちら側が軌道跡で、今は水道施設への管理道となっている。入口には一般車両の進入を禁止する看板があるが、人の立ち入りを禁止しているわけではない。

→この地点の地図(Google Map)

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 軌道跡に入り、一般車道との分岐点を振り返る。画像中央2本の杉木立の右側にも掘割が進んで来ていて高い木が無く電線が通っているが、こちら側はおそらく旧定義街道を進んできた先(五重塔側の軌道跡の道ではなく、有名なとうふ屋さん前や定義如来脇を抜けた先)の旧道の名残りであろうか。旧道は左手にも名残りがあり、少し下ったところで現在の一般車道と合流しているようである。ここは定義森林軌道では数少ない軌道と街道の交差点であったのかもしれない。

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 水道施設への管理道へと化した軌道跡は、やはり緩やかな勾配で続いていく。軌道に急勾配を設けられない以上、今後ほとんど勾配を感じさせられないような場所が続いていくことになる。歩くには優しい勾配だが、今や泥濘や沢渡り、ガレ場や崖が待ち構えている悪路と化している部分があるのがこの軌道跡。今この画像の時点ではそんな雰囲気を微塵も感じさせないのだが。

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 沢を横切る場所で、その沢下を望む。画像左上に軌道跡である水道施設管理道、右下の沢には石積みが見られる。随分低い位置にあり、また軌道ラインよりも横にずれる位置にあるので、昔この位置に軌道があり橋台として使われていたとは考え難い。ここは以前より築堤で、暗渠で沢を通していたと考えるべきなんだろう。

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 そこから先は緩やかに右へと弧を描きながら、掘割の中を軌道跡は進んでいく。奥へと吸い込まれていくような感覚を抱きつつ歩を進める。

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 緑のトンネルをしばらく歩くと、道は左に折れて勾配を急にしている。軌道としてはその勾配は不自然なので、それが水道施設管理道と軌道跡との分岐のサインとなる。ガードレールが右手にあり、その外側が軌道跡となっていく。

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 カーブミラーのところからガードレール外側を覗き見るとこんな感じに掘割は進んでいて、軌道跡は紛れもない山道へと変貌を遂げている。さて、ここからが悪路であって、いよいよという感じが出てくるところだ。クマ鈴を装着し突入する。

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 突入直後の場所の様子。軌道跡は左にカーブしていく。先程までの水道施設管理道転用部分とは完全に趣は異なってくる。もうここは「かつての道」となっているのだね…。テレビなどの不法投棄が若干見受けられるのは管理道に近いからか。

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 少し進み、左手に太い鋼線が捨てられている場所の右側(画像中央より右)は沢に向かい崩落している。下草が多い今の季節は足元に細心の注意を払わないと、こういった場所を見逃してしまうために危険であろう。「木々の緑が綺麗だねぇ」と上を向いてボケッと歩いていたら、鋼線に見事に足を引っ掛けて崩落部にダイブする。

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 序盤の路肩崩落部は一箇所に止まらない。岩だって転がってきている。今は足場が確保されている程度の軌道跡だが、今から自分が進める一歩で崩落が拡大し滑落したら?ということを考えればキリがない道であることは確かなようだ。

 路肩が崩落しているだけで「危ないから行くべきでない」という人もいるだろう。夢中で駆け回って遊ぶような子供相手になら言って当然の言葉だが、一つ一つの状況判断に基づいて進める大人であれば危険度は少ない状況だ。ボケボケッと歩いてしまう人、子供のようにはしゃぎ回って歩く人、極度の心配性の人は、大人であっても踏み入れないほうが良い。

 まあそもそも山歩きの達人でも、今まで何でもなかった平坦な足元が新規に崩落するような事態になったらオワリなんだけどね。街を歩いていても壁が倒れてきて下敷きになって死んでしまう世の中である。そういう万一のリスクすら回避して生きたいというのであれば一生引き篭もって生きるしかない。

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 軌道跡は掘割の中を進み、足元は泥濘と化す。ゴム長靴でなかったらこの時点で水没ヌタヌタだ。周辺の雨水を集めてしまう地形となってしまっていることも理由だが、水道施設管理道側から側溝が落ち込んでいたりして人為的にも水を流している場所である。まあ足元はズブズブだけど、頭上の緑が綺麗である。冬枯れの季節のほうが遺構や危険箇所の確認はし易いだろうが、木々の葉が緑のうちのほうが気持ち良い雰囲気をプラスαしてくれる。細かな部分の遺構を見逃したとしても、この季節に少しでも歩いておきたかった。

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 軌道跡の泥濘で、倒木に連なって生えるキノコ。こんなのを撮っている余裕があるのは序盤の今のうちだけだったとは、この時点で思うはずが無い(笑)。

 この後、軌道跡は右にカーブして行き、深めの沢谷に向かっていく様相を見せる。いよいよ(昔の)架橋地点が近付くのだな、という思いで進んでいく。

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 沢向かいに続く掘割の軌道跡が見えてくる。送水管らしきものが架けられたところの下にチラリと木造のモノが見え始める。

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 確認できる第一の架橋地点に到着。橋台の上に立ち撮影する。画像には写っていないが足元の橋台と中央の木造橋脚の一部を残して橋梁は崩壊している。もしかすると人の目に付き易い地点の場所であるために、ある程度老朽化が進んだ頃に人為的に落とされた可能性もある。理由は当然ながら人身事故等の防止で。

 辺りを見渡し、沢の下流側(右手)に回り込んで沢へ降りる。

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 沢へ降りたところから架橋地点を見上げる。沢の下流域には橋梁の残骸があちこちに散らばっていた。

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 昭和13年に架けられた橋の残骸、か…。廃止から50年の姿でもある。

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 沢より橋台を見上げる。緑がまだ美しい季節に来たことも幸い、橋台の威容に感慨深いものがある。

 さて、沢からこの先の軌道跡へと上がらなければならないが、人の通る道と言えるものは存在しない。沢で削られた地盤が露出している5mほどの崖が続いているのである。周囲を見渡しても至極当然のルートは無さそうなので、自分の判断でルート選びをする必要が生じた最初の難関である。

 結果、軌道跡からやや右側に水が流れ出ている黒い部分の右側(5枚前の画像の右端部分)が、堆積土砂により斜度が緩み崖と言うより土手に近い状況であったため、ここを足掛かりに登ることにした。

 超蟹股で土手を直進上昇し、背中に10kgのザックを背負い、もうこれぞ這い上がりの境地である。幸い堆積土砂は程好く締まっていて足元を落ち着かせてくれる。が…目線が軌道跡路盤と同じくらいになった頃、最後の一歩分の足場が確保できないことに気付いた。確保できないというのは、私自身の肉体及び経験値から感覚的に想定できる「通常安全な一歩幅」分の足場のことである。堆積土砂は上部で途切れ、削られた地盤が露出。そこに足掛かりは見出せない。

 結局は、こういう高い場所ではあまり多用したくない「ちょっと体に反動を付けた大股一歩」で軌道跡へスルリと飛び込んだのだが、これは同時にここが退却時には使えないルートであることを意味してしまい、もしそうなれば大迂回して沢に別の渡渉ポイントを見出さなければならないということも意味していた。

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 沢の対岸より架橋地点を望む。画像では白トビして分かり難いが、上部の木々の隙間から水道施設が見えている。

→この地点の地図(Google Map)

 さて、退路が無いな。探せばあるんだろうけど…。まずは先に進むしかないか。

※次回更新へ続く。

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定義森林軌道跡探訪記:序

 若い頃だったのか、子供の頃だったのか。いつの頃だったか思い出せないが「大倉川の山奥に木の橋が架かっているんだよ」と誰かに教えられたことがある。そして2年前、大倉川の西隣の川になる青下川に架かる廃橋のことを調べていろんな人に話を訊いているうちに、「定義の奥の橋のこと?」と言われたことがあり、その「大倉川の山奥の木の橋」という存在を思い出した。

 その木橋の存在をネットで調べていくうちに、共通する、あるキーワードで情報は集約されていった。

『定義森林鉄道(または軌道)』

 自動車用林道が発達する以前、仙台市青葉区西部の大倉川沿いに、山から切り出した木材を運搬する鉄道が存在し、木橋はその遺構であると。

 木橋のことだけではなく、その森林鉄道のことも調べ始める。

  • 昭和13(1938)年に竣工し、昭和35(1960)年に廃止。
  • 総延長が11.3km。
  • 森林鉄道としての規格は2級、森林軌道として区分される。
  • 名称を「定義林道」と言う。

 森林鉄道の詳しい資料というのは一般的にあまり残されていないらしく、ネット上で得られる情報も少なかった。だが、廃線鉄道ファンや廃道ファンが綴る踏査記事で見る定義森林軌道のルートからは、定義林道という名称からも自動車用林道である現:定義林道が整備される前のその一帯の林業に貢献した森林軌道であることは容易に想像ができる。

 そして、踏査記事で見受ける画像の数々を見るにつけ、物心付く前より遊び親しんだ地域(仙台市青葉区中西部)に残るその遺構は、廃鉄廃道ファンとは言えない地元民の私が「実際に見ておきたい」と思うには充分過ぎる威容を誇り、存在感に満ちていた。

 「実際に見ておきたい」なんて一昨年に思いつつ、昨年はすっかり忘れていたりもしたんだけど(笑)。

 ここで、この記事をUP直後に読まれている方で、定義森林軌道の存在を知らなかった方に私の気持ちを伝えておきたい。「定義森林鉄道」や「定義森林軌道」という言葉で検索を掛ければ、結構多くの記事や画像に辿り着くことができるのだけれども、それらを今見てしまうことは、今後私がUPする記事内容を見てしまうこととほぼ同義となってしまう。道は一本しかなく、私の歩みは何番煎じか分からないほど後発。探検気分を味わってもらうため?には、申し訳無いのだけれど私の記事UPペースにお付き合いいただき、少しずつ定義森林軌道のことを知ってもらえれば幸いであり、記事に長々とまとめる甲斐を私も見出せる(笑)のです。

 定義森林軌道のことを御存知の方は、軌道の近況を窺い知る、私の歩みと先人たちの歩みを比較するなど、また別な感覚でお楽しみいただければ幸いです。

 話を本題へ戻す。

 私が目にしておきたいものは、第一に「大倉川に架かる木橋」、第二に「軌道跡全般」となった。目的の木橋までは、さほど苦にならない行程でアッサリ辿り着くことができることは調べが付いた。最寄の車道から徒歩で山道と化した軌道跡を辿り15分足らずで到達してしまう所に存在している。私は食事の時、好物は最後のほうまで残しておく性格。それ故に、目的の木橋よりも手前側(並行する大倉川で言うと下流側・軌道の始終で言うと起点側)に位置する既知軌道跡を見ずして第一目標に辿り着くことは、気持ち的に美味しくないのである。

 目的の木橋よりも軌道起点側となる既知軌道跡というのは、定義如来西方寺付近より大倉川右岸の山中を通り十里平地区へと抜ける範囲に存在しており、先人たちの記録を見るからに山歩き慣れをしていないと困難や危険を伴う状況であることは判断できた。幸い私は道無き山を遊び場に育ってきたこともあり、都会育ちの人に比べれば身の丈に合わせた状況判断はできるほうだと思っている(頻繁に登山する人などに比べれば劣るとは思っている)ので、「無理だと思ったときが引き返し時」と途中退却も想定しつつ、起点側軌道跡から辿る行程こそが自分らしいと考えて赴くことに決めたのであった。

 なお、目的の木橋より奥に存在する終点側軌道跡については、起点側軌道跡を歩いたその日のうちに歩き切れる距離ではないので、第一次探訪の進捗次第で考えることとした。

 ここで、いくつかの課題を解消しなければならないと感じた。「無理だと思ったときが引き返し時」という諦めの余地は大前提にし、危険を冒すようなことにならないこと、無傷の生還を果たすことが至極当然ではあるのだが、万一の事態などを想定しなければ赴けない。第一に「単独行で問題ないか?」ということが思い付いた。

 大きな怪我などで身動きが取れなくなるような事態を想定すると、同行者が居るということは大きなメリットであり、身を動かすために手を借り肩を借りるということもあれば、助けを呼んできてもらえるということも考えられる。ケータイは通じない場所と想定して良い(そもそも私はPHSで、熊ヶ根から少し大倉方面に入った地点で既に圏外だが…)。山歩きの経験豊富そうな人で、私の興味事に巻き込んでも良さそうな人は思い付かない。仕事としてお金払えば来てくれそうな人はいるのかもしれないが…。

 結局、起点側軌道は大倉川を挟んだ対岸に車道が走っており、身動きが取れないような万一の事態にはそこから気付いてもらえるよう配慮をすることで、今回は単独行で行くことにした。配慮とは、ホイッスルや赤色点滅ランプ等の携行程度であり、単独行としては充分なものとは言えないのだが…。「キノコ採りなんかで一人でも入るような山」と言われればそれまでだが、それは勝手知ったる何とやら的な山になっている人からすればの話であり、初めて歩こうとしている未経験の山が荒れていると分かっていての単独行というのは、比較的身近な山と言えども多少緊張するものである(私は)。特に今年は里近くでのクマ出没率が高いらしいし…。

 また、重度の捻挫や骨折する事態も考え、テーピングテープなどの腕や脚の固定に役立ちそうなグッズを多少携行し、自力下山の可能性を高める努力をすることにした(つもり)。一晩身動きが取れないことも考えてアルミ保温シートも携行。クマ除け鈴は当然ながら、ラジオ、熊と格闘となったら無いよりはマシだろうと手斧携行も考える。

 あとは、職場を含む自分の周囲に行動予定を事前に明確にしておく。まあこれは単独行じゃなくても必要だけど。

 続いて「装備面に不足は無いか?」という点。実際に不足していたのはゴム長靴。泥濘行進、沢渡りなどが待ち構えている。これは持ち合わせが無いので購入することとした。ヘルメットは必要か?転倒時や転落時に無いより有ったほうが良いが、事前に転倒や転落の危険性が高いと分かるような箇所には挑まないとすれば、今回は必要ないものと判断した。

 さあ、あとは決行日となる。森林軌道という存在であるが故かな、木々の葉が残っている時季に見ておきたい気持ちがある。落葉前の森林では見通しが悪く、細かな遺構を見逃すという可能性や危険箇所を見落とすという可能性も高まるのだが…。10月の好天続き後の都合の付く日かな、と定めたここまでの過程が8月頃のことであった。

 前置きが長くなったが(序章なので許してネ…)、好天が比較的続いたあとの10月14日鉄道の日(これに合わせたつもりではないが)、残っていた最後の夏休み1日を取得して現地へ赴くことにしたのであった。

 いざ三角定義油揚げへ!…ではない今回。

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 次回へ続く。(今回の画像これだけかよ…)

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October 15, 2010

次回予告画像

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 10月14日、鉄道の日。

 だからってわけじゃないけど、以前より行きたかった場所を歩いた。

 まだまだ歩き切れていないのだけれど、次いつ行けるか分からない。

 とりあえずはその第一歩を踏み出した10月14日の探索を、200枚近い記録画像で、今後複数回に分けて記事にしてみようと思います。

 上記の3画像で想像できる人も居るはずですが…お楽しみに。

 なお、画像のロゴが変わり、「Sakazuki's Note2」の他に「M-TSB-Enthusiast」という名前も見られますが、これは管理サイト「M-TSB-CLUB」のリニューアル後(時期未定)の名前です。画像データをホムペとブログの双方で共有したい構想もあることから、ロゴを先行的に変更しています。

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October 11, 2010

10月半ばへ

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 10月上旬に某林道を走ったついでに出会った、10月のヒメオオクワガタ。クルマで行ける場所として、我が家から最も近いヒメオオの森ということでもありました。

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 例年にも増して暑かった今夏。例年にも増してクワガタを求めて山へ足を運ぶ機会にも恵まれたことも確かで、秋めく最近はやや名残惜しい。

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 10月に入ってすぐでも、山の上のほうは紅葉の走りがチラホラ。夏じゃないんだね、という再実感は言うまでもなく、秋だよ、という言葉が最も妥当で揺るぎない。

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 10月のヒメオオに出会ったことで、今季のクワガタを追い求める気持ちに一定の整理が付き、来シーズンへ気持ちが向かう。(雪が降る前にルリクワを探したい気持ちは少しあるが…)

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 来シーズンを迎える前に、管理ホムペのリニューアルを実施したいと思っている。シンプル化&ほぼパーソナル化、というのが大きな目的。これまでの記事内容の多くは引き継ぐことを前提としている。

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 これから数ヶ月?かけて、リニューアルに取り組んで行きたいと思っている。

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 そんな思いを抱きつつ、本日体育の日。来シーズンに向けてポイントの視察に出掛けた。県北の某所へ向けて。

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 朝9時にマクドナルドのドライブスルーに立ち寄り、朝メニューを頼もうとしたら「ホットケーキの生地と、イングリッシュマフィン(パン生地)が品切れで、昼メニューなら出せます」だと。朝メニューは午前10時半までのはず。9時の段階で品切れっていうのは在庫管理ミスだよね…。死ぬほどの量を頼んだヤツでも居たのかしら。そのままノーオーダーでスルーをかまして、待っていた15分間も時間をロスして、県北へ走り出す。

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 県北の某所では、夏は通行止めとされていた某林道の走行調査。通行再開後の林道に大きな変化は無く、やはりこの周辺でも紅葉の走りを見物しつつ、帰り道にブラブラと歩いたりしては、赤トンボ、謎の蛍光イエローの毛虫、越冬場所を探して飛び交うカメムシなどの姿を何気なく撮ったりしていた。

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 ヒメジョオンに居たキオビツヤハナバチらしきハチと、それを狙うカニグモの仲間。この後、ハチがクモの目前までやってきて、クモが広げた脚をガシャン!と閉じたが、ハチは寸でかわして飛び去った。

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 カニグモの類は、人面グモのような模様を持つものが多いように思う。面白い。サングラスかけた変なチョビ髭&バーコード。

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 白っぽいアマガエルが葉の上に。何となく鳥の糞のように存在しているのは、それに似せているからなのか。撮影後、頭を撫でたらジャンプして奥の葉の上に去って行った。

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 夕方には自宅近くに戻り、近所の秋を探してみた。

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 少しずつ、色付いてきていたカエデ。

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 暖かな夕陽に照らされつつ。

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 カエデを撮っている私を眺めていた野良猫の一日も終わろうとしていた。

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 これからの季節、急速に花の姿は少なくなっていくだろう。

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 秋は加速していく。

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 冬に向かって。

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 そんな秋も楽しみたいですねぇ。

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