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December 2008

December 31, 2008

大晦日出勤にて

20081231_01  前日夜からの降雪を残した朝。いざ出勤を果たそうと出発すれば再び降雪が激しくなり、一面雪。

 4シーズン目のスタッドレスタイヤの効き目は?加減速、コーナーリング、新雪や圧雪路では問題ないようだ。当然、限界点を極めようとする走りはしないで、の話。

20081231_02  某事業所に立ち寄る。降雪は激しさを増すばかり。

 何故か毎年恒例となりつつある大晦日出勤。今回カメラを携行している理由は、29日朝にこの事業所前の梅田川でシラサギ3羽を目撃したからで、天候が良ければ30分ほど探そうかな、と思っていたからなのだが…無理だな。

 某事業所で一仕事終え、職場へ出勤する。混雑関係以外、特別大きな問題は生じていないようだ。仕事中の一服時、まだまだ吹雪く上空を3羽の白鳥が東進していった。東進?もしかすると、あまりの視界不良に山間部上空を避けて、海沿い低空を南下するつもりの白鳥たちなのかもなぁ…。

 その後、順当に自分の仕事を片付け、昼を迎え、メシを食い、一気に晴れ渡った青空に誘われて、食後のプチ休憩として近くの広瀬川河川敷まで行ってみた。

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20081231_04  川面を泳ぐアヒルたち。4羽写っているけど他にもまだまだ。こんなに沢山アヒル居たっけ?

 で、いつものカモたちも。少し数が増えたかな…。

 河川敷はグズグズビショビショになった雪で歩き難い。

20081231_05  少し護岸に佇んでいたら、ハトやスズメが寄ってきた。これからの時期は食いモンに困る季節なんだろうなぁ。

 しばらくは周辺をウロウロ、チョロチョロしていたけれど、私が食いモンを持っていない雰囲気濃厚を察すると、背を向けて歩き去ったり飛び去ったり。

 ちょっと遠くにカモメにエサをあげている人が居る。あのカモメを撮ろうかな、と私も歩み始めたら、そのもっと向こうに何やら2ヶ月位前に観たニュースのネタらしきものが…。

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 あの集団は…。(この画像でヨゴレに気付いた…きっとレンズのゴミを除去し切れてなかったか…)

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 コハクチョウ一家。私の歩みと並泳?してきたカモたちがすれ違う。カメラを構えた中年男性が既に居る。「こんにちは~、どのくらい近寄れるモンですか~?」と伺ったら、「エサやってる人が居るから慣れちゃったみたいで、結構寄れるよ」とのこと。確かニュースではエサやるなって言ってなかったっけか?エサが貰えるから滞在しっ放しになってんのかな…。

 警戒されないよう、あまり手をブラブラさせないよう、ノンビリと接近する。

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 バサバサッと伸びをする子コハクチョウ。以後、彼らの激しい挙動は無く、コレのみ。

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 上流に向かって移動を開始するコハクチョウ。私もノンビリと追従する。後に見える橋は宮沢橋。

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 並走状態まで追いつく。私もノンビリダラダラ歩いているんで、全く警戒されなかったり。

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 移動を終えたら皆で休憩。先頭の子コハクチョウは浅瀬にずっと立っていた。

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 もう帰ろっかな、と思ったら、コハクチョウたちが活動再開。

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 アンタさ~、さっきから何見てんのさ?という具合に親コハクチョウにチラチラ見られるワタシ?

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 もう一方の親子コハクチョウは漂ったまま。

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 橋の上で声を上げて歩いていく通行人を気にしている模様。そろそろワタシも戻らなければ。

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 あ~あ、結局アノ人は何もくれなかったよ…みたいな見送られ方で職場へ戻った私なのでした。

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近所歩記:国見峠まで

20081230_01 大した内容じゃないですが、年末のちょっとした余暇を散策で過ごしたので。

 まずご近所の交差点。お地蔵さんが祀られている。先日、親父&姉とメシを食う機会があったのだが、その時姉がこの地蔵様を最近になって疱瘡神であることを聞いたという話題が出た。確かに私も子供の頃は、何か不穏な事が起きた現場だろうとか、最近までその類ではなかろうかと思っていたが、数年前に○十○銀行での待ち時間に出会った漫画本で疱瘡神であることを知った。今回はその漫画本の内容に多少沿うように巡ってみようと出掛けているのであります。

 この疱瘡神、その漫画によると、元々は近くの寿徳寺(通称:丸門寺)内にあったらしく、画によると最上源蔵という者の墓があって、最上が痘神(もがみ)になったとか。ともあれ、天然痘なんかが撲滅される以前の話、それこそ昔々に人々が手加減してもらおうと祈りを捧げたに違いない。

20081230_02 で、峠に通じる旧道との分岐点。

 左が旧道、一の坂。クルマは渡れない踏切を過ぎると二の坂となる。右が貝ヶ森団地へ向かう。最近JR仙山線の新駅が出来て、周辺も新しく整備されて新鮮な感じがする。近くの接骨院の駐車場に、時々見かける私の愛車と同じSS製スキッドプレートを装備したジムニーが停まってた。

 余談だが、今回は全行程を歩きはせず、天候悪化も考えられたのでポイント間の移動はクルマで。完全な散歩じゃないなぁ。

20081230_03 貝ヶ森団地に入ってすぐ、山中沼がある。サンチュウヌマなのかサンツヌマなのか定かじゃないけど、仙台藩火薬製造所があった場所だ。

 実は湖畔は生まれて初めて歩いたのだ。子供の頃からウロチョロしている地域なのにねぇ。まあ滅多に来ないところではあったけど。

20081230_04 昔はほんとに沼くらいだったんだろうけど、今は整備されてて良い憩いの場ではないですか。

 のんびり出来そうな場所なのに、今まで来なかったとは勿体ない感じだなぁ。春以降になったらまた来てみよう、と思わされる場所だ。徒歩でも15分掛からんし。

20081230_05 泳ぐカモ。数羽居たけど、人馴れしてそうなヤツも居て、微妙に寄ってくる…。

 火薬製造所の遺構だか石碑があるのだが、今回は探さずに沼を一周して撤収。次のポイントへ向かうためにクルマを取りに戻る。

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20081230_07 クルマで山を登り、国見峠に。で、やっぱり二十年ぶりくらいに来た仏舎利塔。昭和34年に地鎮祭、15年後の昭和49年に完成とのこと。

 正面の仏様。→

 以前は正面、撮影画像の後ろ側(東側)より山の斜面を登ってくる参道があったが、今は草木に埋もれて使われていないようだった。必然的に裏側から入ってくることになる。裏側の出入り口には私がいつも利用するコイン洗車場がある。

 仏舎利塔って、何となく安息の地っていう雰囲気を私は感じる。そう言えばハタチ前、クルマで秋田までいって車中泊したときも、秋田市平和公園の仏舎利塔前に駐車して寝たっけなぁ。

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20081230_08 南側の仏様。

 塔には四方に向けてそれぞれ仏様が安置されている。南向きのこの仏様は、一番輝かしい状態。一番新しいのか、修復されたりしたのかな。

 幸いなことに、仏舎利塔滞在中に限っては上空の雲が少なくなって、青空が広がって、陽射しが出て。

 国見という峠だけあって、伊達藩主たちの御覧場だった素晴らしい眺望も、林が邪魔してほとんど無く。

 ちなみに周辺の道路沿いでも、住宅やマンションで遮られる眺望、といった感が否めないところばっかりになってしまった。

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 西側の仏様に見送られて外に出る。北側には立像が安置されているので、それは行ったときにでも見てもらうとして。

20081230_11 で、仏舎利塔から歩いて数分、弁財天堂へ。実はここも初めて足を踏み入れる。

 詳しくはWikiのページ、河北山臨済院跡を読んでもらうのが一番として、峠手前の急な上り坂脇から、下って行く道が参道である。

20081230_12 参道を下りて行くと、松や杉に囲まれ、一部が住宅地に接した敷地の一角に弁財天堂が建っている。昔大寺院、今廃寺の臨済院。寺は廃れて周囲は閑静な住宅街に。この寺が廃れずにいたのなら、この周辺はどんな風になっていたんだろ。

 手前右に石碑、左に木の囲いがあるが、左の木の囲いは梅田川水源の壱脈泉らしい。

 明治になって臨済院が廃寺となって以降も地域の人々に弁財天堂だけが守られてきたのも、梅田川、水との縁があってこそなのかもしれないなぁ、とか思ったり。

 まさか銭と縁があるから守ろう、というのが第一じゃなかったはずだろうし…。

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 壱脈泉と石碑。

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 弁財天堂。20年くらい前までは茅葺屋根だったとか。

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20081230_16 裏側から。堂の周囲が庭園チックに整備されているのは昔からなのだろうか。

 近くにお稲荷様を祀っている祠(→)を見つけた。道も無い隅にあった。堂の裏手の臨済院跡の広い敷地には、代々の和尚の墓が点在していた。この地には疱瘡神社とやらもあったようなんだけど、これと前出の疱瘡神の存在を結び付けようとする仮説だか考えもあるようだ。

20081230_17 さて、峠道を戻って雷神堂へ立ち寄る。

 前出の仙台藩火薬製造所があったことで、そこでの安全を祈願するために雷神山の頂に建立されたとかいう話。今は住宅地の一角に佇む。落雷とか静電気とかで事故とかもあったのかな、当時。

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 左右に石碑が並ぶ。敷地はとても狭い。ここの前の公園では中学の頃までは遊んでいたっけな。

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 御社の脇にもお稲荷様や石碑が。

20081230_20 というわけで、何てこと無い散策だったのだけれども、生まれ育った身近にもまだまだ未体験ゾーンが散在しているわけで、そういうところに足を向けるような機会を増やしていくのも良いのかな、と思っている昨今。年取った証拠だな(笑)。

 でもまあ、散策するには季節が悪いな今は。ゆっくりと佇んで空気を感じるというか、空間を体感するにはちと寒い。やっぱりこの辺の志向も老いたかも…。

 気が付くと、愛車の足回りがドロドロになっていた。きっと某所の駐車場のせいだろうとは分かったけど、ついこの前に洗車したばっかりだったのに…。しかも融雪剤が撒布された日があったから、アッという間にボディもベトベトなのです…。安ワックスにも失敗したしな…。

 ま、そんな年の瀬。大晦日と元旦は仕事に行きます。

●参考書籍:クレオ君5「天空の町物語《国見編》」伊藤仁/著

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December 22, 2008

続:埋もれる遺構探訪

20081221_01 先日は送水管隧道建設時の横坑と、岩盤掘り下げ氷池を探訪したが、今回は石垣造りの氷池・氷室跡の探索だ。連日の出動を果たした理由は、天候が良かったから。冬至に最高気温が13℃とか予報される日は滅多に無いだろうし。

 で、今回の目的地は未知の氷池ということなんだけど、直前の親父情報だと、親父がキノコ採りで歩く道、突き当たりの先を真っ直ぐ道無き場所を歩き、聖沢までは到達しない場所だということ。正直言うと、私自身も子供の頃に探検しまくった場所だから、そんなトコに何かあったっけ?という印象なのだが…。とりあえず親父情報の周辺を探索しようとやってきたワケだ。今回は、ホクロ甘党さん同行。

 2日連続での山道アップダウンは、クルマ慣れしている最近のワタシにはキツイ…。でも、不思議と筋肉痛が出なかったのはチャリのお陰?それともトシで明日以降に出てくるか?(笑)

20081221_02 食事をしながら親父情報を脳裏に反復させる。ちなみに今回はシーフードヌードル。

 親父が説明した範囲は非常に限られている。氷池が存在しそうな斜面ではない土地の範囲だ。キノコ採り道から聖沢までの距離が無いため、探索は容易な筈だ。

20081221_03 食事を終え、いざ第三号隧道の奥地へと向かう。あっち方面を歩くのは8年振りくらいだろうか。だがすぐに道無きブッシュへ掻き分け入ることになるのだけれど。

 すぐに親父のキノコ採りルートの突き当たりに到着する。そこから真っ直ぐ道の無いところ、というのでブッシュに入る。だが、真っ直ぐ行けば聖沢が見えてきてしまう。そこで森林内をジグザグに歩きながら、多少は標高の高いほう、第四号隧道のある方向とは逆の方向、つまり奥地の方を探索するが、何一つ建造物は無い。時折、不自然に石が積まれている場所がある程度だが、それも何かの遺構なのかもしれないな…。

 しばらく歩いて、これ以上奥は斜面で望み少なしと判断。引き返すことにしつつ、戻るには目印になる山道方面へ足を向けた。そして、山道のある場所が見えた時だった。

 あ、四角い…。

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 石積みが四角く構築された窪地がある。ここは谷間の沢で山道脇。道無き場所じゃない。そして私は既知の場所なのだ。親父情報の信憑性が問われるが、きっとここのことでは?私は子供の頃から今までここを、第三号隧道直上付近だから水道局の関係か治水関係の石垣だと思い込んでいた。そう言えばいつも、画像で見ると向こう側の山道を歩いていたから、石垣の存在は見ていても四角い形までは気付かなかったよ。それに、第三号隧道はこの辺では既に結構な深さの場所を通っているはずだから、この場所の地表面に水道局が建造物を作る必要性は低いしな…。

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 浅く続く石積み。今思えば確かに、送水管隧道出入口付近に見られる石積みにしては造りが粗い。もし水道局関係だったら表面がほぼ平面になるようにしっかり積まれているだろうし。

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 谷間沢の下流側の位置は一部が崩れている。そうか、谷間の沢をダムのようにせき止めて、氷池は造られていたのか…。そのダムに当たる部分が決壊して浸食が進み、また谷間のような地形へと戻っている最中なのだ。子供の頃は氷池なんて発想も知識も無かったから気にしていなかったよねぇ。

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 さて、この場所が氷池だったとすると、同じように谷間沢をせき止めたような場所が上流部にも点在しているのだ。あまり意識して周辺を観察したことはなかったから、その場所にも石積みなどが残っていないかどうか調べるために、足を向けた。そして、すぐにその場所に辿り着いた。

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 そこにはやはり石積みがあった。そして四角形の場所だった。やっぱり氷池だったんだろうか、ここが。谷間の沢で言うと下流から2つ目になる氷池だ。

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 ここの石積みは比較的しっかり残っている。山道ルートからは結構離れているので、人に荒らされることも少なく眠り続けているのだろう。

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 しっかりと残る石積み。もうこの場所は送水管隧道の直上からは外れている。水道局の建造物である可能性は激低だ。治水関係という可能性も残るが、この周辺での本流は聖沢。こんな名も無き谷間の沢を治水する意義が見当たらない。そう考えれば、親父に教えた伯父の氷池話くらいしか残らない、かな。

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 四角い土地。山奥には不釣合いな空間。

 伯父が生まれたのは戦前で、その頃に八幡町でこの氷池を使って冬季に製氷し、氷室で保管して、町に切り出してきては売っていたという。その氷屋の孫くらいに当たる人が今も商店街に住んでいるが、当人は知らなかったこととかで、この場所を知りたがっているような話を親父の従兄弟が話していたそうだ。ちなみにここは、住所で言うと荒巻になるが、八幡の奥の山、国見の山、放山の奥とか、いろんな言い方ができる場所に位置するところだ。

 で、ここを“弐の氷池”とすると、もう一つ上にも同じような場所があるんだな…。そこも行っておこう。

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 “参の氷池”らしき場所に到着。谷間の沢が底床を掘っているが、明らかに一段低いフラットな窪地なのだ。一番下流の“壱の氷池”や“弐の氷池”のようには石積みが明瞭でない。というか、あるのか?

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 やはり石積みは存在した。かなり埋もれてしまっているが、石積みだ。やはりここも意図的な空間。“参の氷池”だ。だがここ、今回のルートよりも簡単に来れるルートがある場所なのだ。今回は谷越え山越え、時には這い上がって、時には這いつくばって進んできたルートだが、クルマで某地に乗りつけ、そこより仙山線を渡り山道を歩いてくれば、完全二足歩行で到達できる別ルートがあるのだよ…。

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 明瞭な石積みっていってもこのくらい。あとは埋もれるか崩れるかしている。この周辺、どうせならもっと時間をかけて観察してみる価値はありそうだな。

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 決壊した“参の氷池”のダム。向こう側が池。おそらくは昔から排水路だった部分なんだろうけど、管理されなくなって浸食されて幅が広がったりしているのだろう。

 もうそろそろタイムリミットだ。冬至の夕方は早い。もっと上流部を目指すのも面白そうだが、確かこれ以上は平坦な窪地はなかったはずだ。まあいずれまた、だな。引き揚げよう。

20081221_16 谷間沢の水溜りにアメンボを3匹見つける。

 冬至だぞ…。山だぞ…。

 氷池で製氷していた人は、昨今の温暖化を予想していただろうか。これでは真冬でも製氷ってほどのことはできないよな。

20081221_17 さて、2日間に渡った探索も終了。個人的にだが撮影して記録を残そうという目的は達成した。ダブルアーチ&横坑、岩盤氷池の久し振りの探訪、石垣は氷池としての遺構だったことなど、私が認識していなかったことも含め、あらためての感動があった。

 氷池があって氷室の跡がはっきりしないのは残念だ。氷の貯蔵方法にはいろいろあって、小屋式だったら朽ちて残っていないだろう。洞穴式だったら?窪地式だったら?きっと埋もれてしまっているかもしれないな。

 日々進まぬ仕事の悩みも、この2日間の山中行軍で気分転換。歩を進め続けることで気晴らしができた。

 さあ、年末年始の仕事へと突入だ。大晦日も元旦も、例の如く仕事なのだ。

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December 21, 2008

埋もれる大正期遺構探訪

 さて、やっとこの日が訪れた。降水量の少なかった昨今、晴れの天気予報、休日出勤とか歯医者とかもナシ。ちょっと寒い季節になってしまったが、例の場所を探訪するには申し分ない土曜日だ。

20081220_01 現地付近へのアプローチ入口地点は自宅から歩いて15分という場所であり完全徒歩でも行けるのだが、最初に現地の反対側に位置する山手の住宅地まで行き、ポイントの周辺を撮影することにしたのでクルマで行動することにした。そうあそこ、画像円内に僅かに見えたはず(汗)の遺構らしきモノが今回第一のダーゲットだ。

 それは、大正期に仙台市が整備した上水道送水管を山腹貫通させるための隧道を掘削するために用いた作業坑道の入口、吊橋の橋台跡みたいなものがある場所だ。青葉区八幡にある。

 現地を訪れるのは少なくとも16年以上振り。もしかすると20年振りくらいになるかもしれない。あの作業坑道、橋台跡?に、崖上よりアプローチするぞ。

20081220_04 ついでに撮影地周辺に見られる遺構的な場所を撮影。ここは仙台城築城の再に石垣用の石材を切り出した石切り場跡だ。山腹がえぐれた形をしている。私がまだ小学校に入るかどうかの頃に山火事になったことがある場所でもあって、この急斜面を利用して冬はスリリングなソリ遊びをしていた場所でもある。中腹から木々の間をすり抜けるようにスンゲー勢いで滑り落ちてきてソリが割れることもあったな…。

20081220_02 住宅地域には、城の石垣に使うには規格外だったり変に割れたりしたのだろう大きな岩が昔から至るところに転がっていて、一部が邪魔者として石切り場前に集められていたりする。観察すれば、楔を打ちいれたのだろう当時の痕跡が見受けられるのである。きっとこの岩は割り出す前に岩盤から剥離してしまい使いモンにならなくなった石だろう。

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 クサビ跡がT字型に残っている岩。

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 さて、クルマを空き地に置いていざ入山、っとその前に…。ついでだから寄り道。埋もれかけた防空壕跡だ。今では大人が入れないくらいに狭く入口が埋もれているが、私が子供の頃はもっと大きく開口していた。国道48号聖橋横、聖沢左岸にある。

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 で、こっちも防空壕跡?四谷用水関係の横坑?の洞穴。こっちも崩落が進んでいるようで、入口は封鎖されていた。やぐらの上に崩落した石が積もっている。この洞穴は中が水没しており、今まで入ったことはない。聖橋の下、聖沢左岸にある。

20081220_07 この聖橋、新橋(手前)と旧橋(中央)が存在する上に、四谷用水用の橋(奥)もあり、3本もの橋が並んでいる。

 四谷用水って、昔もやっぱり橋でこの沢を渡っていたのかな…。だとしたら木橋なのかな…。伊達政宗の時代なのだから石橋っつうことはないだろう。

20081220_08 空き地に停めたクルマに戻り、ザックを取り出す。

 なお、空き地と言っても実際は、近くにある私の実家が駐車場が無いために借地している駐車用スペースなのである。かの有名?な仙台初のハリウッドスターを生み出した家系さん所有地だったりする。

 今回の装備はクワガタ採集とかではないのでオノとかナタとか重いものはナシ。余計なものをいろいろ省いて約10kgだ。全ての物資が1つにまとめられた。

 実家のクルマが無い。どうやら親父は出掛けているようなので、断り無くジムニーを置いていく。この空き地に放置され続けていた誰かの不法投棄1BOXカーも、草むらにナンバープレートだけを残して姿を消していた。…それって誰かが車体を持ち去ったってコトか?金属売れるからナァ…。

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 国道から住宅地を登る。ここは広瀬川左岸の丘陵地でもある。振り返れば市街地を望むことが出来る。ここから上水道送水管埋設道を歩く。

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 送水管埋設道は山野の中へと続いていく。そう、ここは以前も歩いて日記に記した散策ルートである。

20081220_11 で、その時にサワガニ採りの子供たちが居た沢、ちょっと前に日記に記した水道記念館で見かけたパネル写真にあった送水管谷渡りの場所に到着する。

 ここまでは難なく到着できる。ここからがアップダウンの連続だ。そして崖っぷちへと這い降りたりしなけりゃならない…。

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 谷を渡り、例の仙台市水道第四号隧道出口に到着。ちょっと水分補給と一服…。ここまでは急坂だが階段だし足元は問題ないのだが、これからが獣道的なルートとなるのである。

20081220_13 小休憩後、すぐに道なき急坂が待ち構えている。進む目印は水道局の指標杭だ。2本の杭の下を隧道は通っている。または水道局の管理道である目印なんかだ。

 とにかくここは斜度がキツイ。その上、足掛かりが少ないのっぺりした斜面を落ち葉が覆っている。この後の崖っぷちのことも考えて、靴紐をキツ目に結び直した。踏ん張りが利いて、この斜面も多少は登り易くなった。

 序盤だというのに、足の筋肉は最近に無い労力を強いられて悲鳴を上げそう。

 そうだよな、昨今の体重増にこの荷物じゃなぁ…。荷物に衣類など含めた全装備重量は辛うじて100kgを下回っているハズのワタシ(笑)だし。

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 尾根近くで古そうな杭を見つけた。

20081220_15 さて、尾根に出て尾根に沿って少し歩けば、崖に近い土手の上となる。この土手の下、崖っぷちに目的地はある。画像の左上、遠くに見える住宅地が、最初のルート説明画像撮影にカメラを構えた場所である。

 で、土手を這い降り始める。道なんて無い。少ない足掛かりに時折ガンダムがカタパルトを滑走するようにズルルルッと滑り降りる。ここで転がりでもしたら滑落死に至るかも…。

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 多少のブッシュを掻き分け、崖っぷちを目指すと斜面なのに窪地が見えてくる。何やら不自然な地形こそが今回の目的地。到着だ。

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 土手に開口する洞穴。ここが隧道中心点への横坑だった可能性が非常に高い。隧道とほぼ同じ標高に位置するからだ。この洞穴の撮影は後回しにし、洞穴前に残る遺構に接近する。

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 さあ、崖っぷちポイントだ。コンクリート製のアーチ型が見えてくる。

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 真横へ来る。20年振りくらいなのに、あの頃と何も変わっていない。で、崖に身を乗り出して、四つん這い姿勢で転落しないようにして…。

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 ちょい前より撮影。もうこれ以上、左ヒザが左側には行き場が無い崖っぷち(汗)。ダブルアーチの開口部だが、天井が一部抜けた状態になっている。中央上部には何かを固定したのだろうか、支柱が立っている。下部のダブルアーチ中央は支柱を失い、角材で補強されている。

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 下に潜る。例の角材支柱が目前となる。よく見たら細い鉄骨も支柱になっていた。

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 内部も約20年前と変わっていないようだ。こんな感じなのである。腐食、劣化したコンクリと、ただひたすら存在してきた空間だ。

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 右側アーチ内部。すぐ先で塞がれている。奥で左側アーチ空間につながっている。

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 左側アーチ内部。半分が塞がれている。開口部は裏手の洞穴前の崩落土砂が流れ込んできている。この土砂の量は約20年前より増えた。小学生だった頃はあの隙間から出入り出来たからだ。今では子供でも無理な隙間。

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 右側アーチ内奥から左側アーチ内土砂流入部を見る。右側アーチ内には、奥に鉄筋が剥き出しの土台らしき痕跡が残る。そうか、こんなものがあったんだった…。

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 右側アーチ内より外を望む。出口向かって右にコンクリ土台があって少し高くなっている。

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 左側アーチ内より外を望む。こっちにはトタン板などが散乱している。正直、ここでホッとしていること1つ。死体とかイケナイモノが無くて本当にヨカッタ…(笑)。

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 天井には2箇所の開口部がある。これは落盤なのか、元々なのかは不明。以前よりあったものだ。

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 天井を観察すると、所々に規則的に穴があり、そのほとんどに丸木の杭が打ち込まれている。側壁にも穴はある。

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 釘が刺さっている杭を見つけた。そうか、他の杭にも釘が刺さっていた痕跡がある。もしかすると、この空間には過去に内張り板なんかがあって、それを留めるための固定杭なのかもしれないな。

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 鉄骨、鉄筋が剥き出しになるほど劣化したコンクリ。

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 左側アーチは奥ではなく入口付近に鉄筋入り土台が存在した。右側アーチは入口付近には無い。

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 アーチより崖下を望む。倉庫の屋根が見える。この崖斜面にも僅かながらコンクリ製の遺構か残骸が見受けられる。高さにすると5~6階建てくらいはありそう。

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 遠くに仙台市街地が見える。一服しながら考える。このアーチ裏の洞穴は、隧道工事の際の中央基点(以後左右へ掘り進む)へ辿り着くための横坑という可能性は高い。そしてこのアーチ内には鉄筋入りの土台がある。アーチは通路ではなく重機置き場だった可能性が高い。その重機で何をしていたかは不明だが、隧道掘削の際に生じる土砂の運搬か、あるいは…。吊橋っぽくはないかもなぁ。

 悩みながらも、アーチ上に登ることにした。小学生の頃は皆で登ったんだ。崩れまい…。角材支柱よ、よろしく頼んだ…。

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 右側アーチ内を上から撮影。

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 左側アーチ内を上から。足が僅かにカクカク笑っとるのは疲労のせい?ビビリのせい?(汗)

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 戻り際に右側アーチ内を別角度で。右側アーチの右側には小さなアーチがあって、人の出入ができそうな構造だ。まあ、ワタシもここを利用して入ったのだけど。

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 崩落しそうなコンクリアーチ上の歩行を終え、そのままこのダブルアーチとオサラバすることにした。次来ることはあるだろうか。あってもきっと10年以上は来ないだろう。特別な事情がない限り。

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 裏手の洞穴へ向かう。手前には小さくアーチ内への土砂流入をしている穴が開いている。洞穴の入口はこんもりと堆積した土砂で少し狭くなっていた。

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 洞穴内部。所々崩落している。約20年前と比べても大きな変化は無い。小学生のときは20mくらい中に入った記憶があるけれど、当時でもヤバかった雰囲気が強くて、危険を感じて最深部までは行かなかった。今回も行きません(苦笑)。

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 感度を上げてフラッシュで奥を撮影。なんかスゴイ状態になってそう…。もうこれ以上、この洞穴には太刀打ちしようが無いのでこの場より退却することにした。

 滑り降りてきた崖のような土手を必死によじ登り、尾根ルートへ生還。戻らずに先へ進む。

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 第四号隧道入口に到着。ここで大休憩を取ることにする。

20081220_43 食事の準備を進めながら、今後の行動を考える。

 このまま沢を遡って、私が既知の氷池跡を目指すか。

 ちょっと先の道の無い一帯に埋もれているという私が未知の石垣造りの氷池・氷室跡を探すか。

20081220_45_3 考えているうちに湯が沸いた。

 今回の探索にあたって、小さなヤカンが見当たらなかった。ドコいったんだろう…。仕方なく飯盒で湯を沸かした。

 で、湯を注いで…。

 またしばらく待たねば。

 考え事をリセットし、ちょっと周辺を歩いてみる。

 あ…。今気付いたかも…。

 隧道の出入口周辺のレンが積みの“目地”だ。

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 この目地全て、しっかりと凸部が造られている…。スゲー手が込んでる。大正期の建造物、職人肌の人も多かったろう。そんな人が任されたんだろうね。こういう時代に仕事したかったなぁ…。(覆輪目地というらしい。)

20081220_47 さて、今日の午後メシです。

 カップラに使った水は、特に意味は無いけど屋久島天然水です。特にカップラから変な臭いはいたしませんでした。

 クリームパンは好物なのでついでに持参。

20081220_46 結局、この第三号隧道より向こうにあるとされる石垣造りの氷池・氷室跡の探索は時間の関係で次回持ち越し。今回は既知の氷池を記録に残すということに方針決定。

 既知の氷池は岩盤を掘り下げた造りで、沢沿いにある。おそらくは石垣造りの氷池よりも古い時代に使われていたものだと思われる。

 未知の石垣造りのほうも探究心から見てみたいのだが、具体的な場所にアテが無いから時間の浪費も有り得る。探し切れなかったら疲れるだけだ。

 食事の後片付け&一服し、いよいよ沢を遡り始めることになる。

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 遡ること数分、向かって左側、右岸に石積みが見受けられる。位置関係から、きっとこれは沢の浸食から第三号隧道付近の地盤を守るためだと推測される。

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 遡ること数百m。沢にコンクリ残骸が見受けられるようになってきた。もうすぐJR仙山線線路下だろう。コンクリ残骸は線路下の沢用隧道周辺からのガレキだ。

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 見えた!あの隧道を抜けると氷池はすぐだ。

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 隧道到着。この上は土手になっていて、結構高い位置を仙山線が走っている。高架橋にしないで、沢を潜らせることにしたのだ。

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 隧道に進入する。風が冷たく感じる。身体が冷える。

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20081220_54 隧道の中央付近は川床が掘れていて、踏み外すと危険だ。深いところでは1mくらいの落差がある。

 ここへ小学生のときに辿り着いたのも冬だった。その時は川床は凍っていて、滑るし暗いし落ちそうになるしで怖かった思い出がある。

 今回も薄暗くて足をガクッと窪地に取られたので、懐中電灯を使用することにした。高輝度LED19発仕様だ。

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 隧道を抜けてすぐ、少し先の右側、沢の左岸に岩盤の崖が見えてくる。あそこの下に氷池はある!

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 左が沢、右が氷池。中央の境目は人工的に盛られた部分と天然の岩盤が合わさっている。

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 氷池到着。こここそ20年以上振りだろう。

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 この周辺は仙台城築城の際、石垣に利用する石材を切り出した場所が数多くある。この地も石切り場だとする話もあるようだが、今年亡くなった私の伯父の話では氷池だったという話である。もしかすると、石材を切り出した跡を更に掘り下げて氷池として使ったのかもしれない。

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 池脇の低い岩盤に登って撮影。沢は右手にある。この背後、近くに窪地があったので、氷室として使ったものなのかなとか思ったが、石切り場も多いしね。判断つかないや。

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 丸くカーブを描く内側。

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 岩盤は不自然な段差を多く有している。割られた跡なのだろうか…。

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 沢を挟んだ反対側の土手をよじ登って池撮り。降ろしてきた大きなザックが小さく見えます。池の左側は完全には見えていないので、もうちょっと大きい池なのだ。幅20m弱、奥行10m弱くらいの池。

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 沢と池は岩盤で隔絶されているほか、崩れかけているが石積みでも区切られている。単なる石切り場であれば区切る必要性など感じないが…。

20081220_64 とりあえず、今回の探索の最低限の目的は達成した。あとは未知の氷室跡を探すだけだ。伯父と親父があると言うんだからあるんだろうけど、道が無い場所だけに探索には時間を要しそうだ。どうなることやら。

 この後、沢隧道を戻り、左岸より山林内を抜け、K駅構内手前の線路に出て、ゴメンナサイゴメンナサイと思いながら線路を少し疾走して住宅地内へ転がり込んで離脱。きっと駅にいた人には遠くを走る私の姿が見えたかもしれない…。

 あとは一般道を歩いてクルマを回収しに行き、終了となった。まあ、コンクリダブルアーチも、送水管隧道横坑も、岩盤氷池も、約20年前と比べても著しい崩壊が無い状態で、また今再び赴けてヨカッタよ。

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December 13, 2008

光のページェント

20081212_01 盃とかいう酒飲みそうな名を語っておきながら、実はそんなに強くない、いや弱い私。ほとんど仕事上の飲み会では帰宅時クルマを運転することになるので、基本的に飲まない人間という印象が固定していて、個人的には都合が良いのだが、たまにゃ飲む日も作らなければ、付き合いの悪いヤツだとか確信犯だとか言われる可能性だって出てくるワケだ(脚色あり)。

 で、少々飲んで、頭痛信号が微かに生じた時点でストップして、あとは終わりまでノンアルコール。解散して、チャリを引いて歩いて、仙台駅前から定禅寺通りへとやってきた。そうだよ、しばらくネタなし日記か?とか言いながら、ネタはついででも作れるじゃないか。

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 さすが初日、しかも金曜となれば、かなり人が出てる。正直、酒も得意ではなければ、人込みも苦手なほうで、歩くほど疲れてしまうのねん。

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 省エネが叫ばれる時代なのに、褪せないイベント。通りすがりの他県人が「宮城の人はこういうのが好きなのかなぁ…」とか何とか。深い意味があるのか、ないのか。まあ、私的にはこのイベント、嫌いじゃないけど必要は無いと思っていたりする。浪エネと渋滞発生でCO2増加だし、樹にも優しくない。

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20081212_05 とか言いつつも、せっかく通過するのだからと、目に付いたものにカメラを向けて楽しんでみたりするワケで。

 でもまあ、基本的には職場帰りのチャリ通勤装備なんで、標準ズームしかレンズは持ってきてないんで、もうちょっと選択肢が欲しかったりもするワケで。

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 ま、疲れてる時には酒を飲むなって感じ?寄り道しないで真っ直ぐ帰れってコト?帰宅して疲労大爆発。爆睡してやるぞぅ。

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